3月31日、私たちNPO法人STANDが主催する「キッズチャレンジプロジェクト」では、障害者スキー体験会を行ないました。参加したのは小学2〜5年の8人。その中には身体に障害をもち、ふだん車椅子を使用している子どもたち4人がおり、チェアスキーにチャレンジしたのです。私はそこでまた、スポーツの力を感じることできました。
(写真:笑顔がはじける子どもたち)
「嫌だよぉ。僕、やりたくない……」
 午前9時、障害者スキースクール「NPO法人ネージュ」の協力のもと、チェアスキーの体験会が始まりました。すると、ある一人の男の子が泣き出してしまいました。ふと他の子を見ると、いつもは元気いっぱいの子が、口を真一文字にして、緊張のあまりカチコチになっています。見るのも触れるのも初めてのチェアスキーに、不安を感じていたのでしょう。そんな子どもたちの様子に、私も一抹の不安を覚えました。
「大丈夫かな。子どもたちは楽しんでくれるかな」

 しかし、それは杞憂に終わりました。1時間もすると、子どもたちのはしゃぎ声がスキー場に響くようになっていったのです。その時、私はある人の言葉を思い出しました。
「大丈夫ですよ。最初は緊張したり、怖がったりしていても、最後には必ずみんな笑顔で『また滑りたい!』って言いますから」
 今回の企画を相談しに行った際、私にそう言ってくれたのは「ネージュ」の理事長・稲治大介さんでした。

 見ると、子どもたちは2台しかないチェアスキーの取り合いをしています。はじめは、恐る恐る乗っていたのに……。あまりの変貌に、私は思わず笑ってしまいました。それほど、実に微笑ましい光景だったのです。

 人生の転機となった“疑問”

「ネージュ」を創設した稲治さんは、もともとは東京に本社のある企業に勤める普通のサラリーマンでした。その稲治さんが、なぜ縁もゆかりもない新潟県の湯沢町に、障害者を対象にしたスキースクールを開こうと思ったのでしょうか。きっかけは、ボランティア活動の際に、ある疑問を抱いたことにありました。

 10数年前、稲治さんが勤めていた企業がサポートする海外の演劇に、障害者の施設に通う子どもたちが参加した時、稲治さんはボランティアスタッフとして、そのお手伝いをしました。稲治さんが障害者とのかかわりをもったのは、この時が初めてだったそうです。すると、稲治さんの耳に、こんな言葉が聞こえてきたのです。
「あぁ、良かった。無事にこの日を迎えることができて……。何カ月も前から準備してきたんですから」
 そう言って胸をなでおろしていたのは、子どもたちを連れてきた施設のスタッフでした。

 稲治さんはそれを聞いて驚いたそうです。
「えっ!? 子どもたちを演劇に連れてくるだけで、そんなに長期間の準備が必要だったの?」
 聞けば、会場まで事故が起きないように行くには、会場でトラブルにならないようにするにはどうすればいいのか、こんな時は、あんな時は……と考え得る限りのシーンを想定し、対策を練ってきたのだそうです。

「障害があるというだけで、演劇に行くにも、そんなに大変だなんて……もっと気軽に行動できればいいのに」
 そう感じた稲治さんは、あることに気づきました。
「自分はよくスキーをしにスキー場に行くけれど、そういえば、障害のある人たちを見たことがない。そんなの、おかしいんじゃないかな……」

 追々調べてみると、新潟県の湯沢町に障害者を対象にしたスキースクールを見つました。稲治さんは、そこで大胆な行動に出ました。1年後、勤めていた会社を辞め、そのスクールのインストラクターに転向したのです。そして、そのスクールで6年ほど勤めた後、2006年9月に「ネージュ」を創設したのです。

 自分の力で滑ることで得られた自信

 稲治さんが最も大事にしているのは「スクールに来てくれたゲストの方々と、感情を共有すること」だと言います。ゲストにとって、しかもスキーを体験したことのない障害者にとって、スキー場は異次元の世界。辺り一面、真っ白な雪に覆われている山の中に自分の身を置いている、そのこと自体が、もう日常生活と違うわけです。ですから、日ごろにはない興奮状態でもあるでしょうし、その緊張感の度合いもいつもとは違います。つまり彼(女)らにとってはその時点ですでに大変な「非日常」にいるのです。

 一方、インストラクターにとってはスキー場はまさに「日常」のことで、そこにいるだけで興奮することはありません。でもそれではゲストと感情を共有することはできません。そこで、「ネージュ」ではゲストの様子をよく観察して、気持ちを察して、理解することを大事にしています。だからこそ、「スキーに乗れた」「少し進めた」「リフトに乗れた」……そんな小さなことが、本人にとっては大きな進歩であることを理解し、一緒に喜ぶことができるのです。これが稲治さんの言う “感情の共有”です。今回、子どもたちがすぐに笑顔になったのも、稲治さんが「最後には必ずみんな笑顔になる」と仰るのも、そうしたインストラクターの“感情の共有”があるからにほかなりません。

(写真:チェアスキーで颯爽と滑り下りてくる姿に、「かっこいい!」という声も)
 また、チェアスキーを初めて体験する子どもたちにとって、嬉しいことがあります。今回のプロジェクトのように健常の子どもたちも一緒に参加するときに、こんなことが起きるのだそうです。チェアスキーに乗った子どもたちが、真っ先に颯爽と滑り降りてくると、「えっ!? すごい! 速くて、かっこいい!」と、自分たちよりずっと早く上手く滑ってくるチェアスキーの子どもたちに、障害のない子たちが素直に声をかけるのです。そんな嬉しい声を、チェアスキーに乗った子どもたちは浴びることができるのです。

 考えてみれば、障害のある子どもたちは、ふだんは自分たちが先頭になるという体験をほとんどしていません。特にスポーツでは、健常の子どもたちが先にマスターしてしまいますから、友達の背中を見ていることの方が圧倒的に多いのです。ところが、スキーは違います。チェアスキーは2本の板に椅子をつけたもので、そりのように簡単に乗ることができるようになっています。そして、後ろには取っ手がついていて、それをインストラクターが押しながらコントロールしていきます。しかし、すぐに、インストラクターのサポートなしで、子どもたちは自分だけのバランス感覚で滑ることができるようになります。自分の力で滑る喜びを得られ、そのうえ、いつもは背中を見ている健常の子たちから拍手喝さいを浴びる。子どもたちは楽しさと、そして自信を獲得することができるのです。この日もそれは子どもたちの生き生きとした表情によく表れていました。

 稲治さんは言います。「できないと思ったことができたとき、人には希望と勇気が湧いてきます。ここに降るたくさんの雪とわたしたちスタッフが、少しのお手伝いをすることで、それは実現するのです」

 初めてのこと、経験のないことは、スポーツに限らず不安が生じます。障害があって、しかもまだ経験の少ない子どもはなおさらです。しかし、そこでほんの少しだけ後押してくれる機会、道具、人の存在があれば、想像をはるかに超える希望と勇気を手に入れることができるのです。稲治さんたちと、子どもたちに、またたくさんのことを教えてもらいました。

伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>
新潟県出身。障害者スポーツをスポーツとして捉えるサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND代表理事。1991年に車いす陸上を観戦したことがきっかけとなり、障害者スポーツに携わるようになる。現在は国や地域、年齢、性別、障害、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション活動」を行なっている。その一環として障害者スポーツ事業を展開。コミュニティサイト「アスリート・ビレッジ」やインターネットライブ中継「モバチュウ」を運営している。2010年3月より障害者スポーツサイト「挑戦者たち」を開設。障害者スポーツのスポーツとしての魅力を伝えることを目指している。著書には『ようこそ! 障害者スポーツへ〜パラリンピックを目指すアスリートたち〜』(廣済堂出版)がある。