今から4年前のことだ。現在、愛媛県の松山城西ボーイズの総監督を務める二宮惠信の元に、1通のメールが届いた。小学3年から中学3年までの7年間、愛媛リトルリーグ、松山ファイターズ(現城西ボーイズ)で指導した有井祐人からだった。メールを開くと、そこには驚きの内容が書かれてあった。
「まさか、こんな思いを抱きながら高校3年間を過ごしていたとは……」
 衝撃にも似た感情とともに、二宮には喜びがこみ上げてきていた――。
 二宮が有井と初めて出会ったのは、有井が小学3年の時だった。当時、二宮がコーチを務めていた愛媛リトルリーグに、有井が入ってきたのだ。
「1学年上の子と見間違えるくらい、学年では大きな体をしていましたね。それと賢い子だな、という印象がとても強かった。例えば、内野の連係プレーや、外野と内野の中継プレーは、小学3、4年生には結構難しいものなんです。でも、有井は理解するのが早かったですね。こっちが伝えようとしたことを、すぐに理解して吸収してしまうんです」
 打っては打球を遠くへ飛ばし、投げてはボールが速かった有井は、学年が進むにつれてチームの中心選手となっていった。

 ボーイズリーグでも有井は、投手と内野手を兼任する中心選手として活躍した。中学3年時には四国代表として全国大会にも出場している。そんな有井を、県内の強豪校が放っておくはずはなかった。済美、今治西、新田など、いくつもの誘いがあった。もちろん二宮も、有井には強豪校での活躍を期待していた。だが、有井は野球から離れる道を選んだ。

 当時、有井は県内随一の進学校で中高一貫制の新田青雲の附属中学に通っていた。そのため、新田青雲高校にそのまま進学することができた。しかし、ひとつ問題があった。それは新田青雲には野球部がないということだった。中学時代はボーイズリーグに入り、学校では陸上部に所属していた。だが、高校では学校のクラブ活動以外で野球を続ける道はない。野球か、それとも勉学の道か――。果たして有井が選択したのは勉学だった。
「小学校から塾に通って、勉強も頑張ってきた。だから、それも大事にしたかったんです。野球部のある進学校を受験することも考えましたが、結局踏み切れずに、新田青雲に残ることにしました」

 この選択を聞いた二宮は、なんとか高校以外で野球ができないかと奔走した。
「高い素質を持った選手でしたから、3年間、ボールを触らないというのは、あまりにももったいないと思いました。そこで、県内の社会人チームや独立リーグのチームに、有井を練習生として参加させてもらえないかとお願いに行ったんです」

 しかし、「高校では勉強に集中したい」という有井の意向により、それはかなわなかった。結局、有井は高校ではサッカー部に所属した。持ち前の運動センスで、ここでもやはりレギュラーとして活躍。野球にはほとんどかかわることはなかった。そして、二宮とも疎遠になっていった。

 二宮に有井からのメールが届いたのは、その3年後のことだった。その内容に、二宮は驚きを隠せなかったという。
「六大学で野球をやるために東京大学を受験し、合格したというんです。東大合格にもビックリしましたが、それ以上に大学でまた野球をやろうと思っていたということをその時初めて知って、本当に驚きました。そして、本当に嬉しかった。そのメールには、高校に入る時に、いろいろとお世話になったのに野球を続けず、期待に応えられなかったことへの謝罪と、それから高校で野球をやっている同級生たちを見ながら、自分は絶対に六大学で活躍するんだ、という気持ちで3年間を過ごしてきたことなど、彼の気持ちが綴られていました。『そうだったのか……』と感慨深かったですね」
 二宮は、この時のメールを今も大事に保存している。

 有井の野球への思いは、高校3年間、まったく変わることはなかったという。
「高校野球を諦めた時点で、僕は大学で野球をやると決めていました。だから、甲子園を見ても、羨ましいとは思いませんでした。もともと球技、とりわけチームで行なうものは大好きで、高校時代はサッカーに全力で取り組みました。レギュラーも掴み、高校の同期や先輩、後輩と練習に励んだ日々、試合もすべてが今の自分の財産になっています。でも、やっぱり野球への気持ちが薄らぐことはありませんでした。サッカー部の友人にも、『大学では野球をやる』と、ずっと言っていましたから」
 2011年4月、有井は東大野球部の一員となった。 

有井祐人(ありい・ゆうと)
1992年10月23日、愛媛県生まれ。小学3年から、えひめリトルリーグに入り、野球を始める、新田青雲中学時代は松山ファイターボーイズで野球を続け、学校では陸上部に所属。新田青雲高校ではサッカー部に入る。2011年、目標だった東京大学野球部に入部。当初は投手としてレギュラーを目指したが、同年秋季リーグ後に外野手に転向。翌年からベンチ入りし、3年春には4番に抜擢されるなど主力として活躍。今年は主将に就任し、10年秋以来となるリーグ戦白星を目指している。175センチ、79キロ。右投右打。

(文・写真/斎藤寿子)




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