日本代表の新監督に、ハビエル・アギーレの就任が発表されました。彼が日本のいい部分をどう生かし、ブラジルW杯で世界との差を見せつけられた部分をどう修正するのか。ひいては日本サッカーをどの方向へ導くのかが非常に楽しみです。
 “守備的なサッカー”の本質

 アギーレは選手としても指導者としても豊富な経験を持っています。キャリアの中で多くの失敗をしたでしょうが、その分、そこから立ち直って成功したケースもあったと思います。実体験に基づいて、選手たちに具体的なアドバイスができるでしょう。

 またアギーレは守備的なサッカーを好むとの情報もあります。しかし、これは引いて守りを固めるということではなく、しっかりとした守備の上に成り立たせるサッカーと私は捉えています。つまり、問われるのはディフェンスの質です。

 ゴール前にセンタリングを放り込まれた時、DFが優先すべきなのは、ゴールから遠いところへボールをクリアすること。たとえば右サイドからのクロスであれば、同サイドへクリアするのがベストです。相手の人数が揃っている中央へ弾き返してしまうと、セカンドボールを拾われて波状攻撃につなげられる可能性が高まります。クリアする方向をある程度、チームで統一できれば、セカンドボールに対する反応を速めることも可能です。

 そして前線からのプレスもDFは常に100パーセントの力で行う必要はないと考えています。焦ってプレスに行ってスペースを与えてしまったほうが、リスクは大きくなりますからね。相手のDFが余裕のある状態でボールを持った時は、FWには攻撃の進行方向を限定させる。そして1.5列目、ボランチ、サイドバックと連係しながら、最終的にはGKとの位置関係を確認してシュートコースを切ればいいのです。もちろん、シュートを打たれる前にボールを奪うに越したことはありません。大事なのは、ボールを奪えそうな時と、そうでない時の対応を全体で統一しておくことです。

 日本の良さは組織的に動けること。アギーレには、この点を生かしながら、守備のクオリティを高めていってほしいですね。

  戦い方の引き出しを増やせ

 今回のW杯で日本のグループリーグ敗退が決まった後、私は「ひとつの戦い方では勝てない」と指摘しました。ドイツやオランダなど、W杯で結果を残したチームは相手や試合状況によって臨機応援に戦い方を変えていました。特にドイツは縦へ速い攻撃を仕掛けることも、ポゼッションを高めてじっくりと攻めるかたちも持っていましたね。

 日本のかたちは、ポゼッションを高めつつ、速いパス回しで相手の組織を崩すというものでした。確かに、このスタイルでチャンスをつくり出せていた時間帯もありました。しかし、結果は3試合で2ゴール……。おそらく、対戦相手の守備陣は同じかたちを繰り返す日本に怖さをさほど感じなかったでしょう。

 やはり、攻勢を強めても均衡が破れない時には、少し引いてカウンターを狙ったり、後方でボールを回してゆっくりと攻撃を組み立てるなどの判断も必要だと私は思います。それはリードしている時に、リスクを冒さないために攻勢を弱めることとは意図が異なります。「日本のかたちはひとつではない」と意識させるのです。戦い方をガラリと変えることで緩急をつける。日本がスタイルを切り替えれば、相手もそれに対応するためにポジションなどを修正する必要が出てきます。この切り替え時に生じる組織のギャップを突くのです。

 試合で緩急をつけるには、戦い方の引き出しを増やす必要があります。それには、チームとしてさまざまな環境で実戦経験することに尽きるでしょう。たとえば海外でのアウェー戦では、ホームでは見えない課題を確認できることが少なくありません。でこぼこのピッチ状態ではうまくパスを回せないから、ロングボールを放り込む必要性も出てきます。その方法をうまく実行できなかったなら、今後も似た試合状況が訪れることを見据えて、精度向上に努めなければいけません。

 おそらく海外でプレーする選手は、“壁”にぶち当たり、乗り越えるという作業を多く体験しているはずです。個人としての引き出しの数は以前よりも増えていると思います。一方で、国内でプレーする代表選手は、日本が遠征した時とクラブが出場する国際大会くらいしか海外のアウェーで戦う機会はありません。島国の日本としては代表でアウェー戦の機会を確保することが、世界との差を縮めるカギになるでしょう。

 経験豊富なアギーレの下、日本が二の手、三の手と引き出しの多いチームになってくれることを強く願っています。

●大野俊三(おおの・しゅんぞう)<PROFILE>
 元プロサッカー選手。1965年3月29日生まれ、千葉県船橋市出身。1983年に市立習志野高校を卒業後、住友金属工業に入社。1992年鹿島アントラーズ設立とともにプロ契約を結び、屈強のディフェンダーとして初期のアントラーズ黄金時代を支えた。京都パープルサンガに移籍したのち96年末に現役引退。その後の2年間を同クラブの指導スタッフ、普及スタッフとして過ごす。現在、鹿島ハイツスポーツプラザ(http://kashima-hsp.com/)の総支配人としてソフト、ハード両面でのスポーツ拠点作りに励む傍ら、サッカー教室やTV解説等で多忙な日々を過ごしている。93年Jリーグベストイレブン、元日本代表。

*ZAGUEIRO(ザゲイロ)…ポルトガル語でディフェンダーの意。このコラムでは現役時代、センターバックとして最終ラインに強固な壁を作った大野氏が独自の視点でサッカー界の森羅万象について語ります。
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