風前の灯とは、このことだ。近年の勢いからして、一度抜かれたら抜き返すのは至難だろう。どこまで持ちこたえられるのか。
 夏の都道府県別甲子園勝率1位は愛媛県の6割5分(115勝62敗1分)。1953(昭和28)年の第35回以来、60年も首位の座を守り通している。以下、2位・大阪府6割4分9厘(155勝84敗)、3位・神奈川県6割3分2厘(117勝68敗)、4位・和歌山県6割1分8厘(118勝73敗1分)、5位・広島県6割1分3厘(111勝70敗1分)、同・高知県(87勝55敗)と続く。
 1位・愛媛県と2位・大阪府の差は、わずか1厘。今大会、初戦で大阪府代表が勝ち、愛媛県代表が負ければ、その時点でトップは入れ替わる。

 実は昨年の大会前も愛媛県と大阪府の差は、6割5分1厘と6割4分8厘で、わずか3厘差。ともに3回戦敗退だったが大阪桐蔭が2勝1敗、2年生の剛腕・安楽智大を擁した済美が1勝1敗だったため、2厘縮まったものの、かろうじて首位陥落は免れた。

 首の皮一枚でつながった首位の座。しかし首の皮は年々、薄くなってきている。窮状から脱するには、何が必要か。「残念ながら、今の愛媛県勢は甲子園に出ること自体が目標になっている。甲子園で上を目指すには、何をすべきか。そこが見えてこない」。そう語るのは、1969(昭和44)年夏、三沢との死闘を制し、頂点に立った松山商のエースで元朝日新聞記者の井上明だ。「かつて愛媛の野球といえば守りだった。しかし、もう守りだけでは勝てない。パワーやスピードも必要です。昔は伝統校のユニホームを見ただけで相手はビビったものだけど、今の選手はユニホームの下の筋肉を見ている。伝統の力に頼るような時代じゃない。パワーで勝てないのなら、それを上回る正確な野球、戦況に応じた野球を身に付けるしかない。これは愛媛県だけじゃなく地盤沈下の目立つ四国全体についても言えることですが…」

 伊予の地に野球を伝えたのは松山市出身の正岡子規である。1889(明治22)年夏、弟子の河東碧悟桐にキャッチボールを教えた。練兵場で行った子規のノックの腕前は相当なもので、それを見たさに多くの人々が集まった。それが愛媛の野球の起源だと言われている。時は平成、落日の王国を、子規は草葉の陰から、どんな思いで見守っていることだろう。

<この原稿は14年7月30日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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