今年の高校野球も多くの熱戦が繰り広げられ、非常に盛り上がりましたね。準々決勝は全4試合が1点差ゲーム、そのうち2試合が延長戦でした。そして前橋育英(群馬)と延岡学園(宮崎)との決勝も1点差の接戦と、見応えがありました。高校野球の魅力を再認識した方も少なくなかったでしょう。私も十分に楽しませてもらいました。しかし、その一方で高校野球の問題点を改めて感じた大会でもありました。それは指導者のピッチャー、とりわけエースに対する依存度の高さです。
 例えば、初戦の好カードとして注目されたセンバツ優勝校の浦和学院(埼玉)と仙台育英(宮城)との1回戦。浦和学院の先発は、2年生エースの小島和哉投手でした。この日の小島投手は明らかにいつもとは違いました。制球力があるはずの彼が、初回の1イニングだけで5四死球を出し、打たれたヒットは3本にもかかわらず、6失点を喫したのです。2回以降は落ち着きましたが、終盤に入ると、またも四死球が増え出しました。そのため、投球数は8回を終えた時点で180球を超えていたのです。

 そして最終回、1死を取ったところで、小島投手は足が痙攣して投げることができなくなりました。マウンド上で懸命に屈伸をして、なんとか続投しようとする小島投手の姿はあまりにも痛々しく、同じピッチャー出身としては早く降板させてあげて欲しいという気持ちで見ていました。準々決勝で敗れた常総学院(茨城)のエース飯田晴海投手も、足の痙攣で降板しました。彼は初戦から全て一人で投げ抜いてきた疲労が出たのでしょう。それでも治療後に一度はマウンドに戻って続投しようとしました。しかし、やはり痙攣はおさまらず、2球投げたところでマウンドを後にしました。将来ある身であり、まだ身体が完成されていない10代の選手たちに痙攣が起きるまで投げさせた時点で既に問題であるはずなのに、痙攣が起きてもなお、続投させようとしたことに、私は正直、怒りにも似た気持ちになりました。

 今春のセンバツでもピッチャーを酷使したことが問題になったことを覚えていらっしゃる方も少なくないでしょう。準優勝した済美(愛媛)の2年生エース安楽智大投手が全5試合を1人で投げ抜き、通算の球数は772球にものぼりました。これについて国内のみならず、「肩は消耗品」という考えの米国からも疑問の声があがったのです。その際、「高校野球には球数制限が必要なのでは?」という意見がありました。私自身は、この意見に賛成です。今大会で、さらにその気持ちが強くなりました。

 監督は“指導者”であれ!

 高校の野球部は、学校の部活動のひとつであり、高校野球はあくまでも教育の場であるはずです。ならば、一番に大事にしなければいけないのは、高校生である選手たちです。彼らの将来を第一に考えるべきです。もちろん、勝ち負けも大事です。今は子どもたちに勝負ごとをさせないようにする傾向にありますが、どんな社会でも勝ち負けはあります。そして、勝っても負けても得るものはあるのです。ですから、勝つことを目指すことが悪いことでは決してありません。しかし、それだけを追い求めるのは違います。

「自分は選手のことを第一に考えているからこそ、投げたいという彼らの気持ちを尊重しているんだ」という指導者は少なくありません。しかし、それは違います。いつの時代も高校球児にとって一番は甲子園です。まだ見ぬ“将来”よりも、“今”甲子園で勝つことが重要であり、周りが見えなくなるほど、無我夢中に追い続けるのです。その気持ちは、高校球児だった私も痛いほどわかります。そして、それはとても素晴らしいことです。

 指導者がそうした球児たちの気持ちを理解することは大事です。しかし、気持ちがわかるからといって、大人である指導者たちが10代の球児たちと同じ考えを持つというのはいかがなものでしょうか。指導者であるならば、正しい方向を指し示し、進むべき道に導くべきではないでしょうか。

 甲子園の場で冷静に自らの将来を考えられるほど、球児たちは大人ではありません。今、その試合に勝つことしか見えていないのです。ですから、どんなに身体がボロボロになっても、「投げたい」「試合に出たい」と言うのは当然です。前述した3投手がいい例です。それを「本人が投げたいと言ったから」「投げられると言ったから」と続投させていたのでは、指導者として守るべき、育てるべきであるはずの球児たちの将来をつぶすことにもなりかねません。

 そしてさらに言わせてもらえば、指導者にとって大事な教え子は、エースやレギュラーだけではないはずです。控えの選手だって、控えにもなれずにスタンドで応援する選手だって、みんな大事な教え子です。試合には出場できなくても、ベンチに入れなくても、同じように厳しい練習に耐え、腐らずに努力し続けてきたわけです。そう考えれば、エースやレギュラーだけに「彼らの気持ちを尊重した」という発言はできないはずです。誰しもみんな、試合に出るために努力してきたのですから。

 プロ出身監督への期待

 今大会、甲子園を訪れ、開会式と開幕試合を観戦した松井秀喜さんがこんなコメントを残しています。
<(前略)甲子園も米国も経験した今の僕は、高校野球の投手起用には、やはり無理があると考える。とことん投げたいのは分かる。僕が投手でも甲子園のためなら壊れてもいいと思ったはずだ。だからこそ指導者の判断、管理が必要だと思う。
 相当投げても大丈夫な選手はいる。ただ高校生があえてリスクを冒す必要はないと個人的には思う。あの日程だと投手3人は必要。2、3番手も使いながらどう勝つかという指導者の力も試されていい。(後略)>(8月15日付「報知新聞」)

 ほとんどのプロ野球の現役選手、OBが、松井さんと同じ意見を持っていると思います。高校時代、私たちもみんな大げさに言えば命をかけて甲子園を追い求めました。将来のことを考える余裕なんてありませんでした。しかし、それは大人になってみれば、人生の一部であることがわかります。もちろん、何よりも代えがたいものであることには変わりはないのですが、高校卒業後も人生は続くということです。そのことを特にプロ野球選手・OBは、感じているはずです。

 近年、長い間断絶されてきたプロ・アマの関係が緩和され、今年7月1日には研修と適性検査を受けることで、プロOBが高校や大学の指導者の資格を得ることができるという制度が施行されました。7月28日には、第1回研修会が行なわれ、100名が受講しました。これによって、今後は続々とプロ経験の高校野球監督が誕生することでしょう。私は、これはとてもいいことだと思っています。なぜなら、プロ野球OBは、球児たちには将来があることをよく知っています。ですから、無理な起用はしないはずです。特に現代のプロ野球は継投が当たり前ですから、エースだけに頼るのではなく、継投でどう勝つかということも知っているからです。技術、戦略、トレーニングはもちろん、選手起用の考え方などにおいても、ぜひ高校野球のレベルアップにつなげてほしいと思います。

佐野 慈紀(さの・しげき) プロフィール
1968年4月30日、愛媛県出身。松山商−近大呉工学部を経て90年、ドラフト3位で近鉄に入団。その後、中日−エルマイラ・パイオニアーズ(米独立)−ロサンジェルス・ドジャース−メキシコシティ(メキシカンリーグ)−エルマイラ・パイオニアーズ−オリックス・ブルーウェーブと、現役13年間で6球団を渡り歩いた。主にセットアッパーとして活躍、通算353試合に登板、41勝31敗21S、防御率3.80。現在は野球解説者。
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