広島カープを熱烈に応援する女性ファンを表す「カープ女子」が、その年、話題になった言葉に贈られる「ユーキャン新語・流行語大賞」年間トップ10に選ばれた。
 授賞式の挨拶で広島県出身のモデル大井智保子は「カープは“たる募金”から生まれた市民球団。そんなファンの善意が実って選ばれた賞。ただの流行ではなく、これからも続いていく。来年は絶対に優勝したい」と語っていた。
 カープ女子から、「たる募金」なる言葉が出てきたことに感慨を覚えるとともに、不意にひとりの名物女性編集長の名前を思い出した。その御仁こそは“元祖カープ女子”と言っても過言ではあるまい。6年前に他界した雑誌『酒』の編集長・佐々木久子である。

 広島市生まれの佐々木は1966年、ジャーナリストの梶山季之、評論家の藤原弘達、大宅壮一、実業家の田辺茂一、作詞家の石本美由起、女優の杉村春子、バレリーナの森下洋子らと「カープを優勝させる会」を結成し、万年Bクラスだったカープをサポートした。

 佐々木のカープに対する肩入れは尋常ではなかった。「毎年、キャンプ地の日南にまで激励に来られた。あれだけカープを愛した女性はいないでしょう」。そう語るのは元監督の古葉竹識である。

「一番、忘れられないのは75年10月15日。そう、カープが後楽園での巨人戦で初優勝を決めた日です。佐々木さんをはじめとする“優勝させる会”のメンバーが三塁ベンチの上に陣取り、熱狂的な応援をしてくれた。僕は三塁ベースコーチもしていたから、その応援がどれだけ心強かったか。随分、勇気づけられたものですよ」

 古葉によると佐々木が結成した「優勝させる会」に対しては、当初、冷ややかな声が大半を占めていたという。「周りは言っていましたよ。“なんや、この会は。カープが優勝することなんて、ありゃせん”と」。逆風の中での立ち上げは彼女の女傑ぶりを物語っている。

「彼女にすれば、僕は息子みたいなものだったんやろうね」。75年のMVP・山本浩二は、そう振り返る。「広島弁でよう気合いを入れられましたよ。“頑張りんさいよ”とね。優しさと厳しさの両方を持った方でしたね」

 平成の世に出現したカープ女子は、佐々木の化身のように思えてならない。

<この原稿は14年12月3日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
◎バックナンバーはこちらから