第22回 原晋(青山学院大学駅伝部監督)「就任11年目でつかんだ優勝への手応え」
二宮: いよいよ箱根駅伝が近づいてきました。今年は「優勝宣言」もされていて、チームへの手応えをつかんでいるように見受けられます。
原: そうですね。10日に16人のエントリーが終わりまして、各大学のメンバーが発表されました。16人の1万メートルの記録は2番目でしたし、優勝は十分に狙えるんじゃないかなと思っています。
[size=medium] 理論から入る“中野メソッド”[/size]
二宮: 今年は、トレーニングにも変化があったようですね。プロテニスプレーヤーのクルム伊達公子選手を指導したこともある、中野ジェームズ修一さんの指導を受けてきたわけですが、チームはどう変わりましたか?
原: adidasさんの紹介で、今年4月から中野さんには定期的に来てもらって指導していただいています。一番大きいのは、故障者が減ったことですね。また、選手の動きが変わって、かっこよく走るようになったなと感じています。
二宮: 中野さんの指導方法とは?
原: 一方的に押し付けるのではなく、まずはしっかりと理論から入っていくんです。頭で理屈を理解させたうえで、その理屈に基づいて、選手自身がつくりあげていく。それがチームの方針とマッチしたこともあって、定期的に来ていただこうと。
二宮: 監督自身が「この人だったら任せられる」と信頼されたわけですね。
原: そうですね。中野さんは理論の説明の仕方も、非常に巧いんです。導入の部分がスムーズなので、選手も理解しやすいのだと思います。
二宮: 具体的にどんなトレーニングをしているのでしょう?
原: トレーニングの内容自体は、特別なものをしているわけではありません。ただ、やり方が違う。トレーニングにしろ、ストレッチにしろ、ただ単にこなすのではなく、どこの筋肉をどう使うのかをきちんと頭でわかってやっているかどうかの違いなんですね。でも、そこに大きな差が生まれるわけです。
二宮 それを4年間やり続けていくだけでも、効果はずいぶんと変わってくるでしょうね。
原: はい、そう思います。だからこそ毎日の継続が重要になりますが、中野さんにいつも指導してもらうわけにはいきません。ですから、チーム全員が同じ理論を共有し合って、自分たちでやれるようにしていかなければいけない。そこで、中野さんから教わったストレッチなどをやる時は、主力選手だけでなく、チーム全員が揃うタイミングでやるようにしているんです。
二宮: チームの共通したメソッドとして、継承していくと。
原: はい。それは私自身の指導方針とも重なるんです。私がいなくなったら弱くなるようでは、本当の力とは言えません。私がいなくなった後も、強さを継承していける。そういう土壌づくりをしてきましたし、現在はその土壌がほぼ出来上がってきたかなと感じています。
[size=medium] 人気高まる「boost」シリーズ[/size]
二宮: さて、ランナーにとってはシューズも走りを左右する重要な要素となるわけですが、チーム内では、adidasの「boost」シリーズを気に入って履いている選手の数が増えているそうですね。
原: はい。シューズは非常にデリケートな部分ですので、何を履くかは選手個々に任せているのですが、boostを気に入って履いている選手の割合が非常に高くなってきていますね。
二宮: 実は私もboostを履いてジョギングをしているのですが、非常にクッション性に優れていて、足に優しいですよね。
原: 私も気に入って履いているのですが、初めて履いた時、走る喜びを感じたんです。「これを履いて走ると楽しいな」と。
二宮: あ、わかります。なんだか雲の上を走っているようで、どこまでも走れそうな気がします。
原: そうなんです。特に箱根の山下りをboostで走ったら、まるでうさぎのようにピョンピョンと軽快に弾んで、どんどん前へ前へ行くような感じになるでしょうね。
二宮: このクッション性は、山の上り下りでかかる足首への負担も軽減してくれるでしょうね。
原: 単に軟らかくて反発があるというクッションではなく、自然と足が返るというか、次への一歩につながる、そんな推進力を生み出してくれる感じがしますね。
二宮: 今回の箱根のメンバーの中には、boostを履いている選手はどれくらいいるんですか?
原: 10区間中、おそらく6、7人はboostでふだんから練習していますね。他大学にもboostのシェアが広がっていますが、青山学院が一番多いと思います。
二宮: 選手の力を引き出す必須アイテムになっていると。
原: もちろんです。シューズは足に直結していますからね。やはりフィットしているかどうかは非常に重要です。boostを選んでいる選手が多いというのは、それだけ履き心地がいいのだと思います。
[size=medium] 適性見抜いた選手起用[/size]
二宮: では、今回の箱根での勝負どころは、どのあたりと見ていますか?
原: どの選手をどの区間に置くかによって勝負どころは変わってきますが、現在は3パターンくらいを想定しています。ひとつは1区から3区までの「前半重視型」。もうひとつは山の上り下りの5、6区に核を置く「山重視型」。そして、復路に主力を2、3枚残す「後半重視型」ですね。
二宮: ライバル校がどこにエースをもってくるのか、ということも気になるのでは?
原: 以前は考えたりしましたが、最近はあまり他校のことは気にならなくなりましたね。自分たちがしっかりと力を発揮さえすれば、結果は自ずとついてくると思っています。逆に、他校からマークされるようにならなければ、将来的に絶対王者のチームにはなれないのかなと。
二宮: 選手それぞれに適性があると思いますが、例えばレース当日の気象条件によって、力が発揮できる、できないということはあるのでしょうか。
原: ありますね。特に気温は選手たちの走りを左右します。気温が高いと、ダメな選手は、もう練習から見ていてわかります。そういう選手はできるだけ涼しい時間帯に走れるようにするんです。
二宮: 各選手が力を発揮できる区間に割り振ることも、勝敗を分ける大きな要素となるわけですね。
原: はい、そうです。いくら力がある選手でも、レースでパフォーマンスを出せなければ意味がありません。例えば、2区はエース区間と言われますが、そこでは4割程度の力しか発揮できないと思えば、いくらチームのエースでも2区にはもっていきません。その選手が最もパフォーマンスを出せる区間に置くのがベストです。
二宮: 競り合いに強い選手、単独走に強い選手もいるのでは?
原: はい。例えば単独走になると、プレッシャーなく気持ちよく走れて、力を発揮できるタイプの選手は、集団で走らなければならない1区ではない方がいい。逆に、単独走ではまったくペースメイクができないけれども、競争相手がいると粘り強さを発揮する選手は、前半の区間にもっていったりしますね。
二宮: 駅伝は、監督が選手の性格や適性を把握していないと勝てない競技なんですね。
原: はい。日頃の生活態度や、合宿などの様子を見ていると、自ずと選手の適性が見えてくるんです。そういう意味では、寮で選手と一緒に生活していることも、私の強みとなっていると思いますね。
[size=medium] 失われた“絆”の名シーン[/size]
二宮: 箱根駅伝では、選手の走りだけでなく、監督と選手との絆を感じられるところも見どころのひとつとなっています。
原: それが日本で生まれ育ってきた駅伝の良さでもあるのかなと思いますね。ところが、そう思っている人が運営サイドには意外と少ないのかもしれません。実は、これまで給水は1区と6区を除いた8区間では、固定された給水ポイントのほかに、監督が観察車から降りて選手に水を渡すという行為が1区間に2回ずつ認められていたんです。ところが、今大会からは観察車から降りての給水が禁止となりました。
二宮: 監督自らが選手に水を渡して檄を飛ばすシーンは、近年の箱根の見どころになっていました。なぜ突然、禁止となったのでしょう?
原: 公道に駐車して、車から降りて渡すという行為は、安全管理上、問題があるということのようです。
二宮: 過去に何か事故があったのでしょうか?
原: いいえ、一度もありません。確かに、集団で走る1区や、急な下り坂が続く6区は危険を伴いますので、そこでの禁止は理解できるんです。しかし、他の区間は私の経験上、一度も危険を感じたことはありません。それをなぜ禁止にするのか……。私は駅伝というのは、ただ選手が走って、タイムを競って、勝った負けただけではないと思うんです。そこには監督と選手との強い絆が育まれているわけです。そのひとつが、給水でした。監督はタイミングを考えて、「ここだ」という時に観察車を止めます。そうして車から降りて、選手に近づき、水を渡す。この時の距離感に、見ている人たちにも選手と監督との絆が見えると思うんです。また、「おっ、監督が何か声をかけたな。何て言ったんだろう」と、ますます面白みを感じると思うんです。そういうパフォーマンスも含めて駅伝だと思うのですが……。
二宮: 監督は単に水を渡しているだけではないわけですよね。
原: はい。「あと3キロだからな、頑張れよ!」「少し脱水状態になっているから、しっかり(水を)頭にかけとけよ」とか、いろいろと声をかけます。時には戦術を伝えたりすることもある。実際には声をかけない場合も、目でお互いの気持ちを伝え合っているんです。
二宮: 今回の給水はどう変わるんですか?
原: 1区と6区を除いて、2、3カ所に給水場所を設けて、各大学から派遣された選手が手渡しすることになっています。
二宮: では、監督が選手と距離を近づけることは一度もないと。
原: はい。観察車から常に見てはいますが、背中越しでの声かけでは、何か一体感に欠けますよね。
二宮: 監督からの給水も、選手同士が襷を渡すのと同じように、絆が見える箱根駅伝らしいシーンでした。
原: それを簡単に失くしてしまったら、簡素化されて、面白みに欠けるようで危惧しています。
[size=medium] 選手層の厚みで嬉しい悩み[/size]
二宮: 今回、下馬評では全日本大学駅伝対校選手権で4連覇を達成した駒澤大が、優勝候補の筆頭となっています。その駒澤を、青山学院大をはじめ、明治大、早稲田大、東洋大、山梨学院大の5校が追う展開が予想されます。
原: 駒澤さんには山登りの5区、山下りの6区に、昨年の経験者がいますから、その区間をどう対応していくかがポイントになると思っています。
二宮: 本番まで残り半月となりましたが、チームの状態はいかがですか?
原: 全日本で区間賞をとった4年生の川崎友輝が、11月中旬に右足の大腿骨を疲労骨折していることが判明しました。箱根でも主力のひとりとして期待していたのですが、残念ながらエントリーすることができませんでした。彼不在となると、計算上では30秒くらいのロスが出てくるんですね。しかし10人で割ったら1人あたり3秒ですから、みんなで頑張って埋めていきたいなと思っています。
二宮: 主力の1人が欠けても計算が立つというのは、それだけ選手層が厚くなったという証左でもあります。
原: 2、3年前までは16人のメンバーを選ぶのも、一苦労だったんです。10〜12人くらいまでは決められるのですが、残り数人がなかなか出てこなかった。ところが今年は、逆に18人くらい候補が出てきて、16人に絞るのに悩みました。チームに厚みが出てきたことを実感しましたね。監督に就任して11年目になりますが、これまでで最も手応えを感じていますので、ぜひ優勝を狙っていきたいと思っています。
<原晋(はら・すすむ)>
1967年3月8日、広島県生まれ。中学から陸上を始め、世羅高校3年時には主将としてチームを牽引。全国高校駅伝に出場し2位となる。中京大学を経て、1989年創設1年目の中国電力陸上競技部に入る。93年には主将として全日本実業団駅伝初出場に貢献する。故障で95年に現役を引退。その後は10年間、中国電力でサラリーマン生活を送る。知人の紹介により、2004年に青山学院大学陸上競技部監督に就任。09年に33年ぶりの出場を果たすと、10年には8位に入り、41年ぶりのシード権を獲得。12年には同校最上位となる5位に導いた。
(構成・写真/斎藤寿子)
原: そうですね。10日に16人のエントリーが終わりまして、各大学のメンバーが発表されました。16人の1万メートルの記録は2番目でしたし、優勝は十分に狙えるんじゃないかなと思っています。
[size=medium] 理論から入る“中野メソッド”[/size]
二宮: 今年は、トレーニングにも変化があったようですね。プロテニスプレーヤーのクルム伊達公子選手を指導したこともある、中野ジェームズ修一さんの指導を受けてきたわけですが、チームはどう変わりましたか?
原: adidasさんの紹介で、今年4月から中野さんには定期的に来てもらって指導していただいています。一番大きいのは、故障者が減ったことですね。また、選手の動きが変わって、かっこよく走るようになったなと感じています。
二宮: 中野さんの指導方法とは?
原: 一方的に押し付けるのではなく、まずはしっかりと理論から入っていくんです。頭で理屈を理解させたうえで、その理屈に基づいて、選手自身がつくりあげていく。それがチームの方針とマッチしたこともあって、定期的に来ていただこうと。
二宮: 監督自身が「この人だったら任せられる」と信頼されたわけですね。
原: そうですね。中野さんは理論の説明の仕方も、非常に巧いんです。導入の部分がスムーズなので、選手も理解しやすいのだと思います。
二宮: 具体的にどんなトレーニングをしているのでしょう?
原: トレーニングの内容自体は、特別なものをしているわけではありません。ただ、やり方が違う。トレーニングにしろ、ストレッチにしろ、ただ単にこなすのではなく、どこの筋肉をどう使うのかをきちんと頭でわかってやっているかどうかの違いなんですね。でも、そこに大きな差が生まれるわけです。
二宮 それを4年間やり続けていくだけでも、効果はずいぶんと変わってくるでしょうね。
原: はい、そう思います。だからこそ毎日の継続が重要になりますが、中野さんにいつも指導してもらうわけにはいきません。ですから、チーム全員が同じ理論を共有し合って、自分たちでやれるようにしていかなければいけない。そこで、中野さんから教わったストレッチなどをやる時は、主力選手だけでなく、チーム全員が揃うタイミングでやるようにしているんです。
二宮: チームの共通したメソッドとして、継承していくと。
原: はい。それは私自身の指導方針とも重なるんです。私がいなくなったら弱くなるようでは、本当の力とは言えません。私がいなくなった後も、強さを継承していける。そういう土壌づくりをしてきましたし、現在はその土壌がほぼ出来上がってきたかなと感じています。
[size=medium] 人気高まる「boost」シリーズ[/size]
二宮: さて、ランナーにとってはシューズも走りを左右する重要な要素となるわけですが、チーム内では、adidasの「boost」シリーズを気に入って履いている選手の数が増えているそうですね。
原: はい。シューズは非常にデリケートな部分ですので、何を履くかは選手個々に任せているのですが、boostを気に入って履いている選手の割合が非常に高くなってきていますね。
二宮: 実は私もboostを履いてジョギングをしているのですが、非常にクッション性に優れていて、足に優しいですよね。
原: 私も気に入って履いているのですが、初めて履いた時、走る喜びを感じたんです。「これを履いて走ると楽しいな」と。
二宮: あ、わかります。なんだか雲の上を走っているようで、どこまでも走れそうな気がします。
原: そうなんです。特に箱根の山下りをboostで走ったら、まるでうさぎのようにピョンピョンと軽快に弾んで、どんどん前へ前へ行くような感じになるでしょうね。
二宮: このクッション性は、山の上り下りでかかる足首への負担も軽減してくれるでしょうね。
原: 単に軟らかくて反発があるというクッションではなく、自然と足が返るというか、次への一歩につながる、そんな推進力を生み出してくれる感じがしますね。
二宮: 今回の箱根のメンバーの中には、boostを履いている選手はどれくらいいるんですか?
原: 10区間中、おそらく6、7人はboostでふだんから練習していますね。他大学にもboostのシェアが広がっていますが、青山学院が一番多いと思います。
二宮: 選手の力を引き出す必須アイテムになっていると。
原: もちろんです。シューズは足に直結していますからね。やはりフィットしているかどうかは非常に重要です。boostを選んでいる選手が多いというのは、それだけ履き心地がいいのだと思います。
[size=medium] 適性見抜いた選手起用[/size]
二宮: では、今回の箱根での勝負どころは、どのあたりと見ていますか?
原: どの選手をどの区間に置くかによって勝負どころは変わってきますが、現在は3パターンくらいを想定しています。ひとつは1区から3区までの「前半重視型」。もうひとつは山の上り下りの5、6区に核を置く「山重視型」。そして、復路に主力を2、3枚残す「後半重視型」ですね。
二宮: ライバル校がどこにエースをもってくるのか、ということも気になるのでは?
原: 以前は考えたりしましたが、最近はあまり他校のことは気にならなくなりましたね。自分たちがしっかりと力を発揮さえすれば、結果は自ずとついてくると思っています。逆に、他校からマークされるようにならなければ、将来的に絶対王者のチームにはなれないのかなと。
二宮: 選手それぞれに適性があると思いますが、例えばレース当日の気象条件によって、力が発揮できる、できないということはあるのでしょうか。
原: ありますね。特に気温は選手たちの走りを左右します。気温が高いと、ダメな選手は、もう練習から見ていてわかります。そういう選手はできるだけ涼しい時間帯に走れるようにするんです。
二宮: 各選手が力を発揮できる区間に割り振ることも、勝敗を分ける大きな要素となるわけですね。
原: はい、そうです。いくら力がある選手でも、レースでパフォーマンスを出せなければ意味がありません。例えば、2区はエース区間と言われますが、そこでは4割程度の力しか発揮できないと思えば、いくらチームのエースでも2区にはもっていきません。その選手が最もパフォーマンスを出せる区間に置くのがベストです。
二宮: 競り合いに強い選手、単独走に強い選手もいるのでは?
原: はい。例えば単独走になると、プレッシャーなく気持ちよく走れて、力を発揮できるタイプの選手は、集団で走らなければならない1区ではない方がいい。逆に、単独走ではまったくペースメイクができないけれども、競争相手がいると粘り強さを発揮する選手は、前半の区間にもっていったりしますね。
二宮: 駅伝は、監督が選手の性格や適性を把握していないと勝てない競技なんですね。
原: はい。日頃の生活態度や、合宿などの様子を見ていると、自ずと選手の適性が見えてくるんです。そういう意味では、寮で選手と一緒に生活していることも、私の強みとなっていると思いますね。
[size=medium] 失われた“絆”の名シーン[/size]
二宮: 箱根駅伝では、選手の走りだけでなく、監督と選手との絆を感じられるところも見どころのひとつとなっています。
原: それが日本で生まれ育ってきた駅伝の良さでもあるのかなと思いますね。ところが、そう思っている人が運営サイドには意外と少ないのかもしれません。実は、これまで給水は1区と6区を除いた8区間では、固定された給水ポイントのほかに、監督が観察車から降りて選手に水を渡すという行為が1区間に2回ずつ認められていたんです。ところが、今大会からは観察車から降りての給水が禁止となりました。
二宮: 監督自らが選手に水を渡して檄を飛ばすシーンは、近年の箱根の見どころになっていました。なぜ突然、禁止となったのでしょう?
原: 公道に駐車して、車から降りて渡すという行為は、安全管理上、問題があるということのようです。
二宮: 過去に何か事故があったのでしょうか?
原: いいえ、一度もありません。確かに、集団で走る1区や、急な下り坂が続く6区は危険を伴いますので、そこでの禁止は理解できるんです。しかし、他の区間は私の経験上、一度も危険を感じたことはありません。それをなぜ禁止にするのか……。私は駅伝というのは、ただ選手が走って、タイムを競って、勝った負けただけではないと思うんです。そこには監督と選手との強い絆が育まれているわけです。そのひとつが、給水でした。監督はタイミングを考えて、「ここだ」という時に観察車を止めます。そうして車から降りて、選手に近づき、水を渡す。この時の距離感に、見ている人たちにも選手と監督との絆が見えると思うんです。また、「おっ、監督が何か声をかけたな。何て言ったんだろう」と、ますます面白みを感じると思うんです。そういうパフォーマンスも含めて駅伝だと思うのですが……。
二宮: 監督は単に水を渡しているだけではないわけですよね。
原: はい。「あと3キロだからな、頑張れよ!」「少し脱水状態になっているから、しっかり(水を)頭にかけとけよ」とか、いろいろと声をかけます。時には戦術を伝えたりすることもある。実際には声をかけない場合も、目でお互いの気持ちを伝え合っているんです。
二宮: 今回の給水はどう変わるんですか?
原: 1区と6区を除いて、2、3カ所に給水場所を設けて、各大学から派遣された選手が手渡しすることになっています。
二宮: では、監督が選手と距離を近づけることは一度もないと。
原: はい。観察車から常に見てはいますが、背中越しでの声かけでは、何か一体感に欠けますよね。
二宮: 監督からの給水も、選手同士が襷を渡すのと同じように、絆が見える箱根駅伝らしいシーンでした。
原: それを簡単に失くしてしまったら、簡素化されて、面白みに欠けるようで危惧しています。
[size=medium] 選手層の厚みで嬉しい悩み[/size]
二宮: 今回、下馬評では全日本大学駅伝対校選手権で4連覇を達成した駒澤大が、優勝候補の筆頭となっています。その駒澤を、青山学院大をはじめ、明治大、早稲田大、東洋大、山梨学院大の5校が追う展開が予想されます。
原: 駒澤さんには山登りの5区、山下りの6区に、昨年の経験者がいますから、その区間をどう対応していくかがポイントになると思っています。
二宮: 本番まで残り半月となりましたが、チームの状態はいかがですか?
原: 全日本で区間賞をとった4年生の川崎友輝が、11月中旬に右足の大腿骨を疲労骨折していることが判明しました。箱根でも主力のひとりとして期待していたのですが、残念ながらエントリーすることができませんでした。彼不在となると、計算上では30秒くらいのロスが出てくるんですね。しかし10人で割ったら1人あたり3秒ですから、みんなで頑張って埋めていきたいなと思っています。
二宮: 主力の1人が欠けても計算が立つというのは、それだけ選手層が厚くなったという証左でもあります。
原: 2、3年前までは16人のメンバーを選ぶのも、一苦労だったんです。10〜12人くらいまでは決められるのですが、残り数人がなかなか出てこなかった。ところが今年は、逆に18人くらい候補が出てきて、16人に絞るのに悩みました。チームに厚みが出てきたことを実感しましたね。監督に就任して11年目になりますが、これまでで最も手応えを感じていますので、ぜひ優勝を狙っていきたいと思っています。
<原晋(はら・すすむ)>
1967年3月8日、広島県生まれ。中学から陸上を始め、世羅高校3年時には主将としてチームを牽引。全国高校駅伝に出場し2位となる。中京大学を経て、1989年創設1年目の中国電力陸上競技部に入る。93年には主将として全日本実業団駅伝初出場に貢献する。故障で95年に現役を引退。その後は10年間、中国電力でサラリーマン生活を送る。知人の紹介により、2004年に青山学院大学陸上競技部監督に就任。09年に33年ぶりの出場を果たすと、10年には8位に入り、41年ぶりのシード権を獲得。12年には同校最上位となる5位に導いた。
(構成・写真/斎藤寿子)