今年2月、嬉しいニュースが飛び込んできました。日立ソリューションズスキー部に所属する久保恒造選手が国際パラリンピック委員会(IPC)の「月間最優秀選手賞」にノミネートされているという知らせが届いたのです。今シーズンの久保選手は絶好調。昨年12月のワールドカップ第1戦(フィンランド)で初勝利(パシュート)を挙げると、1月の同第2戦(米国)ではロング、ミドル、ショートで3連勝しました。その後、久保選手は見事に「月間最優秀選手賞」に輝きました。果たして、久保選手の躍進の背景には何があったのでしょうか。
 高校3年生の時に交通事故で脊髄を損傷し、下半身麻痺となった久保選手は、車椅子マラソンランナーとして活躍していました。シットスキーを始めたのは2008年。日本障がい者ノルディックスキーチーム監督でもある日立ソリューションズスキー部の荒井秀樹監督との出会いがきっかけでした。09年にはワールドカップバイアスロン年間総合ランキング2位とうい好成績を残した久保選手は、翌年のバンクーバーパラリンピックではクロスカントリーロングで7位、バイアスロンロングで6位入賞を果たしました。しかし、昨シーズンまでは国際大会では2位が最高で、金メダル獲得は悲願となっていました。

 ところが、12−13シーズンは6勝。これはクロスカントリースキー競技では日本人最高記録です。しかも、優勝できなかったレースも全て表彰台に上がるという快挙でした。実はこの快挙には、あるひとりの先生との出会いが深く関係しているのです。それは北海道網走市にある東京農業大学生物産業学部准教授の桜井智野風先生です。桜井先生の専門分野はスポーツ科学・スポーツ生理学。久保選手と同大のスキー部の練習拠点が同じだったことが縁で、昨年から久保選手へのトレーニングメニューの提供が始まったのです。

 では、それまでのトレーニング内容と、どんな違いがあったのでしょうか。久保選手に訊くと、意外な答えが返ってきました。「内容自体は、ほとんどかわっていない」というのです。かえたのは、内容ではなく、配分だったといいます。つまり、どの内容のメニューを、どのタイミングでやるか、ということだったのです。しかし、それだけでも久保選手にとっては目から鱗だったと言います。

 もちろん、これまでも周囲のアドバイスや情報を得ながら、自分が強くなるためにはどういうことが必要なのかを真剣に考えて、トレーニングをしてきたはずです。しかし、実際は「わかっていたようで、わかっていなかった」というところだったのでしょう。久保選手は桜井先生のアドバイスによるトレーニング方法にかえてから、体のどの部分が鍛えられ、それがどういうふうに競技にいかされていくかを実感したというのです。

 桜井先生が久保選手に提供したトレーニングは、「レースに向けてのコンディションづくり」を考えてのものでした。久保選手はこれまで筋力アップや持久力アップなどのトレーニングは十分に行なってきました。しかし、レース本番にピークをもっていくためには、それらパーツごとのメニューの内容以上に、それらをどう組み合わせていくかということが重要なのです。それを今回、桜井先生は久保選手に提供したのです。

 これまで久保選手は、「本番では最後の追い込みがきかなかった」というようなことが、少なくなかったそうです。ところが今シーズンは、「本番でやろうと思っていたことを、レース中、体が勝手にやってくれた」と言うのです。久保選手は「勝つ時というのは、こういう状態の時なんだ」ということを実感しました。

 トレーニング方法における時代の変遷

 私はこの話を聞いて、ある光景を思い出しました。昨年のロンドンパラリンピックです。競技後のインタビューでよく耳にしたのは「自分は精一杯やってきたし、それを全部出し切ることができた。でも、世界はもっと進んでいた。正直、驚きました」というような感想でした。特に陸上選手に多かったと記憶しています。予期せぬ言葉に、私は驚きを隠せませんでした。

 もちろん、パラリンピックという世界最高峰の舞台で、全員が最高のパフォーマンスを出すのは非常に難しいことでしょう。ですから、「やっぱり、世界はすごかったです」「コンディションを合わせることができず、力を出し切れませんでした」というような言葉が出てくるならわかるのです。それらはオリンピックでもよく耳にする言葉です。しかし、ロンドンパラリンピックでは違いました。「全力を出しきった自分と、世界とには大きな差があることにパラリンピックの場で気づいた、それに驚いた」と言うのです。しかも、世界の舞台に何度も出場したことのあるベテラン選手が、です。

 これまで日本人選手は、自分たちなりのトレーニングで世界と戦うことができていたのが、それではもう通用しなくなってきたのではないでしょうか。世界のトップ選手たちが、どのようなトレーニングをしているのか、あるいはどういうトレーニングこそが効果があるのか。競技レベルがグンと上がってきた今、こうしたことまで考えていかなければいけない時代へと移り変わってきたのです。特に陸上で、それが顕著に表れたのがロンドンパラリンピックだったのです。

 そんなふうに考えていたところへ、飛び込んできたのが久保選手のニュースでした。久保選手がこの短期間でこれだけ力を伸ばしたことを考えれば、他の選手や競技もより専門的で、より効率のいいトレーニングをすれば、レベルアップすることは間違いありません。つまり、日本の障害者スポーツ界には大きな伸びしろがあるということです。

 パラリンピックのメダル獲得数は、ここ最近は減少の一途を辿っています。しかし、やり方次第で、日本人選手のパフォーマンスはまだまだ上がるはずです。そのひとつが、オリンピックなど、スポーツ界では常識となっている科学トレーニングの導入ではないでしょうか。もちろん、既に始めている障害者アスリートもいることでしょう。しかし、まだ“常識”とまでは至っていません。今回の久保選手の躍進に、科学トレーニングの重要性を感じるとともに、日本の障害者スポーツの伸びしろを感じ、今後への期待に胸を膨らませています。

伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>
新潟県出身。障害者スポーツをスポーツとして捉えるサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND代表理事。1991年に車いす陸上を観戦したことがきっかけとなり、障害者スポーツに携わるようになる。現在は国や地域、年齢、性別、障害、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション活動」を行なっている。その一環として障害者スポーツ事業を展開。コミュニティサイト「アスリート・ビレッジ」やインターネットライブ中継「モバチュウ」を運営している。2010年3月より障害者スポーツサイト「挑戦者たち」を開設。障害者スポーツのスポーツとしての魅力を伝えることを目指している。著書には『ようこそ! 障害者スポーツへ〜パラリンピックを目指すアスリートたち〜』(廣済堂出版)がある。