3月7日に開会式が行なわれ、9日間にわたって熱戦が繰り広げられたソチパラリンピックが、16日に幕を閉じました。冬季大会史上最多となる45カ国・地域から約550名のアスリートたちが集結した今大会、日本選手団はメダル総数6個、海外開催の冬季大会としては史上最多タイの金メダル3つを獲得しました。また、10代の若手選手のハツラツとした姿も多く見受けられ、日本選手団として得られたものは数多くありました。
 私も大会期間中、ソチの会場に行ってきました。そこで改めて感じたのは、選手たちの活躍は支えあってのものだということです。
(写真:ソチパラリンピックのレース後、現地に駆け付けた応援団とリラックスした表情で話す新田選手<左>)
 私がまず現地で訪れたのは、クロスカントリーとバイアスロンの会場「ラウラ・クロスカントリースキーアンドバイアスロン・センター」です。最寄りの駅からゴンドラを乗り継いで会場に到着。ゴール地点のホームストレートのところに設けられた観客スタンドに向かいました。すると、真っ先に目に飛び込んできたのはオレンジ色の団体。それは日立ソリューションズスキー部後援会の社員や、選手の地元からそれぞれ駆け付けた人々で構成された日本応援団でした。オレンジ色の半被を着用し、数人は頭にちょんまげのカツラまでかぶっていたのです。周囲の外国人は雪山に現れた「サムライ」に目を輝かし、引っ切り無しに写真のリクエストをしていました。

 もちろん選手たちにとって、応援団が大きな力となったことは言うまでもありません。なぜなら、応援団は彼らの“ホーム”だからです。私が強くそう感じた場面は2度ありました。1度目は、競技終了後です。その日はクロスカントリーの20キロクラシカルが行なわれました。立位カテゴリーに出場した新田佳浩選手は、2つの金メダルを獲得したバンクーバーに続くメダル獲得が期待されていました。しかし、惜しくも4位という結果でした。

「あと一歩のところで表彰台を逃した新田選手のこの4年間のことを考えると、かける言葉は見つからない。応援団の人たちも、私と同じ心境に違いない」
 私はそう思っていました。そこへ着替えを終えた新田選手が、応援団のいるスタンドにやって来ました。私は傍で「どんな顔をして、どんな言葉を交わすのだろう」と思いながら様子を見ていました。すると、応援団の人たちはまったく構えることなく、新田選手を激励し、また新田選手も素直に悔しい気持ちを語り始めたのです。その自然な様子に、正直驚きました。「選手」と「応援団」との間に、垣根がなく、まるで家族のように映ったからです。

 応援団は家族のような存在

 そして2度目、選手と応援団の距離の近さを感じたのは、翌日のことでした。その日の夜、応援団が選手を招く懇親会を開いたのです。最初、懇親会のことを聞いた時、私は「大会期間中の選手たちは参加しないのではないか」と思いました。すると、応援団の人はサラリとこう言ったのです。
「懇親会に選手たちが来るかどうかはわかりません。もしかしたら、ひとりも来ないかもしれませんね」
 つまり、応援団の人たちは決して選手の出席を強く求めてはいなかったのです。

 それは選手サイドも十分に認識していました。荒井秀樹監督は、選手たちにこう言ったそうです。
「無理をして出席する必要はない。本当に出たいと思う者だけ行こう。無理をして出るのは、かえって応援してくれている人たちに対して失礼になる。だから、自分の気持ちに素直になって決めなさい」
 そうして懇親会に出席したのは、3名。「懇親会に出たい」と思った人がその気持ちで出席したのです。

(写真:大会期間中、応援団が開いた懇親会に出席した久保選手<左から2番目>。和やかな雰囲気が印象的だった)
 とはいえ、私はその3人にはやはりどこかで「せっかく開いてくれたんだし、出た方がいいかな」という気持ちもあったのでは、と思っていました。しかし、実際に懇親会での様子を見て、選手と応援団の間には優しい「配慮」はあっても、「遠慮」や「無理」というものが、まったくないことが改めてわかりました。選手たちの表情に、どこか安堵する様子がうかがえたのです。話の内容も、他ではきっと言えないであろう、選手の本音が語られていたように感じられました。
「ここは選手たちのホームなんだ」
 応援団と談笑する選手たちの様子を見ながら、私はそう感じずにはいられませんでした。

 最近、パラリンピアンが企業に所属し、サポートを受け、競技生活を送る環境が整ってきました。多くの選手がこう言います。「会社のサポートで一番うれしいのは社員の人たちの心からの応援です」。これまではメダルを獲ったら誰に見せたいか、という質問に家族と答えていた選手がほどんどでしたが、今はそこに「会社のみんな」が加わっているのです。つまり、選手たちにとってサポートしてくれる会社や社員は「ホーム」なんです。

 4年に一度の世界最高峰の大会で選手はだれでも緊張状態にあります。そんな中、遠く離れた地に、安堵できる“ホーム”が日本から来てくれる。それがいかに選手の力となることかを、法被を着て選手の名を呼び続ける応援団が教えてくれました。

伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>
新潟県出身。障害者スポーツをスポーツとして捉えるサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND代表理事。1991年に車いす陸上を観戦したことがきっかけとなり、障害者スポーツに携わるようになる。現在は国や地域、年齢、性別、障害、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション活動」を行なっている。その一環として障害者スポーツ事業を展開。コミュニティサイト「アスリート・ビレッジ」やインターネットライブ中継「モバチュウ」を運営している。2010年3月より障害者スポーツサイト「挑戦者たち」を開設。障害者スポーツのスポーツとしての魅力を伝えることを目指している。著書には『ようこそ! 障害者スポーツへ〜パラリンピックを目指すアスリートたち〜』(廣済堂出版)がある。