22年目を迎えるベテランが今季、新たな挑戦をする。東北楽天の松井稼頭央が内野手から外野手への転向を決めた。ショートで4度ゴールデングラブ賞に選ばれた松井が、外野手でも同賞を獲得すれば、NPB史上4人目の快挙となる。1994年にドラフト3位で西武に入団した松井は、3年目から両打ちに転向。以降、ベストナインを7度受賞するなど、日本を代表するスイッチヒッターとなった。04年からは米国に渡り、メジャーリーグで7年プレーした。11年に日本に戻ってからは毎年100安打以上を記録し、NPB通算2000本安打まで、あと80本と迫っている。10月には不惑を迎えるスイッチヒッターの極意に迫った。
<この原稿は2011年11月号の『小説宝石』(光文社)に掲載された原稿を抜粋したものです>

 左右両方の打席で打つバッターのことをスイッチヒッターと呼ぶ。一般的には左投手に対しては右打席、右投手に対しては左打席に立つ。
 日本を代表するスイッチヒッターと言えば、現役で真っ先に名前があがるのが今季から東北楽天ゴールデンイーグルスでプレーする松井稼頭央だろう。

 1994年にPL学園から西武ライオンズに入団。持ち前の俊足をいかすため、スイッチヒッターに転向した。
 西武時代のキャリアハイは2002年のシーズン。140試合にフル出場し、打率3割3分2厘、36本塁打、87打点、33盗塁という成績を残した。
 海を渡る前のNPBでの松井の成績は1159試合に出場し、1433安打、150本塁打、569打点、306盗塁。タイトルは盗塁王3回(97〜99年)、最多安打2回(99、02年)。ベストナインには7回(97〜03年)選ばれている。

 03年オフ、FA権を行使してニューヨーク・メッツに入団した。開幕ゲームのアトランタ・ブレーブス戦で、メジャーリーグ史上初となる新人の開幕戦初打席初球本塁打を記録した。しかし、故障や失策の多さもあり、翌シーズンよりショートからセカンドにコンバートされた。

 メッツ時代は1年目こそ114試合に出場したが、2年目は87試合に減り、3年目、シーズン途中でコロラド・ロッキーズにトレードされた。
 07年、ロッキーズはワイルドカードから勝ち上がり、チーム史上初のワールドシリーズに進出した。松井はシーズン中盤からセカンドに定着し、2割8分8厘、32盗塁と活躍した。
 08年、ヒューストン・アストロズに移籍。規定打席不足ながらメジャーリーグでは最高の打率2割9分3厘をマークした。しかし10年は開幕から不振に陥り、5月には解雇通告を受けた。
 メジャーリーグ7年間の成績は630試合に出場して615安打、32本塁打、211打点、102盗塁。

 10年のシーズンを最後に米国を去り、楽天と2年契約を結んだ。楽天では主に1番ショートとして活躍している。

 松井は高校時代はピッチャーだった。右投げ右打ち。ドラフト3位で西武に入団後、強肩俊足をいかすためショートにコンバートされた。スイッチヒッターに転向するきっかけは2年目、打撃コーチをしていた谷沢健一の一言だった。

「カズオ、右で振ったら左も振っとけよ」
 言われるまま左でスイングする。
「カズオ、いいスイングしてるね。左でもやってみたら……」

 しかし、松井には本格的に左打ちを練習する時間がなかった。
「プロ入り2年目といえば1軍に上がったばかり。守りの練習で精一杯で、左打ちの練習なんかしている余裕がなかった……」

 正式にスイッチヒッター転向が決まったのは2年目のシーズンが終わった頃だ。松井たち若手はウインターリーグでハワイに行った。
 旅立つ前、打撃コーチに就任したばかりの土井正博に言われた。
「4打席あったら、1打席でもいいから左で打たせてもらえ」
 しかし、松井はウインターリーグの途中で腰を痛め、一足早く帰国の途についた。
「帰ってからは土井さんに教わりながらマシンを打ち込みました。とにかくどんどん打たされた。
 僕は右対右も決して嫌いではなかった。だけど(95年の)打率を見れば、左ピッチャーには3割近く打っていたのに対し、右には1割しか打てなかったんです。“10回(左)打席に立って、2回ぐらい内野安打が出れば、今よりも打率はよくなるぞ”と。左で打って三遊間に持っていけると確かにヒットになる確率は高い。それからです。左打ちの練習を本格的に始めたのは……」

 最初のうちは内角のボールが怖かった。左打席からの風景は右打席のそれとは全く違っていた。恐怖心を取り除くために土井が取り入れたのがテニスボールを使っての練習だった。
「真ん中のコースでも怖い。そこで土井さんが投げるテニスボールをよける練習から始めたんです」

 その練習を手伝ったのが当時の監督・東尾修だった。
「スイッチで左打席に入ったときに、利き腕の右手が前にきますね。そこで、右ヒジにデッドボールを当てられてケガをすると、まともにスローイングができなくなってしまう。だから僕が打撃投手を務め、稼頭央はプロテクターをつけて内角球を避ける練習ばかりしていました」

 こうした独特の練習の甲斐があって、松井は96年、プロ入り3年目でレギュラーに定着。130試合にフル出場して、打率2割8分3厘、29盗塁という好成績を残した。
 過去、日本におけるスイッチヒッターといえば、高橋慶彦、山崎隆造、正田耕三に代表されるように足をいかすための転向が主流だった。
 しかし、松井の理想は二塁打、三塁打を量産できる中距離ヒッターだった。「二塁打、三塁打の延長がホームランになればいい」と考えていた。

(後編につづく)
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