2007年8月、高校2年となっていた宮内育大は佐賀インターハイに出場した。砲丸投で全国大会に出場するのは初めて(※前年に少年・円盤投げで国民体育大会に出場)だった。当時、彼の自己ベストが14メートル台だったのに対し、全国大会常連の選手たちのそれは16メートル台。専門誌で取り上げられるほどの選手もいたが、宮内は「やってみなければわからない」という気概で大会に臨んだ。しかし、公式練習で宮内の力一杯投げた距離が、猛者たちに軽々と越されていく。迎えた本番でも14メートル11の記録におわり、彼は決勝に進出することができなかった。宮内は「まざまざと力の差を見せつけられました」と当時を振り返った。
 それでも、全国の高いレベルに触れて彼の心が折れたわけではなかった。予選敗退後、宮内は決勝の戦いを観客席から見つめた。決勝では進出した選手ひとりひとりの紹介が行われる。いわば、実力者だけが浴びることのできるスポットライト。そうした状況を見て、宮内は「自分も決勝の舞台で勝負したい」と強く思った。

 また、宮内にはもうひとつ成し遂げたい目標もできた。それは、予選通過記録の“一発クリア”だ。予選では予選通過記録が設定されており、1人3投以内でその記録に達しなければ、決勝に進めない。予選通過記録を突破した選手は係員に先導されて競技場を後にする。先述の一発クリアとは、1投目での予選通過記録を突破することだ。
「1投で決勝進出を決め、荷物をまとめて他の選手が競技している中で颯爽と帰る。それがすごくかっこいいなと」
“一発クリア”を達成するためには、更なるレベルアップが必須だった。宮内にとって初のインターハイは、結果は惨敗だったものの、彼のモチベーションをたきつけた。

 予選敗退から表彰台へジャンプアップ

 インターハイ後、宮内は愛媛県の今治明徳高校へ出向き、同校陸上部の練習に参加した。今治明徳といえば、やり投げの09年世界選手権銅メダリスト・村上幸史の母校で、全国でもトップクラスの実力を誇る陸上界の名門だ。追手前高校陸上部監督の岡村幸文が、今治明徳陸上部監督(当時)の浜元一馬と交流があったことで実現した。「記録をアップさせるためには、自分の中で何かを変えなければいけない」と考えていた宮内にとって、レベルの高い選手たちとの合同練習は大きな刺激になった。
「今治明徳は陸上部専用のグラウンドがあるなど、陸上に集中できる環境がありました。しかし、それ以上に選手の練習に臨む態度、姿勢がすごかったんです。集中力が高いというか……。そういった選手たちと一緒に練習して、環境以上に選手自身の高い意識が成長につながると思いました」

 同年10月には秋田国体(少年)に出場した。インターハイからどれだけ成長したかを試す絶好の機会だったが、1投目で宮内にアクシデントが発生した。砲丸を突き出した際に、右手人指し指の関節が外れてしまったのだ。宮内は砲丸を首と手で挟むように持つため、砲丸が指にかかりやすい。また、当日は雨天で砲丸が滑りやすかったこともあり、砲丸の重さに指が押し負けてしまったかたちだ。記録は10メートル58。宮内は棄権を余儀なくされた。

 不本意なかたちで国体を終えた宮内だが、約2週間後には四国高校新人陸上大会に出場し、15メートル02の記録で優勝した。その翌日には、大分県で開催された日本ジュニアユース陸上に臨んだ。指の負傷は宮内曰く「治りかけの状態だった」という。それでも強行軍を敢行したのは、監督の岡村に次のような狙いがあったからだ。
「経験を積ませたいなと。指を痛めていたので、あまり無理をさせないほうがいいのかなとも思ったんですが、様々な場を経験させて次の年につなげるために出場させました」
 全国の舞台で堂々とパフォーマンスするためには、踏んできた場数がモノをいう。高校から陸上競技を始めた宮内は、他の選手と比べて絶対的に経験が乏しかった。ゆえに岡村は少しでも彼の経験値を高めるために、多少の無理があっても四国新人、そしてジュニアユースに出場させたのだ。

 すると、ジュニアユースで宮内はその名を全国に轟すことになった。15メートル58の自己ベストをマークして2位に入り、全国大会で初めて表彰台に上がったのだ。これには岡村も「全国大会で入賞するとは正直、思っていませんでした」と驚きを隠さなかった。そして、ジュニアユースの結果は、順位以上に、宮内に大きな成果をもたらした。それは“自信”である。岡村によれば大会前の宮内は「全国でなかなか結果が出ず、少し自信をなくしかけていた」という。そんな時に成し遂げたジュニアユース準優勝を宮内は「全国で勝負できる、優勝できると確信をもつきっかけになった」と振り返った。

 モチベーション、経験値、自信……。高校2年の1年間で、宮内のショットプッターとしての総合力は格段に上がったといっても過言ではない。実際、宮内は高校最後のシーズンで悲願の日本一に向けて突き進んでいく。

(第3回へつづく)

宮内育大(みやうち・いくひろ)
1990年6月14日、高知県生まれ。大杉中時代はソフトボール部に所属。中学3年の時に参加した陸上大会の砲丸投で優勝したのをきっかけに陸上競技の世界へ。追手前高陸上部では高校2年時にジュニアユースで2位、3年時は総体5位、国体優勝の成績を残す。日大進学後は全日本インカレで3度の優勝を経験。日本選手権では13年、14年と2年連続で3位に入った。自己ベストは17メートル82。身長183センチ。投法はグライド投法。



(文・写真/鈴木友多)
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