振り返ってみると、歴代の日本代表を率いた外国人監督は、マッカーサー・タイプか否か、だったように思う。つまり、いわゆる“上から目線”で日本を見ていたか否か、である。
 典型的なマッカーサー・タイプはトルシエだった。彼がかつてのGHQ司令官を知っていたかどうかはともかく、その接し方はまさしく、「日本人12歳説」そのものだった。

 後にFC琉球で一緒に仕事をするようになってから、彼が監督という仕事を「演じていた」ことはよくわかった。もちろん本気で激怒していることもあるが、同時に、感情を爆発させた自分に対して相手がどういう反応を見せるか、冷静に観察もしていた。外から見ていた以上に、彼が日本を愛し、その文化を尊重していたこともわかった。

 ただ、そうは言っても監督としての彼が、絶対君主であったことは間違いない。そのチームづくりは、選手たちを徹底的に“トルシエ色”に染めることでもあった。

 強権的なチームづくりに激しい反発を覚えていたわたしは、ゆえに、前任者に比べればはるかに日本を理解し、尊重してくれていたジーコ監督を大いに歓迎した。安定はしていたけれど、まるで娯楽性のなかったそれまでとは違う、美しい日本代表が生まれるのではないかと期待した。

 ところが、ドイツでの日本代表は意外なぐらいモロかった。4年前のチームは、土壇場になってトルシエのやり方を選手たちが否定し、結果として新しいスタイルを生み出していったが、最初から個が尊重されていたジーコのチームでは、結局、何も新しいものは生まれなかった。

 ジーコの後を継いだオシムにも、日本選手を子供扱いしているところがあった。悪い意味ではない。経験豊富な老将から見れば、ほとんどの国のサッカーは子供か孫のようなものである。高圧的な態度ではなく、理で説いていったとはいえ、選手を自分色に染めようとしていた点はトルシエと共通する部分もあった。

 前監督のザッケローニは、例外的にどちらでもなかった印象がある。自分のやり方に強い自信を持ちつつ、日本人の可能性を尊重した彼は、W杯での手痛い失敗がなければ、伝説的な名将として日本人の記憶に残っていただろう。

 さて、アギーレ監督はどちらのタイプか。どうやら、絶対君主ではないらしいことはわかってきた。ブラジル相手にしてのあのメンバー構成は、彼が日本選手の実力を過大なまでに評価していることの表れでもある。

 ジーコの時代、日本の選手たちは初めて与えられた自由と責任を上手く扱うことができなかった。うるさいほど指示をしてくるタイプではない監督のもとで、どんなチームが生まれていくのか。これは、日本サッカーの成熟を見るいい機会でもある。

<この原稿は14年10月16日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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