今夏の甲子園、準決勝で優勝した大阪桐蔭に力負けしたものの、5試合で 58得点を挙げた福井代表・敦賀気比の打棒には恐れ入った。猛打の秘密は、 12月前から2月にかけての一日千本の素振りにあるという。千日ならぬ百日の行だ。しかも6秒刻みでバットを振り続けたというのだから、その過酷さたるや尋常ではない。トレーニングというよりも鍛錬といった趣だ。
 素振りと聞けば、王貞治の求道者のような姿が頭に浮かぶ。若き日々、荒川道場での素振りは、宿舎の畳が破れるまで続いた。王は素振りの効能を、こう説いた。「余計な筋肉を鍛える必要はない。バットを振るのに必要な筋肉さえ強くすればいいんです。それには素振りが一番。別に野球選手は腕相撲をするわけじゃないし、重い物を持ち上げることもないんだから。要はいかにしてバットを鋭く振れるか。そこでしょう」

 素振りにまつわる逸話を、もうひとつ。巨人の監督時代、長嶋茂雄が松井秀喜を4番打者として育てるにあたり、素振りを重視したことは広く知られている。なぜ素振りだったのか。長嶋はこう語っている。

<素振りは単純な運動ですが、バットマンの技術のエッセンスであり、土台です。単純だから難しい。>(おとなの安心倶楽部)。素振りは宿舎の部屋はもとより、長嶋家の地下室でも行われた。とりわけ長嶋がこだわったのはバットが風を切る音だった。

 では、どんな音がいいのか。以前、松井本人から聞いた話。「高くて鋭い音がいいと言うんです。例えばヒュッと空気を切り裂くような音。これが一番いいと。逆に悪い時はボワッという音がする。スイングが鈍いため、空気が乱れてしまうんでしょう。確かに音が(部屋に)広がっていく時は、試合でもあまりいい結果が出なかったですね」

 しかし長嶋によれば、素振りの最大の目的は<技術的な面よりも心を磨き、精神を鍛える>(同前)ことにあったという。<集中力が養われ、周囲の状況に左右されない揺るがない心を作る>。そして、こう結ぶ。<カタカナのメンタル・トレーニングとは明らかに違います>。

 先に敦賀気比の素振りを「鍛錬」と書いたが、「修養」という言葉も付け加えておく必要がありそうだ。ベースボールとは似て非なる日本野球の原点を見る思いがした。

<この原稿は14年8月27日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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