2020年東京五輪・パラリンピックの開催が決定して、8カ月になろうとしています。「7年後」だった20年までは、もう「6年」。その6年もあっという間に過ぎてしまうことでしょう。だからこそ、東京五輪・パラリンピックの成功に向けて、今からやれることをどんどん実行に移していかなければいけません。NPO法人STANDでは、今夏より新事業がスタートします。「ボランティア・アカデミー」です。真のボランティア精神を涵養することで、6年後の本番には、ボランティアスタッフだけではなく、様々な立場やアプローチで、五輪・パラリンピックを盛り上げることができる人をたくさんつくりだそうというものです。
(写真:ソチパラリンピックのボランティアスタッフ。五輪をあわせて平均年齢は25歳だった<撮影/竹見脩吾>)
「ボランティア」というと、皆さんはどんなことを思い浮かべるでしょうか。多くの人が「無償で働くこと」を思い浮かべるでしょう。しかし、語源を見てみると、ボランティアが本当に意味するものは「無償」ではないことに気づかされます。

「volunteer」の語源は、ラテン語の「voluntas」で、「自由意志」という意味です。「vol」には「噴き出す」「飛び出す」という意味があり、火山のことを「volcano」といいます。つまり、「ボランティア」という言葉の重要な意味合いは「内側から湧き出てきたもの」であり、決して「無償であること」ではありません。「volunteer」には「志願兵」という意味があることからも、それは明らかです。ですから、日本語では例えばよく「ボランティアでお願いします」と言いますが、これは本来は誤った使い方ということが言えます。ボランティアは人からお願いされるものではなく、自らの意志に沿って行なうものだからです。

 「バリアフリー」と並ぶソチ大会のレガシー

 12年ロンドン五輪・パラリンピックは、世界から高い評価を受けました。その要因のひとつは、ボランティアスタッフの姿勢・態度にあったことは間違いありません。ロンドン大会ではボランティアスタッフは「ゲームズメーカー」と呼ばれていました。それは、「ボランティアスタッフひとりひとりが、五輪・パラリンピックを成功に導くための一員である」と位置付けられていたからです。実際に観客への対応、会場を盛り上げようとする姿勢は、訪れた人々から称賛されました。

 では、今年のソチ大会ではどうだったでしょうか。老若男女、さまざまなボランティアスタッフがいたロンドンとは違い、ソチの会場では若い人たちが多く活躍していました。これは、ロシアという国の歴史が深く関係しています。ロシアでは、ボランティアという文化はこれまでほとんどありませんでした。そんな中、ソチ五輪・パラリンピック開催決定後、大学生ら若者を中心にしてボランティアを文化として根付かせようとしてきたのです。

 実際11年に国内26カ所に設置されたボランティアセンターは、そのすべてが大学構内でした。おそらく、国際的な感覚を身に着けたい、将来世界へ羽ばたきたい、と考える学生たちが飛び込んてくると想定した戦略だったのでしょう。その結果、五輪とパラリンピックを合わせた2万5000人のボランティアスタッフの平均年齢は25歳と若い人たちが中心となったのです。

 そして現地には「選手村」ならぬ「ボランティア村」が設置され、スタッフは大会前から入村し、事前に長い研修を行って本番への準備が着々と進められてきたのです。国家としてボランティアに注力してきたことがうかがえます。

 パラリンピックの閉会式でIPCフィリップ・クレイブン会長が「パラリンピックで、ソチはバリアフリーシティになった」と語っていたように、パラリンピック開催は「バリアフリー」というレガシーをロシアにもたらしました。さらに将来、国を背負う若者たちにボランティア精神が芽生えたことは、バリアフリーに並ぶソチ五輪・パラリンピックのレガシーとなったはずです。

 内側から出てくるエネルギー

(人々の“内側から出てくるエネルギー”が大会を成功に導く大きな要因となる<撮影/阿部謙一郎>)
 こうしたロンドン、ソチでの経験から、私は東京五輪・パラリンピックの成功には、ボランティア精神が重要であることを痛感しました。そこで、STANDでは今夏に「ボランティア・アカデミー」を開校します。そこでは「無償で働く人」を養成するのではなく、参加者に「内面から湧き出てくるエネルギー」を見つけ出してほしいのです。

 アカデミーの卒業生全員に、東京大会のボランティアスタッフとなってほしいわけというわけではありません。重要なのは、「内側から出てくるエネルギー」、つまり自らの意志で五輪・パラリンピックの成功を支えようとする精神です。その気持ちをもって、20年を迎える人たちをひとりでも多く増やしたいのです。

 ですから、ボランティアスタッフになる人もいれば、観客の一員として自ら会場に足を運ぶ人もいる。またある人は街の中で、海外から観戦に訪れた人に、誇りやおもてなしの気持ちを持って接することでしょう。さまざまな立場や役割の人たちが、それぞれのアプローチで大会を盛り上げていくことができたら、どんなに素晴らしいでしょう。その根幹となるスピリットを広めていけるアカデミーにしたいと考えています。

伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>
新潟県出身。障害者スポーツをスポーツとして捉えるサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND代表理事。1991年に車いす陸上を観戦したことがきっかけとなり、障害者スポーツに携わるようになる。現在は国や地域、年齢、性別、障害、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション活動」を行なっている。その一環として障害者スポーツ事業を展開。コミュニティサイト「アスリート・ビレッジ」やインターネットライブ中継「モバチュウ」を運営している。2010年3月より障害者スポーツサイト「挑戦者たち」を開設。障害者スポーツのスポーツとしての魅力を伝えることを目指している。著書には『ようこそ! 障害者スポーツへ〜パラリンピックを目指すアスリートたち〜』(廣済堂出版)がある。