桃田賢斗が高校卒業後の進路にNTT東日本を選んだ理由は、田児賢一というプレーヤーの存在があった。NTT東日本に所属する田児は全日本総合選手権大会の男子シングルスで前人未踏の6連覇を達成した日本バドミントン界の第一人者。現在は国際バドミントン連盟(BWF)の世界ランキング29位(3月19日時点)だが、最高で3位になったこともある。2012年のロンドン五輪に出場し、世界選手権など国際大会の経験も豊富で、BWFスーパーシリーズでは7度の準優勝を果たしている。桃田は日本のエースである男の背中を追いかけた――。


「バドミントンに対して、すごくシビア。近くで見ていて、とても勉強になります」。桃田は5歳上の先輩について語る。田児は若くから才能を発揮し、天才と称されるプレーヤーだが、努力家の面も持つ。その練習熱心な姿に、桃田は大いに刺激を受けている。
「わざと見せつけてきている分もあると思います。“もっと練習しろよ”と。自分もやらなきゃいけないという気持ちになりますね」
 背中で見せる田児。ナショナルチームだけでなく、所属先でも、桃田の傍には最高の“教材”がある。

 一方で、「憧れていては勝てない」という考えも少なくない。バルセロナ五輪日本代表の陣内貴美子は自身の経験を踏まえ、こう語っていた。
「憧れているうちは、近付けるけど追い越せないものです。私も先輩を見て“ああいう人になりたい”と憧れました。でも、追い越せなかった。“あの人に勝つんだ!”と思わないと、憧れのままで終わってしまうんです」

 テニス界でも、錦織圭のケースがある。かつて錦織は、グランドスラム通算17度優勝のロジャー・フェデラー(スイス)に強い憧れを抱いていた。そのことを現コーチのマイケル・チャン(米国)に注意されたという。その後の錦織は、14年の全米オープンで準優勝し、世界ランキングでは最高4位に浮上するなど、世界のトッププレーヤーの仲間入りを果たした。錦織の例から見ても、コート場ではリスクペクトの念よりも、相手を倒す気概が必要である。

 その点は桃田も田児を“憧れ”のままで終わらせるつもりはない。
「尊敬する選手ですが、尊敬し過ぎてもいけない。田児さんを倒さない限りは世界チャンピオンが見えてこない。尊敬する選手であり、最終的には倒したい選手のひとりですね」
 桃田と田児は公式戦で3度対戦している。いずれも軍配は田児に上がっているように、その背中を超えられていないのが実状だ。

 新鋭に立ちはだかった絶対王者

 2人の初対決は、11年12月。高校2年の桃田にとって、3度目の全日本総合だった。池田雄一(日本ユニシス)、竹村純(JR北海道)と実業団に所属する選手をファイナルゲームの末に撃破し、自身初のベスト8入りを果たしていた。一方の田児は、この大会を3連覇中。1、2回戦をストレート勝ちと、順当に準々決勝へとコマを進めてきた。

 結果は0−2。高校2年時での全日本総合ベスト8は、田児と同じ成績だった。「組み合わせが決まった時に田児さんのところまで上がるのが目標だった。(ナショナルチームの)練習ではもう少しとれたんですけが、本番ではプレッシャーのかけ方が全然違いました。とれそうな球も圧倒されてとれなかった。今日は自分の力が通用しなかったことだけを感じました」という完敗だった。

 第1ゲームを9−21で落とし、2ゲーム目は17−21と迫った。しかし「点数を取れましたが、自分が決めたショットではなく相手のミス。内容は1ゲームとあまり変わらず、2ゲーム目も満足できなかったです」と桃田は手応えを掴めことすらできなかった。

 力の差ばかり見せつけられた桃田だが、対戦相手の田児は5つ年下の後輩に期待を寄せた。試合後の記者会見で、報道陣にこうリクエストをした。
「僕の次は彼だと思っている。世界ジュニアでもやってくれると思います。間違いなく世界のトップになれる可能性のある選手。これからも暖かく見守ってください」

 1年後、全日本総合で両者は再び対峙する。桃田は大会前の11月、世界ジュニアのシングルスを制していた。一方の田児は世界ジュニアの成績は高校3年時の準優勝が最高だった。世界ジュニアの成績で“田児超え”を果たした桃田。この準々決勝で真の意味での“田児超え”に挑んだ。

「(1年前の)負けのスコアを今でも覚えている。少しでも焦らせられるようにしたい」と意気込んで臨んだ2度目対戦。第1ゲーム、桃田は広角に打ち分けるスマッシュを次々に決め、14−12と一時はリードを奪った。しかし、王者は動じなかった。ジワリジワリと桃田を追いつめてくる。「1球1球の精度が違う。狙ったところに飛んで、1球ずつ追い込まれている感じがしました」。桃田のショットにミスが目立ち始め、このゲームを16−21で落とした。つづく第2ゲームは6−8から8連続得点を許し、一気に突き放された。7−21と反撃のスキすら与えてもらえぬままゲームセット。またしても桃田は田児にストレートで敗れ、「自分が思うようにできなかった時に我慢し、修正することができなかった。悔いが残る試合でした」と唇を噛んだ。

 成長を実感していた1年だっただけに、ショックも小さくなかった。
「自分の中では世界ジュニアを優勝できたし、もう少し戦えるんじゃないかと思っていました。しかし去年と同じように相手のペースに飲まれてしまって、自分のプレーが最後までできなかった。去年より差は開いてしまっている気がします」

 桃田が追いかける背中は、黙って待っていたわけではない。田児自身もまた高みを目指して、力をつけていたのである。試合後、田児は「ここで負けてしまうと、(桃田の)これから先を潰してしまう。まだ負けてはいけない立場にいる」と語った。日本バドミントン界を引っ張る男の自負が、そこにはあった。

 叶わなかった“3度目の正直”

 2度あることは3度ある。桃田の前に立ちはだかったのは、やはり田児だった。桃田にとって、5度目の全日本総合は準決勝まで勝ち進んだ。社会人1年目の桃田は、国内外で好成績を収めた。全日本社会人選手権で優勝。BWFスーパーシリーズではシンガポールオープン、中国マスターズの2大会でベスト8、中国オープンではベスト4に入り、全日本総合を迎える直前のBWF世界ランキングは20位に浮上していた。

 第1ゲームはアグレッシブに攻める桃田に、田児が受けて立つという構図となった。1点を取り合う展開。17−16とリードしていた桃田だったが、ここで3連続得点を許し、17−19と逆転される。1点は返したものの、最後はネット際の甘い球を押し込まれた。18−21で1ゲーム目を先取された。競った1ゲーム目とは一転、第2ゲームは一方的なものとなった。剛柔自在の田児の多彩なショットに翻弄され、12−21でストレート負けを喫した。“3度目の正直”とはならず、終わってみれば、またしても田児の完勝だった。

「自分はあまり考えるプレースタイルじゃない。感じるままに動いて、感じるままに打つ」という桃田。田児については「常に考えながらプレーしているのが対戦していて分かります。相手の調子いいショットをわざと打たせてくる。それが1発目は決まったのに、2発目は決まらない。本当に駆け引きがうまいですね」と、自らとの違いを分析する。

 キレのあるショット、巧みなラケットワーク。テクニックでは決して田児にも引けを取らないが、直接対決で1ゲームも奪えていないことからも分かるように、追いかける背中は、まだ遠い。
「高校生の時は勝てる気がしなかった。社会人1年目は世界も回っていたので、ちょっとは戦えるかなと思ったんですが、経験というか、力の差を感じましたね」

 桃田の実力を認める田児は、史上初の6連覇を達成した後の会見で、こう語っていた。
「僕が出なかったら彼(桃田)が優勝していたと思う。自分の役割を果たせると思うし、果たさなくてはいけない」。後継者と認める一方で、ライバルと呼べる位置までは達していない。そう思わせるコメントでもあった。

 翌年の全日本総合、7連覇のかかる田児だったが、左足首の捻挫で出場を辞退する。計らずして、田児が前年に話した通りのシチュエーションになった。「僕が出なかった彼が優勝していた」。名門NTT東日本が6年連続で守り続けてきていた男子シングルスの優勝トロフィーを他のチームの者に渡すわけにはいかない。桃田には大きな重圧がのしかかった。

(最終回につづく)

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桃田賢斗(ももた・けんと)プロフィール>
1994年9月1日、香川県生まれ。7歳でバドミントンを始め、小学6年時に全国小学生選手権大会のシングルスで優勝した。中学からは地元を離れ、福島の富岡第一中に入学。3年時には全国中学校大会のシングルスを制した。富岡高進学後は、2年時に全国高校総合体育大会(インターハイ)のダブルスで優勝、シングルスで準優勝を果たした。3年時にはインターハイのシングルスを制すと、アジアユース選手権、世界ジュニア選手権などの国際大会でも優勝を収めた。高校卒業後はNTT東日本に入社し、1年目から活躍。全日本社会人選手権で頂点に立つと、全日本総合選手権大会でベスト4に入った。昨年は男子国別対抗戦のトマス杯に出場し、日本の初優勝に貢献。全日本総合ではシングルスで準優勝した。BWFスーパーシリーズファイナルにも出場。BWF世界ランキング15位(3月19日時点)に入る。身長174センチ。左利き。

(文・写真/杉浦泰介)




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