今年度の野球殿堂入りが発表され、プレーヤー表彰では元東京ヤクルトの古田敦也がただ1人選ばれた。古田は1990年にドラフト2位でプロ入り。攻守にわたる扇の要として、ヤクルトをリーグ優勝5回、日本一4回に導いた。大学、社会人経由では初の2000本安打を達成し、MVP2回、ベストナイン9回、ゴールデングラブ賞10回、首位打者1回と、数々のタイトルを手に入れた。現役生活の18年で、古田はかつて自らのプロ入りを阻んだ「眼鏡をかけたキャッチャーは大成しない」という球界の迷信を見事に払拭した。球史に残る名捕手の技と頭脳に触れてみよう。
<この原稿は2011年5月号の『小説宝石』(光文社)に掲載されたものです>

 名捕手あるところに覇権あり――。
 知将・野村克也の口グセである。
 この野村の各メディアへの発信力もあって、近年の野球は、キャッチャーに注目が集まることが多くなった。

 では1990年代以降、最強のキャッチャーは誰か。私は野村の薫陶を受けた古田敦也を指名したい。
 18年間の現役生活でリーグ優勝5回、日本一4回、MVP2回、ベストナイン9回、ゴールデングラブ賞10回、首位打者1回。また通算2097安打は、キャッチャーとしては野村に次ぐ史上2位である。

 この古田は“異端のキャッチャー”としても知られている。
 古田が出現するまで、ほとんどのキャッチャーは人差し指を12時の方向に向け、ミットを立てて構えていた。そしてヒジを支点にして車のワイパーのようにミットを動かした。
 ところが古田は脇を開け、人差し指を2時の方向に向け、ミットを少し寝かせて構えたのだ。一昔前の野球教室でこんな構え方をした子供がいたら、真っ先に叱られただろう。

 事実、古田も立命館大時代には「(その構え方を)変えろ!」とよく叱られた。古田は「はい、はい」と返事だけして、自己流を貫きとおした。
「こちらのほうが捕りやすいし、早めに動ける。それにピッチャーの評判もよかった」

 では、ワイパー型の欠点はなにか。古田は「低めのボールをきれいに捕れないこと」と指摘する。
「脇が締まると自分の前にきた低めのボールを捕りに行く時、ミットを下に持っていくしかない。これを僕らは、網で虫を上からかぶせて捕るやり方に似ているので、“虫捕り”と呼ぶんです。この捕り方はピッチャーが嫌がる。審判がなかなかストライクにとってくれませんから」
 要するに上からミットをかぶせるように捕球するため、審判には低めのボールがより低く見えてしまうのだ。1球のストライク、ボールで局面が変わるピッチャーにとっては死活問題である。

 これが古田流の構え方であれば、ミットをボールよりも下の位置に置くことができる。そこからめくり上げるように捕ると、低めのボールがきちんとストライクゾーンに入っているように見えるのだ。
 もちろん、この捕り方にも欠点はある。古田によれば「右バッターのインローのボールを捕るのに時間がかかる」という。
 確かにそうだ。脇が開いている分、ミットは自在に動くが、右バッターのインローのボールに対してはミットをグルッと半周させなければならない。これだと左ピッチャーの鋭く切れ込むスライダーや右ピッチャーのシンカー系のボールについていくことができない。ここのボールに限っては、脇を締め、キャッチャーミットを立てて構えたほうが素早く対応できる。

 捕球する際には、「ミットを動かすべきではない」というのが古田の考え方だ。
 よくアマチュア野球を見ていると、極端にミットを動かすキャッチャーがいる。ボール球をストライクに見せようとするためだ。こうしたテクニックはプロではまず通用しない。
「ミットを動かしただけでプロのキャッチャーは“ノー”です。よく“アウトコースのボールはミットの内側で捕って寄せたらストライクに見える”と言う人もいますが、プロのアンパイアはまず騙されません」

 そう言って古田は実際にミットを構えるしぐさをした。
「こうボールに向かって捕りにいくでしょう。ボールには勢いがあるし、重みもあるから、どうしてもミットが前に出ちゃう。一回、前に出たものを戻そうとすると、どうしても審判の印象は悪くなる」
 ならば、と聞きたくなる。ミットのどの位置で捕球すべきなのか?
「イメージとしては親指と人指し指の間くらいでしょうか。掌で捕ったらボールが落ちる。逆にネットにかかるとボールが出てこなくなる。使っているミットのこの部分(親指と人差し指の間)の皮がへこんでくるようになればいいんじゃないでしょうか」

 次に捕球のコツだ。ミットを動かすことなく際どいコースをストライクにみせるテクニックはあるのか。
「先回りしてミットを構えればいいんですよ。あらかじめボールの軌道を読んでおいて、実際よりもちょっと下、あるいはちょっと外にミットを置いておく。で、ボールを捕る時に体ごと動かしながらミットを戻す。そうするとミットが流れることなく、バチッと止まって見えるんです」

 続いて盗塁を刺すコツについても訊いた。
 古田の通算盗塁阻止率は4割6分2厘。昨季のセ・リーグの阻止率トップが阿部慎之助(巨人)の3割7分1厘、パ・リーグのトップが細川亨(埼玉西武、現福岡ソフトバンク)の3割6分1厘であることを考えれば、いかに古田の肩が際立っていたかが認識できる。
 しかし、単に地肩が強ければ盗塁を阻止できるほど、プロの世界は甘くない。送球の前から既にランナーとの戦いは始まっているのだ。

 まずは送球前の動作。捕ったボールを右手に持ち替えて投げる一連の動作を一瞬のうちに完了しなければ時間をロスしてしまう。これをワンモーションで処理しなければならない、と古田は言う。
「昔は“ミットにボールを当てて、右手(投げるほうの掌)に落として投げなさい”と教えられましたが、これでは遅くなる。ボールをミットに“当てて、捕って、引いて、投げる”じゃなく、ミットごと一緒に持ってきて投げるフォームに入らないと間に合わない。ちょうど両手で円を描くイメージです。そのほうが前の肩も入って投げやすい」

 捕球に関してもわざわざミットに当てるように捕る必要はないという。いつもと同じか、少し中(ネットの部分)に入れる程度で十分だと古田は説く。

 そして送球に関しては?正確に?素早く?強くの3点を心がけなければならない。
 自著『フルタの方程式』(朝日新聞出版)で、古田はこう述べている。
<どんなに肩の強い人がいくら速いボールを投げたからと言っても、二塁ベースのはるか上だったら捕球からタッチするまでに時間がかかってしまう。ノーバウンドだろうが、ワンバウンドだろうが、二塁までの時間は大して変わらないのだ。ベースの上、30センチぐらいに球がいけば何とかなるのだと思うようにしよう。何よりも正確さを優先すべきだ>

 問題は「正確さ」を、どう担保するかだ。古田によれば、ボールを握る人指し指と中指をボールの縫い目にきちんとかけて投げられるか否かがカギとなる。
「要はキャッチボールでも必ず(指を)縫い目にかけて投げるクセをつけておくことが大切です。当然ながらフォーシーム(ボールが回転する際に長い縫い目が4度見える)の握りが一番いいボールがいく。それをピッチャーの頭あたりを目がけてピュッと投げるんです。その場合、基本的にセカンドベースは見ていない。だいたい、あのへんという感覚で投げるんです」

 とはいえ、すべてがフォーシームの握りで投げられるわけではない。一流のキャッチャーはボールを捕ってから二塁ベース上に送球するまで、わずか1.8秒でこれを完了すると言われている。握りがしっくりこなかったからといって、ボールをわざわざ持ち替える余裕はない。
 もしフォーシームの握りがつくれなかった場合、古田に言わせれば「縫い目が入らなかった場合」はどうするのか。
「これはもう運ですね。(縫い目が指に入った時は)“きた! こりゃいける”という感じになります。二塁にビシューといいボールが投げられますよ。
 しかし、そうじゃない場合もある。“ウァー、入ってない”と思ったら、ちょっと上のほうに投げるんです。すると縫い目にかかっていないので、ボールは伸びませんから、勝手に落ちていいところに行ってくれる。
 他にも低めのボールを捕って、体勢が崩れたまま投げなきゃいけないこともある。その時はちょっと左上を目がけて投げるんです。そしたら、腕が下がっているので、勝手にシュート回転して、それなりのところへ行く。後は“ショートの人、うまくやってください”という感じでしょうか。仮にワンバウンドになっても、内野手がうまく処理してくれれば、アウトになりますから」

 実は古田にはキャッチャーとしての知られざるアドバンテージがあった。股関節が異様に柔らかいのだ。
 昨季限りで阪神のユニホームを脱いだ矢野耀大の証言が興味深い。
<古田さんのキャッチングは、手で捕っているというよりも下半身で捕られているように見えるんです。右バッターのアウトサイドにボールが来るとする。そうすると、古田さんの場合、上半身の体勢はそのままで、下半身だけがアウトサイドに寄っていくんです。
 で、キャッチングの瞬間、フッと身体が内に寄る。手じゃなくて身体が寄るんです。低めのボールにしてもそう。もともと古田さんって、ぺちゃ〜んって座れるじゃないですか。ぼくなんかだと股関節が固いから、低めに来たら手でしか上げられない。でも、古田さんは重心で上げられるんですよ。ベンチから、つまり、横から見ていたらようわかります。(中略)
 だから、審判にも絶対にストライクに見えるんです。僕らみたいに手をちょこっと動かしたりするのは審判にもバレバレなんですけど、古田さんはインコースだろうがアウトコースだろうが、下半身を動かして身体の中心で捕るんで、全部ストライクに見えるんですよね。(金子達仁著『古田の様』(扶桑社)より)

 本人にも確かめてみた。
「これは持って生まれたものだと思うんです。子供のころから、いわゆる女の子座りもできた。ヒザの関節も、じん帯も緩めなんです。よく伸びるというか、柔らかいというか……。
特にヒザは緩いかもしれませんね。というよりルーズ気味。人に引っ張られるとグラグラってする時がありますから」

 従来、キャッチャーには『ドカベン』の山田太郎のように、デンと構えるイメージがあった。しかし、古田は低く小さく構えた。的が絞られているため、「見やすい」と審判からの評判も良かった。
「関節の緩さが低い姿勢を保つには有利だったのかもしれません。たとえばワンバウンドのボールをヒザを落として体全体で止める。この場合、ヒザの曲がらない人と曲がる人だったら、曲がる人のほうが速く前に飛び出して止めることができますね。ヒザが曲がる分、体重を前にかけることができますから。
 僕はワンバウンドも止めるのではなく、捕れそうなら捕っちゃうタイプでした。止めに行くだけでは、ポンと弾いただけで、プロのランナーなら次の塁へ進まれてしまう。結局、後ろにそらしたのと変わらなくなってしまう。どうせ次の塁に行かれるくらいなら、思い切って捕りに行ってランナーを刺しにいったほうがいい。僕がリスクを冒したプレーが得意だったのは、そういうところにも要因があるかもしれません」

 人間、何が幸いするかわからない。緩い股関節がキャッチングには有利な低い姿勢を可能にしたことに加え、前への飛び出しをスピーディーにした。その意味で古田は身体的資質に恵まれたキャッチャーだったということができる。
 しかし、プロのスカウトが果たして、そこまで調査していたかとなると疑問が残る。というのも、大学時代、古田は「眼鏡をかけたキャッチャーは大成しない」といわれ、ドラフトでの指名を見送られた過去を持つからだ。
「当時、阪神の監督だった村山実さん(故人)が最初におっしゃったんじゃないかと思うんです。これは後日談ですけど、村山さん本人が、テレビか何かで“オレはキャッチャーが欲しいから獲れ”と言ったのに、スカウトに『眼鏡をかけたキャッチャーはダメです』と反対された“とおっしゃったらしいです」
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