日本サッカー協会には12の専門委員会がある。この中で最も世間からの注目度が高いのは技術委員会だろう。同委員会の仕事は代表監督候補者の推挙、代表チームの強化、ユース年代の普及、指導者養成など多岐に渡る。メディアに登場する機会も多く、協会きっての花形である。
 もともと、代表監督の選任などは、技術委員会の前身にあたる強化委員会の仕事だった。初の外国人監督ハンス・オフトは当時、強化委員長だった川淵三郎が選定し、決めた。

 委員長の権限を巡って揺れたのが加藤久がこの組織のトップだった時だ。委員会は1998「年フランスW杯を目指す代表監督にネルシーニョ(当時V川崎監督)を選定した。だが、これは協会会長・長沼健により、否決される。「(強化委員会には代表監督に関する)選定権はあっても決定権はない」。すったもんだの末に加茂周が続投した。

 日本代表のアシスタントコーチとしてフランスW杯を戦った小野剛は監督の岡田武史とともに大会後、協会に「三位一体の改革」を提案した。「強化、指導者養成、科学研究の3部分に連係が見られず、それぞれが孤立していた。これを融合させない限り、この国のサッカーに未来はない……」

 98年8月、フランスW杯後、強化委員会と指導委員会が統合するかたちで技術委員会が誕生する。なぜ技術委員会だったのか。小野は言う。「外国の協会に多く見られる“テクニカル・コミッティー”を直訳したからでしょう」

 ドイツW杯後の06年8月、小野は技術委員長に就任した。協会会長の川淵からの指示は「代表から育成年代まで、しっかりと将来を見据えたビジョンの下で指導を行ってくれ」

 先日、技術委員会の誕生に関わり、トップまで務めた小野に意見を求めた。日本サッカーの将来図を描き、そのための多岐に渡る仕事の中身を踏まえれば“戦略委員会”と改称した方がいいのではないか――。「確かにテクニカル・コミッティーとは言ってもストラテジーに関する仕事の方が多い。委員会の一番の仕事は10年後、20年後のサッカーをどうするか。そのための環境づくり。全委員がその認識を共有すべきでしょう」

 名は体を表す、という。もちろん中身を伴わないと意味はないが、組織の目的をより明確にする上でも改称が望ましいように思える。

<この原稿は14年7月2日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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