西本恵「カープの考古学」第102回<カープを救った“単月エース”渡邉信義編その6/秋戦線にフル稼働——巨人打線相手に完封なるか>
カープ3年目のシーズンは9月に入り、ペナントレースも終盤に近づいた。カープは投手の台所事情が苦しい中、先発ローテーションのやりくりがたいへんだった。8月30日、松竹とのダブルヘッダー初戦をエース長谷川良平で落とすと、第2試合は、単月エース渡邉信義がマウンドへ上がり、3対0と完封劇を演じてみせた。このことは前回のカープの考古学で述べたが、この時期、渡邉に寄せる信頼が急上昇していくのだった。
石本の決断――中2日で渡邉登板
中2日空けて、またのダブルヘッダーは国鉄戦である。先発のマウンドには、渡邉が上がった。負けられない時期、あらゆる手を尽くす石本秀一監督らしい奇襲ともいえる策だった。ただ、近代のプロ野球においては考えられない登板間隔である。いくら戦後すぐのプロ野球とはいえ、夏場の中2日のマウンドとあっては多くを望めまい。しかしながら、「渡邉なら勝てる——」と信じた采配であったのだろう。
9月2日、この日カープは初回から果敢に打った。国鉄先発の大脇照夫を、2番の山川武範のヒットを皮切りに、4番の門前眞佐人と5番の岩本章が連続二塁打でもって2点を先制した。幸先の良いスタートを切ると、5回裏に1点を加え、3対0と試合を優位に進めた。
カープの先発渡邉は、中2日の登板が珍しくなかった時代とはいえ、さすがに疲れはあったはずだ。そのせいか4回表、国鉄打線に捉えられた。一塁にランナー杉浦清を置いた場面で、5番の藤田宗一に二塁打を打たれた。ここで助けられたのは、一塁ランナー杉浦の勢いあまった走塁だ。本塁で刺し、渡邉は5回もなんとかゼロを並べた。
しかし、さすがの渡邉も疲労を隠せなかった。6回表先頭打者でピンチヒッターの千原雅雄にヒットを打たれると、2つのフォアボールを出し、満塁。ここでお役御免となった。
さて、継投策であるが、ここで石本は、長谷川をマウンドへ送った。試合のヤマはここだと読んだ決死の継投策である。
渡邉同様に登板の続く長谷川は、疲れがないわけではないが、ここで国鉄の3番、前年までのカープの主将だった辻井弘を一塁へのゴロに打ち取った。三塁ランナーの千原は本塁で封殺され、キャッチャーの門前がゲッツーを狙い一塁へ送球――。
ところが、これが暴投となり、二塁ランナーがホームイン。3対1とされ、一筋縄ではいかない展開となったが、この後の杉浦をフライアウトにし、藤田を三振に打ち取ってゲームを崩さなかった。ここぞという場面に踏ん張りをみせたエース長谷川であった。
この流れから、再び打線に勢いが出た。この裏の攻撃でダメ押しの1点を加え、4対1で勝利した。渡邉も8月10日の初勝利から、わずか20日あまりで、4勝目をマークした。単月エースと元来のエースの継投策での勝利となった。
この日のダブルヘッダー第2戦目は、カープは杉浦竜太郎が先発し、国鉄はかの金田正一である。カープ打線の通常の力ならば、金田をそう簡単に打てるはずがない。ところが4回裏に奇跡が起きた。2番の山川、5番の岩本章、6番の長持栄吉までがすべて二塁打で、“大金星”の2点を奪ったのだ。カープは、6回表から杉浦をリリーフした長谷川が踏ん張って完封リレー。2対0で、この日2連勝を飾った。
<カープ待望の六位>(「中国新聞」昭和27年9月3日)と、総力戦でついに6位に浮上した。これにより勝率も3割台に乗った。
このダブルヘッダーはともに山川の突破口をひらく活躍もあってか、カープは見違えた。
<この日の廣島は攻守に一分のスキもない張りのある試合を進め、堂々の六位躍進となったものである>(同前)
巨人に一矢報いる力投
夏場の疲れが徐々に見えてきた渡邉であるが、得た信頼も大きかったろう。季節は秋へ移っていった。渡邉が登板した5日後の中国新聞にこんな記事が登場した。広島の牡蠣の今年の生産の予測である。
<二倍の増産予想>(「中国新聞」昭和27年9月7日)とうれしいニュースであった。記事では、牡蠣が例年の2倍となる65万貫(約2400トン)の水揚げが見込めると大漁の報告がなされた。大漁の喜びの中、過去には2%程度しか、東京への出荷はなかったが、東京への販売攻勢をかけるということが、伝えられた。
広島県の瀬戸の海には特殊な事情もあった。広島には大本営が置かれ、瀬戸内の海は宇品港や、呉港を拠点に軍艦が行き交う中で、禁漁区域とされた場所も少なからずあった。しかし、戦後独立が果たされ、牡蠣漁業者らにとっては、本来の漁場がよみがえった。また、これまで牡蠣を浅瀬で養殖する杭打ち法から、沖に出した筏につるす垂下法への転換が急激になされていった。広島の牡蠣養殖の歩みが変わった時期ともいえる。
さて、6位浮上を果たしたカープ。渡邉の登板は、さらに2日後の9月4日の松竹戦だ。驚くなかれ、中1日の休息でもって、かの水爆打線と呼ばれた松竹打線を1点に抑えたのである。ところが、肝心のカープ打線は3安打のみで沈黙して、0対1と為す術もなく負けた。
この後の渡邉は、中2日の登板となった。9月7日の広島総合球場での巨人戦のダブルヘッダーである。
巨人とのダブルヘッダー初戦に長谷川を立てたが、巨人の先発、藤本英雄に完封され、0対4で落とした。第2戦の先発は渡邉。中2日、中1日、中2日という過酷な登板である。いわばシーズン終盤のスクランブル体制だ。
巨人は先発を“連勝男”の異名をとる松田清を立てた。この立ち上がりをカープは攻めた。初回に3番の大澤清がフォアボールで出塁すると、4番の門前が、快心の二塁打で、大澤をホームへ還し、先制した。この展開により、“渡邉が投げているなら勝てる”という気運が膨らんだ。
ところが、2回裏の攻撃の際、夕立が発生し、約30分間の中断を強いられた。松田もこうしたコンディション不良もあってか、2つの四球を与えてしまい、巨人は早々にピッチャーを西田亨にスイッチした。
ここで、カープは白石勝巳が、レフト方向に快打を飛ばし、2者が還り、3対0とした。4回裏には上野義秋がプロ初ホームランをかっ飛ばした。沸き立つカープベンチ。渡邉が投げていることもあり、早々と勝利を確信した。
こうなると与那嶺要、千葉茂、青田昇、川上哲治ら球界を代表する選手らが並ぶ巨人打線に対し、渡邉がどう抑え、完封をすることができるかが見どころになった。
さすがの巨人打線も黙ってはいない。7回表、5番の宇野光雄に一発を浴びてしまった。それでも以降は、渡邉が後続を断った。4対1と快勝した。この年、優勝する巨人軍に対し、渡邉の完投で一矢報いたのである。
さあ、カープの考古学は、カープを救った“単月エース”渡邉信義編がいよいよ最終編を迎える。わずか1カ月と10日あまりで、6勝もあげる活躍をした渡邉だが、その6勝目の試合をお届けする。夏場からバテてくる投手も少なくない中、中1日登板もこなした渡邉の奮闘ぶりにご期待あれ。
【参考文献】
「中国新聞」(昭和27年9月3日、7日、8日)、『カープ50年-夢を追って-』1999年(中国新聞社)
<西本恵(にしもと・めぐむ)プロフィール>スポーツ・ノンフィクション・ライター
1968年5月28日、山口県玖珂郡周東町(現・岩国市)生まれ。小学5年で「江夏の21球」に魅せられ、以後、野球に興味を抱く。広島修道大学卒業後、サラリーマン生活6年。その後、地域コミュニティー誌編集に携わり、地元経済誌編集社で編集デスクを経験。35歳でフリーライターとして独立。雑誌、経済誌、フリーペーパーなどで野球関連、カープ関連の記事を執筆中。著書「広島カープ昔話・裏話-じゃけえカープが好きなんよ」(2008年・トーク出版刊)は、「広島カープ物語」(トーク出版刊)で漫画化。2014年、被爆70年スペシャルNHKドラマ「鯉昇れ、焦土の空へ」に制作協力。現在はテレビ、ラジオ、映画などのカープ史の企画制作において放送原稿や脚本の校閲などを担当する。2018年11月、「日本野球をつくった男--石本秀一伝」(講談社)を上梓。2021年4月、広島大学大学院、人間社会科学研究科、人文社会科学専攻で「カープ創設とアメリカのかかわり~異文化の観点から~」を研究。