かつて、高原直泰は日本最強のストライカーだった。ジュビロ磐田時代の2002年には得点王、ベストイレブン、リーグMVPに輝いた。W杯にはドイツ大会に出場した。
 ドイツで6シーズンに渡ってプレー、フランクフルト時代の06〜07シーズンは11得点を記録した。


 一時期、高原はスケールの大きなFWとして、日本が誇る“希望の星”だった。しかしフットボーラーに与えられた時間は限られている。とりわけストライカーは賞味期限が短い。
 それでも、彼らは、まるで引力に抗うかのように年齢の壁に挑戦する。高原も例外ではない。

 さる3月21日、高原はJ2の東京ヴェルディからJ3のSC相模原に期限付きで移籍した。

 周知のようにJ3は今シーズンから開設されたカテゴリーで、プロリーグとはいえアマチュアの選手も混じっている。高原にとっては、決して自らのキャリアに見合ったリーグではないが、活躍の場を求めて相模原のオファーに応じた。

「自分自身が置かれている今の状況を変えたい」との思いが、高原の背中を押した。

「点を取ることを一番求められていると思うし、今までもそのことをプロとして意識してやってきたので、得点に常に絡めるようなプレーを第一に意識をしてやっていきたい」

 果たして彼は有言実行の男だった。

 移籍後初出場のブラウブリッツ秋田戦。高原は前線のくさびとなって、周囲の攻め上がりを待った。

 サイドハーフの菅野哲也は「高原さんがボールを収めてくれることで、裏へ抜け出しやすくなった。少ない手数でゴールまで向かえるので、攻撃の手間がかからない」と“高原効果”を口にした。
 後半28分にはヘディングで菅野のゴールをアシスト、41分にはPKを決めて勝利に貢献した。

 試合後、相模原の木村哲昌監督は高原をこう称えた。
「先制点の後“ここからだぞ!”と声を出していたのが高原。油断するな、ということでしょう。彼のスピリットは他の選手たちにも十分、伝わったと思います」

 34歳という年齢を考えれば、これから飛躍的にパフォーマンスが向上することは あり得ない。だが静かに日没を待つつもりはない。

 それでこそドイツで「スシボンバー」の異名と取った男である。もう一暴れも二暴れもして欲しい。

(この原稿は『週刊漫画ゴラク』2014年4月18日発売号に掲載されたものです)


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