「あの時が彼女のすべての始まりだったのではないでしょうか」
 佐藤利香(明徳義塾卓球部女子監督)が語る「あの時」とは、2009年のインターハイ(IH)高知県予選のことだ。天野優は、個人、ダブルス、団体とすべてのカテゴリーで全国大会出場権を逃したのである。その直後、天野は非常に落ち込んでいたという。しかし、佐藤(利)の「そんなくによくよしていたって何も始まらない。力をつけないと、来年もこうなるよ」という叱咤激励を受け、彼女はすぐに次にやるべきことに集中した。それは、基礎技術の向上である。
 県予選では、ラリーで競り負けたり、要所で踏ん張りがきかずにボールを打ち抜けない場面が多かった。ラリーを制するフットワーク、最後までボールを打ち抜く力強さ。これが天野に足りない要素だった。
「対戦相手の体格が大きくなるに伴って、パワーも上がります。私は体格が小さくて、ただ速さがあるだけ。それでは通用しません。(球質の重い)ボールを打ち返すには、体全体を使って打たないといけなかった」
 以降、天野はフットワーク、腹筋、背筋などの地道な基礎練習に積極的に取り組むようになった。そんな教え子を見て、佐藤(利)は「1本にこだわるようになった」と感じたという。

「それまでの彼女は細かい技術、小技の習得には積極的でした。それも大事なことですが、本当に競り合っている状況で得点を取りにいくには、全体の力を使って攻撃しなければいけません。そういった勝負どころの1本に、強い選手は常にこだわっています。ですから、みんなつらいトレーニングをして、大事な局面で踏ん張りがきくように追い込むんです。天野もその必要性に気づいたんだと思います」

 筋肉が張るなどの故障もあったものの、体づくりは順調に進んだ。フットワークも改善され、天野は「どんな相手にでもいい勝負ができるようになってきている」と手応えを得ていた。天野の卓球に“基礎技術”という土台ができ始めると、その成果は結果となって表れ始めた。天野は新潟県で開催された09年の国民体育大会(9月〜10月)の卓球少年女子(高知県代表)、翌年3月の全国高校選抜大会女子団体でも準優勝を収めた。そして、高校最後のシーズンでは、さらに輝かしい結果を残すことになる。

 優勝につながった2キロのランニング

 10年5月のIH県予選で、明徳は団体でライバルの土佐女子高校を破り、5年ぶりに全国への切符を獲得。これまで敗れ続けてきた“鬼門”を突破した。そして、8月のIH(沖縄)本番でも、明徳は快進撃を見せた。団体戦で順調に勝利を重ね、準決勝で石川佳純を擁する四天王寺高校と激突した。明徳は最初の第1シングルスを落としたものの、第2シングルスを奪い返す。そしてダブルスで天野・𡈽田美佳組が石川たちのペアに勝利。つづく第3シングルスも制して決勝進出を果たした。

 天野は個人戦のダブルスでも決勝に進出し、青森山田高校のペアと対戦した。天野・𡈽田組は第1、第2ゲームを連取し、優勝に王手をかけた。しかし、優勝への重圧からか動きが硬くなり、相手に3連続でゲームを連取され、逆転負けを喫した。土壇場でのV逸を佐藤(利)は「何をされたでもなくこちらが焦ってしまった。ダブルスは本当に優勝できると思っていたので、私自身、心残りがありましたね」と振り返った。翌日に団体戦決勝を控える中、チームに重苦しい空気が漂うかに思われた。

 ところが、である。総監督の佐藤建剛の提案が、彼女たちの空気をガラリと変えた。
「団体決勝に向けて頑張ろう! ホテルまでランニングして帰ろう!」
 会場からホテルまでの約2キロの道のりを走った後、不安そうな表情を見せる選手はいなかった。天野自身「走ったおかげで、すっきりしました」と気持ちを切り替えられたという。

 迎えた団体決勝の相手は、ダブルス決勝で敗れた選手のいる青森山田だった。天野は「絶対に負けない」という強い心で試合に臨んだ。だが、明徳は第1、第2シングルスを落とし、窮地に陥った。天野は第2シングルスで2ゲームを先取しながら、そこから逆転負け。それでも、彼女に焦りはなかった。
「(第2シングルス後の)ダブルスに自信があったんです。ですから、ダブルスで勝って後半につなげようという思いでしたね」
 そのダブルスで、明徳ペアは抜群のコンビネーションで相手を圧倒。天野は鋭いフットワークから何度も強打を決めてみせた。結果はゲームカウント3対0のストレート勝ち。一気に流れは明徳に傾いた。明徳は第3シングルスも連取し、日本一へ逆王手をかけた。

 最終第4シングルスで明徳の選手が得点を奪うたびに、天野らベンチにいる選手たちは大きな声を出して仲間を盛り立てた。そして、マッチポイントが決まった瞬間、明徳ベンチは大きくガッツポーズ。天野は両手で顔を覆い、佐藤(利)と抱き合った。そして、彼女は優勝インタビューでこう答えた。
「今まで(中学から)6年間ずっとやってきて、すごくつらい時もあったんですけど……チーム、自分、先生方を信じて、やってきた6年間のすべてが出たいい試合だったと思います」

 天野はIH後に行われた国体(千葉)少年女子でも高知の初優勝に貢献し、全国二冠を達成。全日本選手権でもベスト16に進出し、初のランク入り(同大会でベスト16以上には日本ランキングが与えられる)を果たした。悔しい県予選から1年を経て、天野は恩師が「1年間でこんなに変わるのか」と感心するほどの成長ぶりを見せた。

 高知での6年間で、天野は卓球と向き合う日々を送った。そして、“1本”にこだわる意識を持つようになった。それは、上を目指し続けるためには最も必要なことだったに違いない――。

(最終回へつづく)

<天野優(あまの・ゆう)>
1992年11月25日、和歌山県生まれ。両親の影響で5歳から卓球を始める。2002年、全日本選手権(カブの部)で優勝。04年には、和歌山銀行卓球クラブのメンバーとして全国ホープス卓球大会を制した。中学から高知・明徳義塾へ進学。07年に全国中学選抜大会の学校対抗優勝に貢献。高校時代には、全国高校選手権学校対抗、国民体育大会での二冠を達成した。11年、サンリツに入社。12年には全日本実業団選手権大会優勝(サンリツ)、全日本社会人選手権シングルスで3位に入った。昨季は後期日本卓球リーグで、サンリツの3年半ぶりの優勝に貢献した。戦型は前陣速攻。右シェークフォア裏ソフト・バック表ソフト。



(文・写真/鈴木友多)
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