西本恵「カープの考古学」第74回<カープ再び危機――長谷川引き抜き事件編その6/名古屋軍の執念>

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 カープは、3年目のシーズンインを控え、さまざまな問題に襲われていた。その一つが同じセントラル・リーグの名古屋軍による、エース長谷川良平の引き抜き事件であり、もう一つは、プロ野球1リーグ化へ向けた動きである。ただ、この1リーグ化へ向けた動きは、話し合いのみ行われるだけにとどまり、実際に進展することはなかった。いっぽう、長谷川の引き抜き事件は、昭和27年1月14日にカープ代表の河口豪と、名古屋軍との話し合いにより、いったんの解決をみたのは前回の考古学でお伝えした。

 

問題解決に動くセ・リーグ

 ところがそう簡単には終わらないのが、この問題の根深いところである。同年1月16日に名古屋軍の思いを中国新聞は伝えている。

<長谷川断念せず>

 名古屋軍代表中村三五郎のコメントが大々的に掲載された。

<「長谷川を断念したといった覚えもない、長谷川獲得は決してあきらめない」>(同前)

 

 前々日までの流れでは、カープ球団代表の河口が、名古屋軍代表の中村と会談を行い、共同声明として、河口が代表する形で記者発表を行っている。しかし、その内容を覆すコメントが発表の2日後には新聞紙上に掲載されたのだ。あわてたのは、カープ球団である。

 すぐさま、河口はコメントを発表した。

<「中村氏が長谷川工作を続けるのならばセ・リーグ理事会でも問題になって中村氏の立場もますます悪いものになる」>(同前)

 こうしたやりとりが続く中で、セ・リーグは、組織を強化すべく、動き出していた。これは、プロ野球における1リーグ化を防ぐ意味合いが大きいのではないかと思われる。

 

 ただ、仮に1リーグ化への議論が加速していれば、親会社のない市民球団であり、後援会からの資金カンパで支えられているカープの存続は難しかったのではなかろうか。1リーグ化へ向けた動きに対し、セ・リーグは組織改編に乗り出す。これまで組織幹部であった会長の職に加え、副会長を置き組織強化へと動き出した。

<難航していた会長には現セ・リーグ顧問鈴木龍二氏を迎え、新たに副会長制を設け、これに巨人軍代表宇野庄治氏の就任を求めることに内定>(「中国新聞」昭和27年1月28日)

 

 宇野氏が副会長になった。さらに、併せて進められていたセ・リーグの調停委員制度が発足する。発足の理由の一つには、当然ながら長谷川問題の解決を狙ったものである。

<現在一部の球団で起きている選手と球団間の紛争を調停するため、調停委員会を設置することになり>(「中国新聞」昭和27年1月23日)と発表された。その調停委員会のメンバーは、喜多壮一郎(元代議士)、宇野(巨人軍代表)、河口(広島代表)、坪内道典(名古屋軍)、川上哲治(巨人軍)である。こうした委員会を設置するほど長谷川問題がセ・リーグ全体からしても大きな問題であったことかがうかがえる。

 

 カープの選手らの動きも活発化する。元々、年明け早々から、カープから名古屋へと遣いを送っていた。長谷川とも交流の深い武智修や、久森忠男マネージャーらが、名古屋から戻った後の思いを語っている。長谷川本人の、今回の一連の事件の動機についてだ――。

<動機は姉さんが他家へ嫁して実家が母親一人でさびしくなったためでもあり、親類も彼が郷里に帰ることをすすめ>(「中国新聞」昭和27年1月23日)

 親類付き合いが盛んとされる名古屋らしさがあってか、親類からも戻るようにすすめられた。さらに長谷川個人の理由としては、母親の面倒をみたいという、実に切実な思いが伝えられた。彼の思いに付け込んだ、策士ともいえる小野稔の長谷川誘導策から逃れることなどできようはずもなかった。いずれにせよ、名古屋軍は諦めないのである。

<かねて長谷川を手中にと思っていた名古屋軍がこの間の事情を知って大きく動いたためである>(同前)

 

 小野の動きはやまなかった。再び、長谷川の移籍問題が続くのである。組織を強固にしたセ・リーグの理事会も動く。選手の移籍交渉は各球団代表者においてのみ行う旨の取り決めがなされたのだ。

<「長谷川問題に関連して、『選手の移籍交渉は、各球団代表者間においてのみ行い、第三者もしくは選手直接の交渉は一切認めない』」>(「中国新聞」昭和27年1月28日)

 これで、再び解決をみる長谷川の引き抜き事件。石本秀一監督をはじめ、後援会も安堵したであろう。しかし、長谷川が広島に戻るという朗報は一切聞かれなかった。

 

揺れるオフ唯一の朗報

 長谷川問題で揺れるカープは2月1日から、広島市民球場(当時。現在の県庁付近にあったバックスタンドのみの球場)での冬季練習(春季キャンプのこと)に入った。その数日後にキャンプの会場は、広島総合球場に場所を移した。しかしながら、この時期になっても第一戦級といえる戦力補強ができず、人数だけは揃えようと動いていた。門前真佐人、藤原鉄之助、上野義秋らベテラン勢が新戦力として名を連ねた。新戦力の中で、唯一光る原石があった。

 

<大田垣投手 カープ入り>(「中国新聞」(昭和27年1月21日)

 この大田垣喜夫こそ、長谷川不在のシーズンインを迫られる中で、その穴を埋めるべく大躍進を見せる投手である。カープの勝ち星の約4割を担った長谷川の穴を埋める投手など、居るはずがないと思われた中、わずかな期待がかかった。

<「セ・リーグ廣島カープでは二十日、大田垣喜夫投手(一九)=尾道西高=と契約した、大田垣投手は五尺六寸(※約172cm)、右投右打、中国地方ではさきに大洋ホエールズと契約した小倉投手(観音)と並び稱された好投手である>(同前)

 

 余談であるが、この時点では、観音高校の投手・小倉薫の方が、大田垣よりも評価が高かったのは否めない。広島高校野球の名門、広島商業が学制改革の流れにより、昭和24年から29年までの一時期、観音高校の商業科になった。<学制改革により、広商廃校>(『広商野球部百年史』)。昭和26年、広島の原爆からの復興を願い開催された広島国体において、甲子園出場校を倒し、観音高校を優勝に導いた投手が小倉だった。

<投げてはエース、打っては4番の重責を果たし>(同前)というチームになくてはならない存在であった。さらに球の威力に関してはこうある。

<針の穴を通す絶妙のコントロールに裏付けられたカーブに加え打者の懐に喰い込むシュート><切れのあるストレートは常時145キロの速さを記録していたのではないか>(同前)

 

プロ入り前年の夏の甲子園、広島県大会の決勝で、尾道西高校のエースで4番の大田垣を破って、西中国大会にコマを進めたのが、小倉を擁する観音高校であった。西中国大会で敗れたため、甲子園出場はならなかった。だが、この年、広島県下を沸かせたのが、小倉であり、大田垣でもあった。

 

 こうなると広商の流れを汲む観音の小倉を、広商OBらが幹部にいるカープに入団をと考えるのが、常であろう。ところが、お隣山口県にある大洋漁業をバックにした大洋ホエールズが獲得したのだ。条件面では、到底及ばない広島カープでは獲得ができなかったのではなかろうか。

 

 小倉の大洋入団が注目され、少しばかり控えめな入団となった大田垣の入団コメントがある。

<「僕はカープファンの一人でしたが、まさかカープのユニフォームを着るようになるなど夢にも思っていませんでした」>

<「一生懸命練習し早く一人前の投手になりたいと思います>(共に「中国新聞」昭和27年2月3日)

 

 この大田垣、入団からわずか2カ月後、昭和、平成、令和の時代を超えても破られることのないNPBの大記録を達成するのである。

 

 さあ、カープのエース長谷川引き抜き事件は、セ・リーグ理事会の介入により、解決に向かうはずであるが、長谷川が広島に戻る気配など一向にないのである。カープの脆弱さも原因の一つだろう。この時、ある救いの女神が現れた。1人の女性のスクランブル出動により、長谷川引き抜き事件は、新たな展開を生むのである。事の詳細は次回のカープの考古学にご期待あれ。

 

【参考文献】

「中国新聞」(昭和27年1月16日、21日、23日、28日、2月3日)、『広島スポーツ史』河野徳男(財団法人 広島県体育協会)、『広商野球部百年史』広商野球部百年史編集委員会(広島県立広島商業高校)

 

西本恵(にしもと・めぐむ)プロフィール>スポーツ・ノンフィクション・ライター
1968年5月28日、山口県玖珂郡周東町(現・岩国市)生まれ。小学5年で「江夏の21球」に魅せられ、以後、野球に興味を抱く。広島修道大学卒業後、サラリーマン生活6年。その後、地域コミュニティー誌編集に携わり、地元経済誌編集社で編集デスクを経験。35歳でフリーライターとして独立。雑誌、経済誌、フリーペーパーなどで野球関連、カープ関連の記事を執筆中。著書「広島カープ昔話・裏話-じゃけえカープが好きなんよ」(2008年・トーク出版刊)は、「広島カープ物語」(トーク出版刊)で漫画化。2014年、被爆70年スペシャルNHKドラマ「鯉昇れ、焦土の空へ」に制作協力。現在はテレビ、ラジオ、映画などのカープ史の企画制作において放送原稿や脚本の校閲などを担当する。2018年11月、「日本野球をつくった男--石本秀一伝」(講談社)を上梓。2021年4月、広島大学大学院、人間社会科学研究科、人文社会科学専攻で「カープ創設とアメリカのかかわり~異文化の観点から~」を研究。

 

(このコーナーのスポーツ・ノンフィクション・ライター西本恵さん回は、第3週木曜更新)

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