遅咲きながら、世界の舞台で大輪の花を咲かせた。
 8月にロシア・チェリャビンスクで開催された世界柔道選手権。女子57キロ級を制したのは、29歳の宇高菜絵だった。同級のロンドン五輪金メダリスト・松本薫がまさかの2回戦敗退を喫する波乱の展開も、宇高は着実に勝利を重ね、決勝では延長線の末にテルマ・モンテイロ(ポルトガル)の反則を誘い、悲願を達成した。2010年の世界柔道では期待されながら3回戦負け。それから4年、愛媛生まれの柔道家は、いかに日の当たらない冬を乗り越え、表彰台の一番高いところで春を迎えたのか。二宮清純が本人に行ったインタビューを4回に分けて紹介する。
 リラックスを意識

二宮: 世界柔道、優勝おめでとうございます。初の世界チャンピオンに輝いた率直な感想は?
宇高: 他の国際大会での優勝とは違う感情ですね。世界柔道で勝つために今までやってきたんで、やっとたどり着いたという思いです。それに尽きますね。

二宮: 29歳での初優勝は柔道の世界では、かなり遅い部類に入ります。出場自体、4年ぶりでした。どんな思いで大会に臨んだのでしょう。
宇高: 初めて2010年に世界柔道の舞台に立ったのに、そこからうまくいかない時期が続きました。もう1回、世界柔道の舞台に立つ。これを目標にやってきたので、まずは、そこまで続けてこられたことに対して、周りの人に感謝の気持ちでいっぱいでした。自分自身に対しても、よく頑張ったなという思いがありましたね。

二宮: 最初から優勝を強く意識していたわけではなかったと?
宇高: 2010年は優勝を考えすぎて、緊張して負けてしまいました。だから、リラックス、リラックスと自分に言い聞かせていましたね。

二宮: 緊張しやすいタイプ?
宇高: はい。メンタルが一番の課題でした。2010年の世界柔道で負けて、その後の講道館杯でも勝てなかった。その頃は試合になると、緊張しすぎて力が入らず、足がフワフワ浮いた感覚になったり、逆に力が入りすぎて体が思うように動かない状態が続いていました。心臓もバクバクいって、スタミナも持たない。それが最大の敗因だと分かっていたので、メンタルトレーニングに通うようになりました。

二宮: それは誰かの紹介で?
宇高: いや、自分でインターネットで調べました。アスリートからビジネスマンまでオールマイティーに指導されている方で、最初に面談をしてもらってから半年間、通いましたね。

二宮: 具体的には、どのようなトレーニングを行ったのでしょうか。
宇高: 緊張した状態でも呼吸と心拍数を整える方法を身につけました。心拍数に応じて音が出る測定機を貸していただいて、まず試合をイメージして緊張状態をつくる。心拍数が上がりすぎると音が変化するので、そうならないように呼吸を整え、心拍数を一定のところで落ち着かせるんです。

二宮: 緊張すると呼吸が浅くなると言われます。そこから改善していったわけですね。
宇高: そうですね。イメージトレーニングも試合が近づいたら、具体的に会場へバスで向かうところから想像する。それから、最高の場面と最悪の場面を両方イメージするようにアドバイスを受けました。

二宮: たとえば、それはどんな場面でしょう?
宇高: 最高の場面は試合で勝って表彰台に上がっているイメージですね。逆に最悪の場面は試合でポイントを獲られて、ラスト1分しかない劣勢の展開。そこから、いかに挽回するかをイメージするんです。

二宮: 最悪の状況を想定しておけば、本番でも慌てないというわけですね。
宇高: もちろん試合ですから、状況によって多少ピンチだと感じることはありますが、パニックにはならなくなりました。半年間、メンタルトレーニングをして自分で精神面をコントロールができるようになると、試合でも勝ち出しました。

 ルール改正もプラスに

二宮: それが今回の金メダルにつながったと。いい先生に巡り会えて良かったですね。
宇高: 他にもメンタルが課題と言われている選手もいるので、時々、相談を受けます。でも、メンタルを強くする方法は、人それぞれ合う合わないがある。私の場合は、いい方向に向かったので本当に良かったと感じます。もうひとつ、ルールが変わったことも個人的には追い風になりました。

二宮: 足取りの全面禁止など、近年の柔道はルールがいろいろと変わりました。
宇高: 今回、決勝で当たったテルマ・モンテイロは足取りがOKだった時代に対戦して、足を取られてすくい投げで一本負けしたことがありました。足を取ってから技をかけるのが得意な選手だったので、それができなくて苦しかったのでしょう。一番最後に、今までのクセが出たんじゃないかと思います。

二宮: 延長に突入した試合は宇高さんが支え釣り込み足を仕掛けたところに、思わずモンテイロが足を取りに行ってしまい、反則負けとなりました。
宇高: それまでに常にプレッシャーをかけていたことも良かったのだと思います。なかなか自分の形で組んで投げることができませんでしたが、前へ前へと出るうちに相手が疲れているのが分かりました。自分には余力があったので、指導ひとつリードされていても、並べば、なんとかなると信じていました。

二宮: 決勝では先に指導をひとつ受けました。新ルールでは指導はポイントにならないものの、試合終了時に並んだ場合は指導数の少ない方が勝ちとなります。試合時間が残り少なくなるにつれて、焦りはありませんでしたか。
宇高: あれは焦りましたね(笑)。ラスト30秒で相手に指導が入った時には、「やっと来たか」と思いました。指導の基準は審判によって違う。逆に準決勝は指導を2つ受けましたが、もうひとつもらってもおかしくない状況でした。指導4つで反則負けになりますから、3つまでくるとプレッシャーがかかる。その意味では準決勝は審判に救われたと言えるかもしれません。

二宮: 相手が反則を犯したかどうか、判定が出るまで審判団が映像をチェックする間がありました。その時の心境は?
宇高: 本音はしっかり投げてポイントを取って勝ちたかったのですが、あの時ばかりは「もう、これで勝ちなら勝ちにしてくれ」と願っていましたね(笑)。

二宮: ようやく手にした金メダルは大きくて重いですね。
宇高: トロフィーもいただいて、それもすごく重かったです。トロフィーは今、実家に飾ってあります。メダルとともに、中学時代の担任の先生からサイズに合わせたケースをオーダーメイドでつくっていただきました。トロフィーは家で一番高価なものなので、母が「泥棒に盗られないように」と、飼っている犬の近くに置き場所をつくったみたいですよ(笑)。

(第2回につづく)

宇高菜絵(うだか・なえ)プロフィール>
 1985年3月6日、愛媛県生まれ。コマツ所属。小学1年から柔道を始める。宇和島東高を経て愛媛女子短期大(現IPU環太平洋大短大)へ。2年時に福岡国際で女子57キロ級初優勝。帝京大に編入する。06年、09年と講道館杯を制覇。10年に全日本選抜体重別で優勝して同年の世界柔道に出場。13年のグランドスラム東京を制すると、14年は4月の体重別で2年ぶり3度目の優勝。3大会ぶりの出場となった8月の世界柔道で初の世界女王となった。身長161センチ、得意は大外刈。

(構成・写真/石田洋之)




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