打撃開眼となったのは、最後の秋だった。福田将儀は4年秋のリーグ戦で、打率3割2分8厘をマーク。同年春まで1本も出ていなかったホームランも2本放ち、2年秋以来となるベストナインを受賞した。しかし、春は打率2割2分5厘と低迷し、秋の開幕1カ月前には右足の肉離れを起こし、チームを離脱している。果たして、秋の活躍は何が要因していたのか――。
 希少価値の高さが上位指名に

―― ドラフトで指名された時の気持ちは?
福田: 正直、あまり実感がわきませんでした。当日は最終戦があって、その後に閉会式と表彰式もあったんです。それが終わったのがちょうど17時頃で、急いで車で寮に戻って、シャワーを浴びて着替えて……学校に着いた時にはもうドラフトが始まっていました。そしたら僕が待合室に入って1分もしないうちに、呼ばれたんです。ちょうど「ふぅ」と一息ついた時に突然呼ばれたので、「えっ⁉」という感じでした。大学では最後の秋のリーグ戦でしか納得のいく結果を出すことができなかったので、正直こんなに高い評価をしていただけるとは思ってもいませんでした。

―― 東北楽天という球団へのイメージは?
福田: 2014年は最下位でしたが、その前年には日本一になっていますので、勢いのあるチームというイメージがあります。球団自体も新しいので、伝統をこれからつくっていくチームだと思うんです。そういう意味でも、僕たちのような若手も入りやすいんじゃないかなと。

―― 大久保博元新監督の印象は?
福田: 入団会見の時に初めてお会いしたのですが、ひと言でいうと「熱血漢」という感じでした。チームを強くしたいという思いがすごく伝わってきて、すごく熱い方だなと。僕にも「期待しているから、ケガだけはしないように、しっかりと1年目からやってくれ」と言ってくれました。

―― 球団からはどんな期待をされていると思いますか?
福田: 入団会見の時に球団社長から「君みたいなタイプの選手は楽天にはいないから、ぜひとも欲しいということで3位指名させてもらった。そのことだけは、プロの世界にいる間は、忘れないでほしい」と言ってもらいました。これから大変なことも多いと思いますが、きっと自分らしくやってきたことが評価されての3位指名だと思うので、そこは自信をもってやっていきたいです。

―― 一番のアピールポイントは?
福田: 守備と足です。球団からも高く評価していただいているので、自分の持ち味を発揮できるように、しっかりと普段の練習からやっていきたいと思っています。特にパ・リーグの球場はどこも広く、足があって守備範囲の広い外野手は需要があると思うので、どんどんアピールしていきたいですね。

 巨人・長野をイメージした真逆の理論

―― 4年秋は打撃が絶好調でしたが、春は打率2割2分5厘でした。夏の間に何かきっかけがあったのでしょうか?
福田: 秋のリーグ戦の開幕1カ月前、8月には毎年、東海地区へ遠征があるんです。その少し前に練習で右足の腿の裏を肉離れしてしまったのですが、遠征までには状態も良くなってきていたので、「大丈夫かな」と思って予定通りに遠征に行きました。でも、1試合目でまた肉離れをしてしまったんです。すぐに東京に戻って治療に専念することになり、それから約1カ月間、チームを離れることになってしまいました。

―― 開幕まで1カ月、ドラフトも迫っている時期でのケガは痛かったのでは?
福田: もう焦りしかなかったですね。ただ、治療していただいた医師の先生がとても信頼できる方で、「絶対に秋の開幕には自信を取り戻した状態で迎えられるようにするから、オマエもオレを信じてくれ。オレもオマエを信じて治療する」と言ってくれたんです。その先生の治療が完全に休むのではなく、トレーニングをしながら治療するという方針だったことも良かったですね。

―― ケガ自体は開幕に間に合いましたが、調子の良さは何が要因だったのでしょう?
福田: チームを離れていた1カ月の間にバッティングをガラリと変えたんです。春まで結果を残せていなかったので、自分でも「何か変えたいな」という気持ちはあったのですが、きっかけを与えてくれたのが同期の橋本隆広でした。彼はメンバーには入っていないのですが、野球にすごく詳しいんです。その橋本が「1回、バッティングをゼロから考え直してみよう」と。「1カ月しかなくて、不安だと思うけど、絶対にいい結果が出るように、オレも練習に付き合うから」と言ってくれたのが始まりでしたね。

―― 実際にどう変えたのでしょう?
福田: それまでとは考え方を真逆にしたんです。よく指導者は「ボールの内側を叩きなさい」と言いますよね。僕自身もそう教わりましたし、それが正しいと思っていました。でも、橋本は「ボールの外側を打て」と。

―― 橋本さんが考えた理論とは?
福田: 右バッターがライト方向に打つ時、内側を叩くと、どうしても外回りに回転がかかって、打球が切れてしまうことが多いんです。そうすると、反対方向に強い打球を打つことができない。それで、逆に外側を叩くようにすればいいんじゃないかと。長野久義選手(巨人)がライト方向にホームランを打つ時、バットが外から回るようにしてボールをとらえているんですけど、そのイメージですね。それで僕も長野選手のように打席でホームベースから離れて立つようにして、長野選手をイメージしながら振るようにしたんです。1カ月間、長野選手の動画を見て、タイミングの取り方やバットの軌道を研究して、ボールの外側を打つというイメージをつかんでいく作業を繰り返しやりました。

―― ボールの外側を打つとは?
福田: ボールの外側からバットを回してくるというか、ボールを巻き付けるようなイメージです。

―― それでライト方向にボールが切れずに飛ぶと?
福田: はい、飛びます。右を意識して打っていた時よりも、逆にその方が簡単にライト方向に打てるようになりました。例えばストレートの速いボールが来て、「あ、遅れた」と思っても、今までだったらファウルになっていたのが、ボールの外側を叩くことによって、簡単に対応できるんです。その感覚をつかむために、毎日素振りをしました。チームに復帰してからも、ずっと残ってバッティング練習をしました。

 開幕数日前につかんだ手応え

―― 手応えを感じたのはいつですか?
福田: 復帰したのが、秋のリーグ戦の開幕5日前くらいだったのですが、その日にオープン戦に出場したんです。試合感覚が戻っていないこともあったと思うんですけど、その日はまったく打てませんでした。あと数日で開幕を迎えるということもあって、正直焦りました。でも、翌日の試合で3本のヒットを打ったんです。それで「あ、これだ」という感覚がありましたね。

―― 1日で修正した点は?
福田: 要は気持ちの問題でした。1試合目は迷いがあったんです。それまでやってきたこととは真逆でしたし、それを実戦でやるのは本当に勇気が要りました。吹っ切れていない部分があって、半信半疑だったんです。そしたら試合後、橋本に「やらなきゃ意味がないだろう」と言ってもらったんです。それでその日も練習に付き合ってもらって、翌日の試合は「よし、大げさくらいにやってみよう」という気持ちで臨みました。そしたら結果が出て、自信をもって開幕を迎えることができました。

―― 最後の秋は、4年春まではなかったホームランも2本打ちました。
福田: 2本ともレフトへのホームランだったのですが、きれいに体が反応できましたね。これもスイングを変えたおかげです。これまで打てていなかったボールが打てるようになりましたし、特にパワーをつけたわけでもないのに、打球がすごく飛ぶようになったんです。ボールの外側を叩くことによって、バットに当たる面積が大きくなり、ボールへの力の伝わり方が増したんだと思います。

―― 志望届は迷いなく出すことができたのでは?
福田: 最初は、正直出そうかどうか迷っていました。もちろん、プロに行きたいという気持ちはありましたが、大卒なので、ある程度の評価がなければ厳しいと思っていたんです。迷っていた一番の理由は、やはりバッティングにありました。それで、秋の開幕前に橋本に相談して、こう決めました。秋は亜細亜大、國學院大と強豪とのカードが続く日程になっていて、その最初の2カードでヒットを10本打てたら志望届を出そうと。結果は、12本でした。それで思い切って挑戦してみようという気持ちで志望届を出したんです。

 厳しかった父親から送られた「ありがとう」

―― これまでに一番の転機といえば?
福田: 一番辛かったのは、小学校、中学校時代ですね。実は僕の父親が監督をやっていて、すごく厳しかったんです。本当によく怒られましたね。試合に負ければ、常に僕の責任になりましたし。守備でエラーをしたのが僕でなくても、「打てないオマエが悪い」と。家でも、常に野球の話でした。そんな時期を乗り越えてきたからこそ、というのはありますね。でも、今にして思えば、一番影響を受けているのはやっぱり父親だなと。高校も習志野を選んだのは父親の思いを感じていたからなんです。父も習志野の野球部だったのですが、途中でケガをして辞めざるを得なくなってしまった。その思いを僕に託しているということはずっと感じていましたから。

―― お父さんから一番に教わったことは?
福田: 技術うんぬんというよりも、人としてですね。自分ひとりで野球をやっているわけじゃない、と周囲への感謝の気持ちだったり、道具を大事にすることだったり。そんな父の教えもあって、僕は昔からグローブを磨くことが好きだったのですが、そのグローブに助けられたことがあるんです。中学2年の時に、僕がピッチャーをやっていて、すごいライナーが飛んできたんです。とっさに出したグローブに打球が入ってアウトにしたのですが、当たっていたら死んでいたかもしれません。それほどすごい打球で、あまりの打球の勢いに、そのまま倒れたんです。それでスパイクの歯で手を切ってしまいました。その時、父がこう言ったんです。「きっとグローブがオマエの命を救ってくれて、手を切ったくらいで済んだんだ。感謝しなさい」と。僕も普段から磨いていて良かったなと思いましたね。そのグローブは今でも父親の仕事部屋に飾ってあるんです。「オマエの命の恩人だから、オレがもらうぞ」って。

―― プロに指名された時、お父さんからはどんな言葉をかけられましたか?
福田: 「おめでとう」ではなく、たった一言、「ありがとう」と言われました。指名された時も泣かなかったのですが、これまでほとんど褒められたことのなかった父からそう言われた時は感動して泣いてしまいましたね。今までのことが走馬灯のように頭に浮かんできました。

―― プロでの目標は?
福田: 1年でも長くやりたいと思っています。その中で、最終的にはチームの中心選手となって、それこそ「楽天といったら」嶋基宏さん、則本昂大さんらと並んで「福田将儀」と言われるようになりたいです。

―― 最後に好きな言葉を教えてください。
福田: 苦しいことや辛いこともたくさんありますが、僕は常に野球をやっている時は笑っていたいので、造語なのですが「頑晴れ」という言葉を大事にしています。自分自身へのメッセージとして、常に笑っていられるように頑張りなさい、という意味が込められています。

福田将儀(ふくだ・まさよし)
1992年4月17日、千葉県生まれ。習志野高では1年からレギュラーで活躍し、2年春に甲子園に出場。初戦で本塁打を放ち、チームの勝利に貢献した。中央大では1年春からリーグ戦に出場し、2年秋にはベストナインを受賞した。4年秋には打率3割2分8厘、10打点、2本塁打、6盗塁の好成績で2度目のベストナインを受賞。176センチ、76キロ。右投右打。

(聞き手・斎藤寿子)

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