第1216回 “ストレート一本鎗”渡辺元智さんは「不世出の」草莽の教育者
第一印象は昭和の青春ドラマに出てくる熱血教師である。今から35年前の1991年秋、初めて横浜の監督・渡辺元智さんに関する、まとまった記事を書いた。本名は「元」(はじめ)。後に「元智」(もとのり)に改名した。
草莽の教育者――。タイトルが決まり、連絡した。吉田松陰が唱えた草莽崛起(そうもうくっき)、すなわち在野の衆を束ね、その先頭に立つリーダー像が、渡辺さんの姿に重なる、と説明したのだが、反応は鈍かった。
「僕は教育者と言われるのが、本音では好きじゃないんです。学校教育だけで生徒を評価してはダメ。教育の成果は社会に出て初めて判断されるものでしょう。ちょっと悪いことをしたといって、すぐに野球を辞めさせたり、連帯責任をとらせるようなやり方が本当の教育なのか…」
時勢柄、まだヤンチャな部員も少なからずいた。グラウンドで示している監督の姿勢こそが、「草莽の教育者」の真の姿ではないか。そう説得してやっと了承を取り付けたのだが、得心されたかどうかはわからない。
それ以来、折に触れてお会いし、話をさせてもらった。会話は投手にたとえればストレート一本鎗。取材者を変化球でかわそうとはしなかった。きっと、その真っすぐな向き合い方は部員たちに対しても同じだったのだろう。情熱の人であり、気骨の人であり、信念の人でもあった。
いつだったか、監督生活で、最も印象に残っている場面について訊ねたことがある。「長くやっていれば、いろんなことがありますよ」と前置きし、ウ~ンと一息つき、記憶を巡らせた末に口にしたのが、横浜が初めて夏の甲子園を制した80年の決勝でのワンシーンである。
相手は1年生エース荒木大輔擁する早実。3回が終わって5対1。だが早実にも名門の意地がある。4回に2点、5回にも1点を返し、じりじりと横浜を追いつめていく。
横浜の中心は投手で3番、主将の愛甲猛。この日の愛甲は試合前から肩が重かった。前夜、普段やらないマッサージを受けたところ、もみ返しがきてしまったのだ。「もう無理です。代えてください」。5回が終わった時点で、監督に自らそう告げた。
横浜には同じ左腕の好投手がいた。川戸浩。愛甲の陰に隠れ、ほとんど出番がなかった。ある日、思いつめた川戸は「いくらやってもチャンスがない。僕はもうやめます」と退部を願い出た。「甲子園では絶対に投げるチャンスがある。横浜は2人のエースがいて初めて(夏も)優勝できるんだ。我慢してくれ」。そう励ますと、川戸は泣きながらうなずいた。
その川戸がマウンドに立っている。それも決勝の舞台で。渡辺さんの胸には込み上げるものがあったという。「しかも愛甲が、自分の使っていたグラブを川戸に差し出したんです。チームの絆が結ばれた瞬間として、あれは忘れられません」。
今改めて思う。草莽の教育者。やはり、このタイトルは間違いではなかったと。さらには最大のリスペクトを込めて「不世出の」という言葉も付け加えたい。合掌
<この原稿は26年8月19日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>
