2014年5月25日、東京大学は春のリーグ最終戦を迎えていた。相手は史上最多44回の優勝を誇る法政大学。有井祐人は前日に続いてのスタメン出場となった。開幕前にヒザを故障した有井は前日、シーズン初のスタメン入りを果たしていた。だが、2打席連続で三振した有井に、浜田一志監督は交代を命じた。
「これで明日の最終戦でのスタメンはないな、と思いました。2打席とも、あまりにも内容の悪い三振でしたから……」
 ところが翌日、打順は6番に下がったものの、有井は再びスタメンに選ばれたのだ。気合いが入らないわけはなかった。しかし、それが空回りする。1打席目、またも三振。果たして、このまま最後の春を終えてしまうのか――。
「甘い球を見逃したり、あるいはファウルにしてしまって、追い込まれた後の変化球を振らされる……。前日の2打席を含めて3打席連続で、同じような三振をしていました」
 もう同じミスを繰り返すことは許されなかった。有井は真っ直ぐだけを打つことだけを考えて、最終戦の2打席目に入った。結果的にはこの打席も三振に終わった。だが、それまでの三振とは、内容はまるで違っていた。それまで見逃し続けた初球のストレートを、思い切り引っ張った。大きな弧を描いた打球は、惜しくもレフト線に切れていった。だが、このファウルに、有井は久々に手応えを感じていた。さらにこれまでどうしてもバットが出てしまっていた2ストライクに追い込まれてからのスライダーを、有井はきっちりと見送る。結局、三振をしてベンチに戻るも、有井に落胆の色は見えなかった。「次の打席は絶対に打てる」。いい感触をつかんでいた。 

 迎えた第3打席は、2死満塁のチャンスに巡ってきた。迷いはなかった。「真っ直ぐを打つ」。それだけだった。初球、2球目の変化球には手を出さなかった自分に、「ボールが見えている」と、有井は自信を深めていた。そして3球目、待っていたストレートを打ち返した。ライナー性の打球が左中間へと飛んでいった。走者一掃のタイムリー二塁打。実は、これが有井にとって、記念すべき大学初の打点だった。

 本人以上に喜んでいたのは、スタンドで応援していた父・豊だったかもしれない。愛媛から東京は簡単に行くことのできる距離ではない。前年まで豊は一度も明治神宮球場を訪れてはいなかった。だが、東京大学野球部では、主将の親は保護者会の会長に就任し、春秋の開幕戦と最終戦には顔を出すことが義務付けらている。そのため、豊は開幕戦に続いて、最終戦をスタンドで見守っていたのだ。

「息子が野球をやっている姿を見るのは中学以来ですよ。開幕戦はケガをしていて、代打で出たけれど、一塁へ走ろうとした途端にうずくまってしまった。『あぁ、ちょっとまだ出るのは早かったかぁ』と。でも、最終戦で2本もヒットを打ってくれた。しかも大学での初打点を見れたわけですからね。やっぱり、嬉しかったですよ」
 
 試合後、2人は食事に出かけた。その時、父・豊にはまたひとつ嬉しい出来事があった。
「息子が薬局に寄りたいと言うので、『何でも買ってやるぞ』と私が言ったんです。最初は洗剤だけしか言っていなかったのに、薬局に着いたら『これもいい? あれもいい?』って他のものもカゴに入れるんですよ。そんなふうにして私に甘えてくれたのが嬉しくてね。子どもの時から遠慮するような子でしたから、なおさら親としては嬉しかったんです」
 電話口の向こうで優しく微笑む父・豊の顔が想像できた。

 “誇り”と“勇気”を求めて

 有井にとって、野球中心の生活は、今年の秋季リーグが最後となる。卒業後は、競技として続けるつもりはないという。だからこそ、最後の秋にかける思いは強い。
「秋は僕にとって、野球人生の集大成となります。だからこそ、両親をはじめ、ここまで応援してくれた人たちに勝利というかたちで恩返ししたい。この夏は、自分の限界を超えるくらいがむしゃらに練習して、秋は必ず1勝を挙げたいと思っています」

 76連敗――。この成績に、東京六大学野球リーグに東京大学が所属する意味を疑問視する声は決して少なくない。「他のリーグの2部や3部にいくべきじゃないのか」。そんな意見もある。だが、有井は4年間、同リーグでの1勝にこだわり続けてきた。その真意とは――。
「確かに、レベルは他の5大学とは雲泥の差がある。それでも、僕たちは勝つことを決して諦めていないし、そのための努力も怠りません。そして、何よりこんな僕たちのことを東大関係者はもちろん、他大学の人までが応援してくれるんです。甲子園経験者もいない、野球推薦もないという環境の中、僕たちは勝つために考えて考えて、必死で練習している。そんな中で1勝することができれば、自分たちにとって誇りとなり、その後の人生の糧となるはずです。そして、そんな僕たちを応援してくれる人たちにも勇気を与えることができるんじゃないかと思っています」

「六大学で野球をするために」東大を受験し、入学後は4年間、「野球中心の生活をしてきた」という有井。だが、それは東大野球部にとって、決して珍しい話ではないようだ。彼らがいかに真剣に野球に打ち込み、決して片手間で野球をやっているわけではないことは、練習する姿をみれば一目瞭然である。そんな彼らに、勝利の女神はいつ微笑むのか。この秋、有井の野球人生の最終章が幕を開ける――。

(おわり)

有井祐人(ありい・ゆうと)
1992年10月23日、愛媛県生まれ。小学3年から、えひめリトルリーグに入り、野球を始める、新田青雲中学時代は松山ファイターボーイズで野球を続け、学校では陸上部に所属。新田青雲高校ではサッカー部に入る。2011年、目標だった東京大学野球部に入部。当初は投手としてレギュラーを目指したが、同年秋季リーグ後に外野手に転向。翌年からベンチ入りし、3年春には4番に抜擢されるなど主力として活躍。今年は主将に就任し、10年秋以来となるリーグ戦白星を目指している。175センチ、79キロ。右投右打。

(文・写真/斎藤寿子)




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