今季限りで現役を引退し、球団社長に就任することになりました。打診があったのは引退セレモニーが行われた9月13日の試合前。背番号「0」を永久欠番にしていただく話とともに、「社長をやってみないか」と言われました。
「冗談でしょう。ムリです」
 1度は断ったものの、シーズン終了後、改めて北古味鈴太郎オーナーとの食事の席で「社長をやってほしい」と頼まれ、真剣に考えることになりました。
 振り返れば10年間、高知にほとんど縁もゆかりもなかった僕がプレーを続けられたのは支えてくださったファンやスポンサーの皆さんのおかげです。野球しか知らなかった若造が、高知の皆さんと触れあう中で人間として成長させてもらえました。NPB行きで恩返しできなかったのは残念ですが、個人的にはそれ以上のものをいただけたと感謝しています。その高知に球団社長というかたちで良いのであれば恩返ししよう。そう決心し、最終的には引き受けることになりました。

 今季で在籍10年になりましたが、皆さんに応援していただけるなら、まだまだ現役を続けるつもりでした。しかし、近年はケガも増え、今年は腰のヘルニアも発症してしまいました。それでも期待に応えようとプレーを続けていたものの、8月の試合で死球を受け、右手人指し指を骨折。その瞬間、張り詰めていた気持ちもポッキリと折れた気がしました。

「もう無理かな……」
 そう思い始めると、10年がちょうどいい区切りのようにも感じられてきました。引退の決意を伝えると、球団にはセレモニーの場を設けてもらいました。試合当日にはたくさんのファンの方が球場に詰めかけてくださり、本当に幸せでした。

 欲を言えば、ヒットを打って皆さんに喜んでいただきたかったのですが、結果は4打数0安打。相手ピッチャーも気を遣って打てる球を投げてくれたのにヒットにできませんでしたね(苦笑)。残念ながら選手としては限界だったと言うことでしょう。ある意味、踏ん切りがつきました。

 高知での10年を振り返ると、いろんなことがありました。開幕戦で愛媛の西山道隆さん(元福岡ソフトバンク)から、リーグ初安打を放ったのは良き思い出です。逆につらかったのは翌06年のリーグチャンピオンシップ。1勝2敗と王手をかけられた第4戦、9回裏のピンチで僕がレフトライナーを後逸してのサヨナラ負け。香川に優勝を決められ、野球人生最悪の出来事にひどく落ち込みました。

「野球を辞めよう」とさえ思った僕を救ってくれたのは、ファンの方でした。「これで終われないぞ!」。そう叱咤激励していただいたことが立ち直るきっかけとなったのです。「もう、こんな悔しい思いは2度としたくない」。その一心で守備を必死で特訓しました。足だけが取り柄だった僕が、守りでも自信を持ってプレーできるようになれたのは、あの経験があったからです。

 そして09年はリーグ優勝と独立リーグ日本一。ファンの皆さんと炭酸水ファイトで喜びを分かち合えたのは最高にうれしかったです。それだけに、ここ数年の低迷は選手のひとりとして申し訳なく感じています。

 このリーグは誰もがNPBを目指してやってきます。チームメイトだった角中勝也(千葉ロッテ)や、今季、新人ながら中日で活躍した又吉克樹(元香川)とともにプレーしたり、対戦できたのは僕にとっても誇りです。個人的に印象に残っているのは、バッターでは林真輝さん(愛媛−高知)。NPBに行けなかったものの、1年目に首位打者を獲るなどバッティングのうまさはズバ抜けたものがありました。

 ピッチャーではアンダースローの塚本浩二さん(香川−東京ヤクルト)も厄介でした。球速は130キロそこそこながら、ボールが伸びあがってきて、ものすごく速く感じたことを覚えています。また今回、東北楽天に5位指名を受けた入野貴大ともよく対戦しましたね。在籍7年でNPBに行くのは、過去最長だとか。年数を重ねても上に進めることを証明し、今、リーグで頑張っている選手たちの励みになるでしょう。

 もちろん僕も最初はドラフト指名を夢見て練習、試合に取り組んでいました。ただ、NPBと実際に交流試合で対戦してみると、打力が足りないことを痛感しましたね。4、5年目を過ぎたあたりから、年齢的にもチャンスがないことは自覚していました。

 それでも野球を続けるモチベーションを与えていただいたのは、やはりファンの存在です。観に来ていただいたファンの方に少しでも楽しんでもらおう。その思いから、試合中の全力プレーは当然ながら、グラウンド以外のファンサービスも始めました。

 それが「CHU−CHU CAFE」です。僕がコーヒー好きということもあり、球団の方と「球場にカフェをつくろう」とアイデアを出し合いました。店名は僕のニックネーム(チュウ=宙)からとったものです。スポンサーのご協力もいただいて、ずっと続けてきただけに、これは来季以降も継続しようと考えています。僕も店員としてお手伝いできますから、さらにバージョンアップさせるかもしれません(笑)。

 球団社長としての目標は3つあります。ひとつは独立リーグ日本一、2つ目はNPB選手の輩出、3つ目は経営の黒字化。これらは武政重和前社長から引き継いだテーマです。

 独立リーグ日本一とNPB選手の輩出に関しては、弘田澄男監督をはじめコーチ陣の方針を最大限サポートしたいと思っています。現場の意向を踏まえて外国人も含めた戦力を揃え、選手がなるべく野球に打ち込める環境整備をするのが僕たちフロントの役割です。

 真っ先に改善したいのは選手の食事環境の充実です。現在、選手は佐川町から宿舎を提供してもらっています。しかし、宿舎内には食堂がなく、選手は自炊をするか、近くのお弁当屋やラーメン屋に行って食べているのが実情です。体が資本の若い選手たちにとって、必ずしも好ましいとは言えません。どこかの食堂や飲食業の方と提携し、栄養バランスの整った食事が宿舎でとれる方法を探し出したいと思っています。

 経営に関しては勉強中ですが、黒字化には、まずお客さんを呼ぶことが第一だと感じています。そのためには、まず、こちらから地元の皆さんのところへ足を運ぶことが大切です。たとえば野球教室。10年間、高知の各地で野球教室をしましたが、その子どもたちが試合を観に来てくれるケースが多くありました。子どもたちが大勢集まれば、それにつられて保護者の方やおじいちゃん、おばあちゃんも球場を訪れるようになるでしょう。

 僕もこれから時間の許す限り、県内各地を訪れ、野球を通じて地元の方と交流を深めるつもりです。選手が練習、試合で忙しくても、僕ひとりで出向いて教室が開ける点は、元選手の強みだととらえています。 
 
 選手上がりで球団社長になるのは、アイランドリーグでは初のことです。それだけに僕が高知を立派なチームにすれば、将来の選手たちにも球団経営者としての道が拓けることになります。既に、このリーグからはNPBの選手のみならず、バッティングピッチャー、ブルペンキャッチャー、通訳、トレーナーなどいろんな人材を輩出しています。これらに加えて球団経営もできるとなれば、セカンドキャリアの幅が広がることでしょう。

 正直、まだ「社長」という肩書には自分自身、慣れていません。「社長」と呼ばれても、「誰のこと?」となってしまうのもしばしばです(苦笑)。生活も一変し、トレーニング中心だった日々は、今やスーツを着ての挨拶回りが続いています。

 ただ、10年間、高知でお世話になり、チームのことは誰よりも知っているつもりです。現場とフロントが一体となり、3つの目標をクリアできる球団をつくっていきます。

 ファンの皆さん、現役時代は温かい応援を本当にありがとうございました。今後も、高知ファイティングドッグスをよろしくお願いします。  

梶田宙(かじた・ひろし)プロフィール>
1983年1月5日、愛知県出身。享栄高時代は主将を務め、甲子園にも出場。愛知大を経て、05年に発足したアイランドリーグのトライアウトに合格し、高知に入団する。開幕戦でリーグの記念すべき初安打、初盗塁、初得点を記録。高知の初年度優勝に貢献する。3年目の07年にはベストナインを受賞。09年も主力として活躍し、球団初の独立リーグ日本一を果たす。唯一の10年在籍選手となった今季はキャプテンを務め、61試合に出場。9月には引退試合が行われ、背番号「0」はリーグ初の永久欠番に定められた。11月より元選手では初めて球団社長に就任。10年間の通算成績は歴代1位の650試合、529安打(同2位)、22本塁打、224打点、打率.255。
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