わたしが愛してやまないボルシアMGはドイツ中西部、オランダ国境にほど近い街を本拠地としている。街に1軒しかない中華料理店でめん類を注文すると、パスタで代用したラーメンや焼きそばが出てくるような田舎町である。
 初めてこの街を訪れた88年、わたしは当然のようにオランダにも足を延ばした。まず立ち寄ったのは、宿探しのためのインフォメーションセンターである。国境を越えたとはいえ、メンヘングラッドバッハからの距離は1時間ちょっと。「すいません、この街の安くて清潔な宿を探しています」という言葉を、わたしはぎこちないドイツ語で伝えた。
 窓口の中年女性は激怒した。

「あなたは日本人よね、なんでそんな言葉を使うの? 英語を話しなさい!」

 隣国同士は仲が悪いもの、という知識ならば持っていた。ただ、外国人旅行客が使う片言の言葉までが怒りをかきたてる対象になるとは、まったくもって予想外だった。

 以後、オランダのサッカー場であちこちでドイツに対する反感に出くわすことになった。00年の欧州選手権では“ドイツ国旗をトイレットペーパーにして尻を拭いている男性の絵”がプリントされたTシャツが売られていた。

 侵略した側だったというのも関係しているのだろうが、ドイツにいてオランダに対する反感を感じたことはあまりない。ただ、一時期のドイツ・サッカーが頑ななまでにオフサイド・トラップを嫌っていたのは、ハメ手のような戦術が国民性に合わなかったのと、もう一つ、世界最高の使い手がオランダだったから、という点が大きかったという話は聞いたことがある。

 いま、両国の国民感情はどうなっているのだろう。

 EUが誕生してしばらくたっても、ドイツでプレーするオランダ人、オランダでプレーするドイツ人はなかなか増えなかった。

 もちろん、いまでもある種の対抗意識のようなものは残っているだろう。ただ、たとえばバイエルンの試合を見ている限り、ドイツとオランダのギスギスした空気は微塵も感じられない。ロッベンを愛するオランダ人は、バイエルンを憎めなくなり、バイエルンを愛するドイツ人は、オランダ人に感謝するようになった。ほかでもないサッカーが、スポーツが、政治や歴史の産物にちょっとした変化をもたらしたのである。

 先日、わたしが愛してやまないもう一つのチーム、阪神のオ・スンファンがCSのMVPに選ばれた。このご時世、空気感の中での受賞は、決して小さくない価値がある。

 隣国同士は仲が悪いもの、なのかもしれない。無理に親しくなる必要もないのかもしれない。けれども、関係を悪化させてえられるものは、たぶん、ない。

<この原稿は14年10月23日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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