「ていうかテラスだと恥ずかしいじゃないですか」
 と埼玉西武の中村剛也は言ったそうだ(「日刊スポーツ」4月26日付)。4月25日、福岡ソフトバンク−西武戦の試合後のことである。
 6回表、ソフトバンクの攝津正のカーブをとらえた打球は、ヤフオクドームの左中間スタンドに飛び込む6号ホームランとなった。
 ヤフオクドームは今季から、右中間、左中間が最大5メートル狭くなる「ホームランテラス席」なるものを設けた。そりゃ、いつの時代でもホームランは野球の華だろうけど、そのために客席をわざわざ5メートルも前進させるというのは、個人的には好きではない。

 むしろ、打者に対して、広い球場でもスタンドまで飛ばすことのできる技量を求めるべきである。われわれ野球を見る側も、明確にそういう発想を持たねばならない。

 中村といえば、思い出すコメントがある。2011年に導入された統一球があまりに飛ばないので、2013年のシーズン、日本野球機構(NPB)は開幕にあたり、前年までよりは飛ぶように、統一球の反発係数を変更していた。6月、公式にそれを認めざるをえない騒ぎになったときのことだ。中村は「何で変えたんやろ。個人的には残念です。芯に当たれば、ボールは飛んでいたんやから」(「日刊スポーツ」2013年6月19日付)とコメントしている。

 このとき、ほとんどの強打者は新しい飛ぶボールを歓迎しながら、変更が事前に選手側に知らされることなく行われたことを批判した。おそらく中村ひとりだけだったのではあるまいか。これまでの“飛ばない統一球”が好きだったと言って、はばからなかった打者は。

 5メートルおまけしてもらったホームランテラス席へのホームランじゃ「恥ずかしい」という今回のコメントも、あのときと同様、真のホームラン打者のプライドがにじみ出ていて実に気持ちいい。なにしろ“飛ばない統一球”でも48本打ってホームラン王を獲った打者ですからね(2011年)。中村のような本物のスラッガーの打球を見ていると、つくづく野球とは打撃するスポーツなのだ、という思いを新たにする。
 
 たとえば、北海道日本ハムでは“平成のON砲”大谷翔平と中田翔の連続ホームランというのがあった。
 4月22日の西武戦である。まず3番・大谷。左腕ウェイド・ルブランが投じた外角低めへの沈むボールだったと思う。ちょうど大谷の両腕がしっかりと伸びて、真芯でとらえると、打球は大きく高い孤を描いて右中間へ。大谷のスイングが、なぜかスローモーションのように見えた。

 たしかに甘いボールではあっただろう。しかし、バッティングのイデア(=理想形)が宿っているような美しいスイングだった。かつて川上哲治さんが「ボールが止まって見えた」ともらしたという有名な伝説があるが、スポーツのプレーには稀に特別な至高の瞬間が訪れることがある。この大谷のホームランもそのくらい美しいスイングだったから、スローモーションに見えたのではあるまいか。

 続く中田は、その真逆である。インハイのチェンジアップを思いきりぶっ叩いた。しばきあげた、というんですかね。力でねじ伏せた打球は、まさに豪快にスタンドまで飛んでいった。

 これだけのものをみれば満足、と誰もが思うのではあるまいか。やっぱり、野球とは、打って点を取るゲームだな、と。

 とすれば、貧打にあえぐチームを見る、というのはどういう行為なのだろう。たとえば今季の広島カープ。4月末の時点ですでに、1−0という結果に終わった試合が7試合もある。ちなみに戦績は3勝4敗。ついでに言えば、完封負けもすでに6試合。繰り返すが、3月27日の開幕から4月末までの1カ月と4日、計25試合やって、この結果である。

 そりゃ1シーズンに1回くらいは、1−0の究極の投手戦を味わうのもいい。神経のすり減るような観戦をするのもいい。しかし、わずか1カ月で7試合も人生修行みたいな試合を見ていると、なにか絶望を強いられているような気分になってくる。

 たとえば4月22日の巨人−広島戦は、菅野智之と前田健太の投げ合いで1−0、巨人の勝利。巨人の1点は1回にとったもので、いわゆる“スミ1”である。ちなみに、4月9日は、同じ菅野・前田の投げ合いで、逆に広島が1−0と“スミ1”勝利。だから、22日は、“スミ1返し”なんだそうな。

 マエケンのコメント。
「僕だけじゃなく(略)、みんなが苦しいとき。いつか流れが来る。それを信じてやるだけです」
 先の中村のコメントとくらべると、どう考えても、少々息苦しい。

 マエケンは真のプロである。確かに信じてやるしかない。ただし、それは、多くの困難をともなうことだと想像する。なぜなら、本当に「いつか流れが来る」のかどうか、なんの保証もないのだから。もしかしたら、本当は最後まで来ないのかもしれない。それは、誰にもわからないということをわかったうえで、マエケンはあえて「信じるしかない」と言っているのである。

 もし、「信じる」ことができなくなれば、それを「絶望」と名づけてもかまわないだろう。自らが真のプロであることを証明するために、あるいは「絶望」に陥らないために、「信じるしかない」のである。

 このような地点から、あらためて、中村の発言を思い起こすことは、日本野球にとって重要である。つまり、根底に打撃する欲望を持つことが、野球文化を「修行」から「快楽」に変えうるのだ。

 その意味で、今季、注目している打者がいる。
 中日の福田永将である。横浜高から高校生ドラフト3巡目で入団して9年目。横浜高では、たしか4番キャッチャーで、主将をつとめていた。中学時代から全国に名を知られた選手だったそうだけれども、正直なところ、高校3年のころは、なんだか結果をほしがってバッティングが縮こまっているように見えた。こんなので、プロに行っても芽が出ないのではないか、と実は不安を持ってみていた。

 プロ入り後も、高3の時のどこか縮こまったバッティングの印象は変わらなかった。それが、去年あたりからだろうか、あれっと思うくらい、バットを振るようになったように見えた。そして、今季の大ブレークである(過去8年で4本塁打の男が、今季だけですでに4本塁打)。

 彼に何が起きたのか、詳しいことは知らない。たとえば、「webスポルティーバ」4月13日配信(筆者・高森勇旗)によると、昨年の秋季キャンプでの波留敏夫バッティングコーチの助言が、「福田に新たな感覚をもたらした」のだそうだ。「右肩を出さないという感覚。『左肩を開かないように』は、何回も言われてきたけど、右肩を出さないという感覚は、今まで考えたこともなかった」(同上)と言っている。

 今、彼のバッティングを見ていると、構えたところから、ゆったりステップして、バットを大きく振り抜く。「大きく」というのは、ドアスイングとか、そういうことではない。ステップして、バットが内側から前に大きい軌道を描いて振り切られる。

 このスイング軌道が、じつに豪快かつ雄大なのだ。当たればすべて長打になる、という可能性に満ちあふれている。もうあの高3のときの“横浜の4番でキャプテン”の呪縛のようなものは、かけらも感じられない。

 極端なことを言えば、現時点では、日本の右打者でもっとも豪快で魅力的なスイングではあるまいか。いや、中田翔もいれば、もちろん、中村剛也もいる。それはわかっています。中村は、あの脱力した構えから繰り出すブレのないスイングがたまらないしなあ。でも、ここは、今季の福田のスイングの持つ、強打者としての新鮮な可能性を強調しておきたい。

 もうひとつ言いつのるとすれば、早稲田実高1年の清宮幸太郎のデビューである。ラグビーのヤマハ発動機・清宮克幸監督を父に持つ、この怪物くんをはじめて見たのは、アメリカで行われたリトルリーグの世界大会だが、投げては130キロ、打っては大ホームラン。いや、すごい。現地メディアが「和製ベーブ・ルース」と名づけたのも肯ける。早実では、春季東京大会で早くも130メートルの特大ホームランを放ったそうだ。

 なぜ、こんな情報を知っているかといえば、メディアがこぞって報道するからである。つまり、打撃する怪物の出現を、今、日本野球全体が固唾を飲んで見守っているわけだ。

 もちろん、1−0のしびれる投手戦を否定するつもりは毛頭ない。ただし、それはまず、両チームに強い打撃力があるという前提があり、さらに、それを完璧に抑え込む強烈な投手力が発揮される試合の場合だろう。

 打撃する欲望に見ほれること。その欲望を味わい、共有すること――そこに、ベースボールの始原の喜びがある、という思想は、保持しておきたいものだ。

上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
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