“平成の怪物”が9年ぶりに日本に戻ってくる。松坂大輔が福岡ソフトバンクに入団した。松坂は1999年にドラフト1位でプロ入り。高卒1年目から最多勝、新人王、ベストナイン、ゴールデングラブ賞と数々のタイトルを獲得した。以降も日本代表でWBC連覇に貢献するなど日本のナンバーワンピッチャーとして君臨し続けた。近年は右ヒジの故障で目立った成績を残せていないが、福岡の地で復活を目指す。ルーキー時代の原稿で“怪物”の凄みに改めて迫る。
<この原稿は1999年9月号の『PRESIDENT』に掲載されたものです>

 ピッチャーには「27球の思想」と「81球の思想」がある。
 前者がすべてのバッターを1球で仕留める究極の「技」のピッチングとするなら、後者はすべてのバッターを3球三振で仕留める究極の「力」のピッチングである。

 オープン戦の頃、松坂大輔に「あなたはどちらを目指すのか?」と、問うたことある。
「今は81球です。でも究極のピッチングは27球でしょう。そのどちらもやってみたい」と、彼は答えた。

 これまでも、松坂大輔の天才性については、いろいろな分析がなされてきた。
 まずは、強靭な上半身が生み出すスピードボール。

 7月10日現在、松坂が記録した最高速は4月7日、デビュー戦となった日本ハムファイターズ戦と、6月24日、オリックスブルーウェーブ戦での155キロである。

 松坂らしいのは、片岡篤史、イチローと、ともにチームの主砲を打席に迎えたときに最高速をマークしている点である。相手の力量に応じて投げ分けているのだ。つい数カ月前まで高校の学生服に身を包んでいた少年が、明らかにプロのバッターを見下ろしてボールを投げているのである。

 恐るべき少年である。
 最高速が刻まれた球はともに高めだったが、指にボールがしっくりかかったときの松坂は低めもよく伸びる。

 イチローから3打席連続三振を奪った5月16日のオリックスブルーウェーブ戦。初回、2番・松元秀一郎の膝元に154キロのストレートを投じた。これは私が見た限り、松坂がプロに入って投じた最高のボールである。速さといい、ボールの回転といい、コントロールといい、一点のくもりもなかった。まるで芸術品である。スイングすら許されず、呆然と立ち尽くす松元の表情が印象的だった。

 速球派といえば、私がすぐに思い浮かべる投手は尾崎行雄(東映フライヤーズ)、山口高志(阪急ブレーブス)、江川卓(読売ジャイアンツ)といった面々である。ボールの速さだけでいえば、彼らのほうが上かもしれない。しかし、彼らの最高速はそのほとんどが高めであり、低めのボールは高めほど伸びなかった。

 ピッチャーの生命線は低めである。もっと言えばアウトローにどれだけのボールを投げられるかにかかっている。ここに2つ続けて投げてバッターを追い込めば、あとはボール球を振らせるだけでよいのである。そう考えれば、ピッチングとは、そう難しい作業ではない。

 もちろん、18歳の松坂はそれを熟知している。

「基本はアウトコースの真っすぐ。いちばん注意しているのはボールの回転。これだけは必ずチェックしています」
 調子のいい日の松坂は手がつけられない。だが、調子の悪い日はインステップすることで左肩が早く開くため、ボールにシュート回転がかかってしまう。

 自身ワースト(99年7月10日時点)の6失点を喫した6月15日の日本ハムファイターズ戦がそうだ。ほとんどのボールにシュート回転がかかっていたため、ストレートでカウントを整えることができず、カウントを悪くして痛打を浴びた。

 西武ライオンズの杉本正投手コーチは言う。
「松坂の悪いときは、真っすぐを投げると腰が残る。そして、上体が右に倒れがちになる。これは重心移動の練習によって矯正することができるが、フォームそのものは、まだいじらない。欠点をいじるとせっかくの長所が死んでしまいますから」

 松坂のピッチングは、あくまでストレートが主であることに間違いはないが、従のスライダーについての分析も彼のピッチングを語るうえでは避けて通ることはできない。

 松坂は3種類から4種類のスライダーを意識的に投げ分ける。指先の微妙な使い方で、変化の度合いを調整しているのである。
 この中で、打者がジャストミートするのに最も困難を強いられるボールが、いわゆる“縦スラ”である。中指の腹で強くボールを切るためドロップのように鋭く落ちる。おそらく、打者は一瞬、ボールが視界から消えるような錯覚にとらわれるのではないか。

 150キロ台のストレートを高めに配し、打者の視線を上げさせておいて、低めにこの“縦スラ”を投じれば打者の目に、その落差は2倍にも3倍にも感じられよう。
 加えて、彼にはカーブもあればチェンジアップもある。フォークボールもある。

 カーブはカウントを整えるために使うボール。チェンジアップはメジャーリーグのピッチャーが得意とするサークルチェンジ。親指と人差し指で輪っかをつくり、ストレートを投げる要領で腕を速く振る。スクリューボールのように。右バッターの膝元、左バッターのアウトサイドに流れるように沈むのが特徴である。

“縦スラ”とともに三振のとれるフォークボールは、私が見るところ、今はほとんど投げていない。せいぜい、1試合に2、3球である。

 なぜ、投げないのか? と問うと、本人は平然と答えた。
「今はまだ投げる必要がないと思っています」
 なんという自信だろう。フォークボールを使わずとも、プロのバッターを牛耳れると考えているのだ。お楽しみはこれから、というわけか。

(後編につづく)
◎バックナンバーはこちらから