清原和博が西武からFA宣言した時のことだ。当時、阪神の監督だった吉田義男は、交渉の席で「縦じまのユニホームを横じまに変えるぐらいの意気込みで来ている」と力説して、虎党の一部からヒンシュクを買った。
 吉田にすれば、巨人入りを阻止するための“殺し文句”だったわけだが、少々、言葉が過ぎた。縦じまはタイガースのアイデンティティーそのもの。もし清原が「じゃあ、横じまでお願いします」と返したら、球団は、いったいどうしていたのだろう。シマウマのようなユニホームでは、戦闘意欲も湧くまい。
 変化は必要だが、物事には変えていいものと、悪いものがある。たかがユニホームと言うなかれ、そこには球団の歴史と伝説が息づいている。選手たちは、その誇りを身にまとってプレーしているのだ。

 大好きな逸話がある。ヤンキース時代の松井秀喜が左手首を骨折した時のことだ。運び込まれた病院でユニホームにハサミが入った。脱がせられるような状態ではなかったのだろう。次の瞬間、松井は「オレのユニホームに何をする!」と叫びそうになったという。既に松井にとってピンストライプは体の一部だったのだ。

 周知のように今月、国際野球連盟(IBAF)と国際ソフトボール連盟(ISF)が「世界野球ソフトボール連盟」(WBSC)なる組織を立ち上げ、五輪復帰に向け、動き始めた。概ねIOCの意向に沿ったものだが、ここにきてIBAFのリカルド・フラッカリ会長は「五輪では9回制ではなく7回制も検討する」とルールの抜本的な見直しにまで言及している。

 ちょっと待ってもらいたい。9回制は公認野球規則にも明記されている野球の根幹である。それを、いくらIOC側から試合時間短縮の要請があるとはいえ、ベタ降りに近いかたちで屈してしまっていいのだろうか。これはユニホームの変更などより、はるかに重要な問題である。

 誤解なきよう申し上げるが、私はルールを金科玉条とする者ではない。しかし変えるなら変えるで、こちらの方がより魅力的で、野球の価値が向上するという傍証を、きちんと示さなければなるまい。時間短縮には賛成だが、それが7回制というのは短絡的だ。高校野球の試合時間は、だいたい2時間だ。変える勇気も必要だが、変わらない勇気も必要である。

<この原稿は13年4月24日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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