二宮: 原監督は2004年に青山学院大学陸上競技部(中・長距離ブロック)の監督に就任されました。きっかけは何だったのでしょう?
: 中京大学を卒業後、ランナーとして中国電力に入社したのですが、故障が原因で5年で現役生活を終えました。それからは10年間、中国電力の社員としてサラリーマン生活をしていたんです。その10年間は陸上の世界とは一切の縁を切っていました。テレビも観ませんでしたし、監督やコーチなど関係者ともまったく連絡を取っていませんでした。でも、やはりどこかで陸上への未練があったんですね。そんな時に、青山学院大学OBで、私の世羅高校時代の後輩から「うちの母校が駅伝を強化しようとしているのですが、監督をしてみませんか?」という話をもらったんです。それでぜひ、ということで、04年から監督を務めさせてもらっています。

二宮: 原監督が就任して5年目の09年1月、青学大は33年ぶりに東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)に出場し、大きな話題を呼びました。就任当初、低迷が続いていたチームを、どのようにして立て直していったのでしょうか?
: 陸上という世界ではどこも共通していることだと思いますが、まずは規則正しい生活というのが基盤にあるんです。そこから着手しましたね。正直、ゼロからというよりもマイナスからのスタートだったんです。

二宮: 選手にはすぐに受け入れられましたか?
: いいえ。やはり、それまでのやり方を知っている選手にはなかなか浸透しませんでした。ようやく基礎ができたと手応えを感じるには、4年ほどかかりました。

二宮: その4年目には、原監督は箱根駅伝で関東学連選抜チームの指揮官として4位という成績を収めました。
: この時のことは教訓になっていますね。やはりチームが心ひとつにして一枚岩になると、強さを発揮するんだなと改めて感じました。

二宮: その翌年、09年1月には青学大が33年ぶりに箱根の舞台に戻ってきました。この間、原監督自身に何か変化はありましたか?
: 就任当初は、自分が育った中国電力流の練習をそのままやらせようとしていたのですが、途中でそれではダメだということに気付きました。チームには各々レベルに合ったステージがある。例えば、箱根だったら出場を目標しているのか、シード権獲得を目指しているのか、優勝を目指しているのか。それを理解したうえで、その半歩先を見据えてやっていくことが大事なんだということです。それに気づくまでには4、5年かかりました。

 高まる初優勝への期待

二宮: 09年に33年ぶりに出場して以来、10年は8位で41年ぶりのシード権獲得、11年には9位、12年5位、13年8位と安定した成績を収めています。「青学大に入りたい」という高校生も増えてきているのでは?
: ありがたいことに、増えてきていますね。最初にスカウトに行った時は「青学さん? うーん、大学は素晴らしいけれど、駅伝は箱根に出ていないでしょう?」と、高校の監督によく言われたものです(笑)。それが今では、力のある選手が以前よりも多く入ってきてくれるようになりました。

二宮: 昨年は学生3大駅伝のひとつ、出雲全日本大学選抜駅伝競走で大学史上初の優勝を果たしました。原監督自身にとっても自信となったのでは?
: そうですね。私自身も「やっていることは間違いない」という確認もできましたし、何よりも選手が私への信頼を深めてくれたのではないかなと思います。でも、出雲がいくら全国大会とはいっても、やはり国民的行事でもある箱根駅伝が選手はもちろん、周りからの期待度を考えても、実質的な最高峰の大会だと思うんです。そこでの優勝こそが、最大の目標です。

二宮: 広島県出身の原監督は、世羅高校から中京大学へと進学しました。高校時代、箱根を走りたいという気持ちは?
: 三原という広島の片田舎でしたから、今のようなインターネットもなかったですし、情報がないんです。ですから、正直、箱根駅伝に対しては名前を知っているくらいで、ほとんど思い入れはありませんでした。ただ、実際に監督として携わるようになってからは、箱根駅伝のスケールの大きさや、国民からの注目度がどれほどのものなのか、そしてだからこその責任の重さというものを痛感しています。

二宮: 10年から4年連続でシード権を獲得しているわけですから、確実に上位の仲間入りを果たしていると言えます。既に優勝も視野に入っているのでは?
: そういうチームになりつつあるのだと思います。年々、目には見えない強さというものを感じるようになってきましたね。例えば同じ8位という順位だったとしても、下から上がってきた8位と、上を目指して落ちてしまった8位とでは、意味がまったく異なる。つまり、もうシード権を獲得して満足するようなチームではない。着実にレベルが上がってきているな、と感じています。

 “皇帝”来訪でモチベーションアップ

二宮: 来年1月の箱根は“戦国レース”が予想されています。
: おそらく上位6校は優勝の可能性はどこもゼロではないと思いますね。逆に言えば、チャンスはどこにでもあるだけに、ひとつのミスもできない。1区間でも戦力ダウンしたり、ブレーキがかかったりすれば、追い上げるのはかなり難しい。厳しい優勝争いが繰り広げられると思います。

二宮: 誰かひとりでも戦力ダウンすれば、優勝争いから脱落すると。そういう意味では、故障者を出さないことが重要になりますね。
: はい、まさにその通りです。

二宮: もちろん毎日の規則正しい生活やトレーニング、栄養面など、いろいろと気を付けなければいけないと思いますが、足に直接関係しているシューズはまさに重要です。青学大では三村仁司さんがadidasと共同開発したランニングシューズ「adizero takumi」を履いている選手が非常に多いそうですね。
: シューズは選手にとって、何よりも重要なんです。だからこそ、高校時代からのジンクスを大事にして、メーカーを替えない選手が多いのですが、うちではadidasの「adizero takumi」に替える選手が増えてきていますね。

二宮: 人気の理由は何でしょうか?
: 現代の名工と称される靴作りのマイスターである三村さんがつくったシューズは素材から何からランナーのことを考えてつくられている。そのために、特にフィット感に関しては「今までのものとは全然違う」という感想をもらす選手が多いですね。

二宮: なるほど。まさに「匠」の成せる業だと。
: 本当にその通りですよ。私は関西地方によくスカウト活動に行くのですが、高校生からも三村さんは絶大なる信頼を得ているんです。

二宮: 実際に三村さんに測定してもらっているんですか?
: はい。夏合宿の時にわざわざ来ていただいて、測定してもらっています。その時にシューズに対してだけでなく、各選手の足についても細かくアドバイスしてもらえるので、選手たちは喜んでいます。

二宮: 例えばどんなアドバイスを?
: 「キミは左足に比べて、右足の筋肉が少ないから、補強運動してバランスよくした方がいいよ」とか、「軸が右にいきすぎているから、走りのバランスが悪くなっている。このままだと、故障しちゃうよ」などと、具体的に言ってくれるんです。「三村さんのアドバイスとシューズのおかげで、マメができる回数が減った」と喜んでいた選手もいましたよ。

二宮: チームのポスターもつくっているんですね。
: そうなんです。adidasとタイアップしての一番のメリットは、ウエアやシューズなどの提供はもちろんですが、それ以上に選手のモチベーションを上げてくれるようなプロモーションがうまいということですね。ポスターもそのひとつですが、例えば、夏合宿の時にビデオ撮影してもらったのですが、それをストーリー仕立てにしてムービーをつくってくれたんです。ミーティングの時などに流すのですが、見ている選手の顔から「よし、頑張るぞ!」と、やる気が満ち溢れているのがわかりました。

二宮: ただ物を送って、「はい、どうぞ」で終わるのではなく、さまざまな面からのサポートもあるわけですね。
: はい。先日はハイレ・ゲブレセラシェ(エチオピア)を寮に連れてきてくれたんです。

二宮: 元マラソン世界記録保持者で、“皇帝”と呼ばれているゲブレですか?
: そうなんです。僕もフラッとゲブレが現れた時は驚きました(笑)。30分ほど講演をしてもらったのですが、選手にとっては世界に触れる貴重な体験になったと思いますし、ずいぶんと刺激を受けていたようです。

 “普段”を知っている強み

二宮: さて、箱根駅伝まで残り半月となりましたが、本番までの予定は?
: 12月10日が16人のエントリー締め切り日だったのですが、それを境に、追い込みから調整へと切り替わっています。これまではチームとしての強化でしたが、今はメンバーひとりひとりに対しての個別対応。鉛筆で例えるなら、最後に芯の先をきれいに研いでいく作業をしているところです。

二宮: メンバー16人を選んだ手応えは?
: はい、十分に感じていますよ。それこそ、駒澤大、東洋大、早稲田大、日体大、明治大の中に入って、優勝争いができると思っています。

二宮: それだけ選手層が厚いと。
: そうですね。今年は20人くらいの中から16人を選びましたが、昨年くらいからようやく選ぶことができるくらいの選手層の厚さになってきました。2年ほど前までは「おいおい、13人くらいしかいないぞ」というような状態だったんです。それこそ33年ぶりに出場した時なんかは、ほとんど故障していたのですが、他にメンバーがいないもんだから、山下りの選手はテーピングをグルグル巻きにしながら走ったくらいなんです。その次の年も10人揃えるのがやっとで、「あとひとり欠けたら、完全な戦力ダウンになる」という状態だったんですよ。

二宮: 今は難しさの反面、選ぶ楽しみもできたと。
: はい。もちろん、どうしてこの選手を選んだかという理由は、全員に説明をします。ただ、理由なく「私の第六感で選んだ」ということもあるんです。好き嫌いではなく、「こいつなら、やってくれる」ということが、経験値でわかるんですね。あとは結果が出たら、その全責任を負うと。それがある意味、監督業だと思うんです。

二宮: 最後は自分自身の直感を信じて決めると?
: はい。特に私の場合、選手と一緒に寮で生活していますから、グラウンド以外のところでもいろいろと選手を見ることができるんです。うちのチームは5時に起床して、寮から800メートルいったところの市民球場に集合するというのが朝の日課なんです。その時に、玄関で靴ひもを結んでいる姿や、球場までの歩いている姿を見て、「あぁ、今日は疲れているな」とか「お、なんだか生き生きしているな」とか、なんとなく感じるものがあるんですね。そうすると、前日に同じメニューをこなしていても、いっぱいいっぱいだったのか、余裕をもってできていたのかがわかる。選手の調子や力を測ることができるんです。

二宮: なるほど。それがひとつの強みでもありますよね。
: グラウンドだけの姿を見ているよりも、細かく選手を見て、感じることができているんじゃないかなと思います。

二宮: 半月後の90回記念大会では、選手たちの力強い走りを期待しています。
: ありがとうございます。残り半月、きちんと調整して、私にとって6回目の箱根に挑みたいと思います。

原晋(はら・すすむ)
1967年3月8日、広島県生まれ。中学から陸上を始め、世羅高校3年時には主将としてチームを牽引。全国高校駅伝に出場し2位となる。中京大学を経て、1989年創設1年目の中国電力陸上競技部に入る。93年には主将として全日本実業団駅伝初出場に貢献する。故障で95年に現役を引退。その後は10年間、中国電力でサラリーマン生活を送る。知人の紹介により、2004年に青山学院大学陸上競技部 中・長距離ブロック監督に就任。09年に33年ぶりの出場を果たすと、10年には8位に入り、41年ぶりのシード権を獲得。12年には同校最上位となる5位に導いた。

(構成・写真/斎藤寿子)
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