伊藤花乃(早稲田大学フェンシング部/愛媛県松山市出身)第2回 ヒップホップダンスの恩恵
伊藤花乃は、運動が大好きな少女だった。父はサッカー、母はバスケットボール、弓道、ママさんバレーボールなどをやっていたこともあり、伊藤自身も運動神経がよかった。

「幼稚園、小学校時代、休み時間はずっと外で鬼ごっこや縄跳びをしていた」と伊藤。最初の習い事は、幼稚園児の時に始めた水泳だった。
「進級制度のスイミングスクールに通っていました。2つ年上の姉と同じ級に上がれるように頑張っていました。姉に負けたくない、と当時は思っていました」
その姉や友達たちと公園を走り回って遊んだ結果、脚力が鍛えられたのかもしれない。
余土小学校に入学した伊藤。彼女の地元には余土っ子ファイターズという全国レベルのドッジボールクラブがある。
「余土っ子ファイターズに入っている男の子たちと休み時間は一緒にドッジボールをしていました。全国レベルだけあって、彼らの球速はすごく速い。それを上手に避けるのが得意でした」
学んだリズム感
小学1年の終わり頃、2011年3月、彼女の姿は松山市総合コミュニティセンターにあった。習い事がもう1つ増えるきっかけとなった。
「姉の同い年の友達が家の隣に住んでいて、すごく仲が良かった。その子が習っているダンスの発表会があったので、コミュニティセンターに見に行ったんです。その発表会を見て、”私もやってみたい”と思うようになりました」
年度が替わった4月、伊藤は松山市内に本校があるビービーダンススタジオ(BBDS)に入会した。BBDSは、本校以外にも、伊予スイミングクラブ校、堀江校があり、幼児から大人のクラスまでを持ったダンススタジオだ。伊藤はここでヒップホップダンスを学んだ。
彼女は、ダンスの魅力について、語った。
「メンバーと1つの作品をつくり上げるのはとても時間がかかるし、少しずつしか進まない。早く完成させたいけど1つ1つの工程を丁寧につくり込まないといけないもどかしさみたいなのはありましたが、やっぱり最後の作品が出来上がった時、振りを間違えなかった時の達成感はすごくありました。完璧に踊り切る楽しさはすごく感じられたのは、とても思い出として残っています」
「ダンスの経験が後々に始めるフェンシングにいきたと感じることはあったか」と水を向けると、興味深いことを口にした。
「フェンシングのステップワークにダンスの経験は役立っています。リズム感というんでしょうか。“半テンポ、ワンテンポ、わざと遅らせる”といったリズムの取り方は、BBDSで習っていたからできているのかもしれません」
フェンシングは駆け引きが重要なスポーツだ。ステップワークで相手のリズムを狂わせる術に、ダンスの経験がいかされたのだ。
えひめ愛顔Jrアスリート
スポーツ万能少女だった伊藤は小学5年以降、たくさんのスポーツを経験する。学校のクラブ活動では「バドミントン&卓球」クラスを選択。特にバドミントンは得意だった。「6年生と一緒にトーナメント戦をやると上位に勝ち残っていました」。
そのほか、余土小では陸上や相撲も経験した。「相撲は楽しかったです」と笑顔で語り、続けた。
「体操服の上から簡易的なまわしを締めて練習をしていました。相撲は体の大きな人しかできないイメージが幼いながらにありました。小学生の私の体形はひょろ長かったのですが、何とか男の子を押し出せたり、手を地面につかせたりして戦っていました」
伊藤にとって転機の1つとなったのは2015年秋だ。県の肝煎り事業である「えひめ愛顔(えがお)のジュニアアスリート発掘事業」がスタートした。
<この事業は、科学的な手法を用いてスポーツの潜在的な才能を有する県内の小中学生を発掘し、中学3年生までの期間、育成・強化することにより、将来、国際大会で活躍する日本代表選手を愛媛県から輩出することを目指すとともに、将来の愛媛県スポーツ界の指導者となり得る人材を養成することを目的としています。本事業は、日本スポーツ振興センターが提唱する地域タレント発掘・育成事業との連携・協働体制「ワールドクラス・パスウェイ・ネットワーク」の組織体制の中で進めてまいります>(公式サイトより)
発掘事業のメンバーは、小学校のスポーツテストの成績や、実技テストなどで選抜される。伊藤は見事合格し、メンバーの一員になった。
(第3回につづく)

<伊藤花乃(いとう・かの)プロフィール>
2004年、愛媛県松山市生まれ。小学5年時、えひめ愛顔(えがお)ジュニアアスリート発掘事業の対象選手に選抜され、さまざまスポーツを経験する。中学2年時からフェンシングを始める。中学3年時、世代別(U-17)日本代表に選出された。高校2年時の総体で女子個人サーブル3位。2023年、早大フェンシング部に入部。現在は部の女子チーム主将を務める。
(文/大木雄貴・写真/杉浦泰介)

