須藤豊が西武のヘッドコーチに就任したのは、3年目のオフだった。その教えは新鮮だった。
「右は右、左は左。人格を変えなさい」
 それを口を酸っぱくして言われた。
<この原稿は2011年11月号の『小説宝石』(光文社)に掲載された原稿を抜粋したものです>

「最初は“エッ!?”という感じでしたね。“右と左を一緒にしちゃダメだ”と言うんですから……」

 須藤はいったい、松井に何を授けたかったのか。
「僕が巨人の2軍守備コーチをしている時、レジー・スミスが米国からやってきた。“右と左では人格を変えろ”というのは実はレジーの教えなんです」

 レジー・スミスについて説明しておこう。通算314本塁打のメジャーリーグを代表する強打者。スイッチヒッターとしてはミッキー・マントル(536本)、エディ・マレー(504本)、チッパー・ジョーンズ(453本)、ランス・バークマン(358本)、チリ・デービス(350本)に次ぐホームラン数を記録している(記録は11年9月25日現在)。
 83年に巨人に入団し、故障がちながら28本塁打を放って、チームのリーグ優勝に貢献した。84年を限りに39歳で現役を引退した。

 再び須藤。
「僕はレジーに“スイッチヒッターで一番大切なのは何か?”と聞いた。するとレジーはニヤッと笑って言いました。“おいスドウ、いい質問するな”と。
 そしてレジーは続けた。“右と左では切り換えなきゃいかん”と。“それは人格を変えることか?”と聞くと“そのとおりだ!”と言うんです。
 右でダメなら左、左でダメなら右。このように逃げ場をつくっていてはダメ。右は右、左は左での打法を完成させなければならない。そのことをカズオに言いました。
 彼は“右は大丈夫ですけど、左はアホです”と言っていました。要するに右はずっとそれでやっているから、打席でいろいろと考えられる。しかし左打席では考えて打つ習慣がないから1球目から行きます、と。
 そう言えば、こんなことがあった。デーゲームが終わると何やらソワソワしている。彼女ができたようなんです。ある日、4タコ(4打数ノーヒット)に終わった。にもかかわらず練習もせずにデートに出かけて行った。
 それで僕は言いました。“子供の頃に『宿題は家に帰ってからやる』と言って遊びに行き、家に帰ってきて本当にやったことがあったか?”って。“ないだろう? オレもない”と。
“それよりも、ちゃんと練習をして悪いところを修正してから彼女と会った方が楽しいぞ”と。そう言うと、ちゃんと彼は聞いてくれましたよ。それからはゲームで打てなかったら寮の隣の練習場で打ち込んでからデートに行くようになりましたね」

 スイッチヒッターが有利な点として、松井は「対角にボールが入ってくる状況を常につくり出せる」ことをあげた。右ピッチャーに対しては左打席、左ピッチャーに対しては右打席に入るのだから、それは当然だ。

 では、どういう構えがいいのか。松井は右ピッチャーに対しては左中間方向、左ピッチャーに対しては右中間方向に向ける。これだと前の肩が開かないというのだ。
「右ピッチャーが投げる際に、ボールがセンターのバックスクリーンの方から来ることはまずない。どちらかというと左中間方向から手が出てきます。同じように左ピッチャーの場合、手は右中間方向から出てくる。そのボールを打ち返そうと思ったら、ピッチャーに正対するより、ちょっと左中間方向、ちょっと右中間方向に肩を向けた方がいい。それでちょうど打球はセンターに飛んでいくイメージです」

 松井が非凡なのは、年々パワーを増していったところだ。プロ入り6年目の99年、初めてホームランを2ケタ(15本)に乗せると、23本、24本、36本、33本と量産を続け、日本人スイッチヒッターとしては最もパワーがあると言われた松永浩美でさえもできなかったホームラン30本台を2度も記録している。米国では出番が減ったが、それでも09年には9ホームランをマークしている。

 打球を遠くへ運ぶためには右打席なら右手、左打席なら左手でボールを押し込む力が必要である。とりわけ今季から導入された統一球のような“飛ばないボール”は、後ろの手による押し込みがなければ飛距離を得ることはできない。

「スイッチで成功しようと思うなら小さい頃から始めた方が有利」
 松井は言い、続けた。
「僕はプロになってスイッチに転向した。左の方が不慣れなものだから、どうしても練習は7(左)対3(右)くらいの割合になる。これはよくない。本当は両方、同じくらいの数を振らなければならないんです。
 これからスイッチを目指す選手に言いたいのは、不慣れな打席でも振り切って欲しいということ。左打席で三遊間にゴロを打てば確かにヒットは増えますが、それではおもしろくない。振り切って右中間にライナー性の二塁打、三塁打を打てるようになって欲しい。小さく振っていて、大きく振るのは難しいんですが、大きく振っていて小さなスイングに変えるのは意外に簡単なんです。不慣れな打席でも空振りを恐れちゃいけない。
 スイッチに転向すると、最初はどうしても“当て逃げ”になっちゃいますが、そういうヒットで満足しちゃいけない。しっかりとバットを振り切れる土台をつくり、やがては両方の打席で大きいものが打てる。これが理想ですね」

(おわり)
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