武藤のマインツ入りが決まった。最近では、こういうニュースに接するたび、およそGDP3位の国とは思えないJリーグの経済力に不安が募るのだが、ともあれ、日本の選手が純粋に戦力として見なされるようになってきていること自体は、喜ぶべきことなのだろう。
 日本から世界へ、というのは、Jリーグが発足した当時からのサッカー関係者の悲願でもあった。いまや、その思いは「夢」ではなく現実的な「目標」となったが、正直なところ、わたし自身はこんな日本になるとは思っていなかった。

 こんなにも、大学出身の選手、それも海外でプレーする選手が多い日本になるとは。

 日本サッカーの歴史を振り返る上で、Jリーグ誕生や初のW杯出場と同じぐらい大きな意味を持っているのは、96年のアトランタ五輪出場である。前園真聖らが28年ぶりの本大会出場へと日本を導いたことで、下火になりかけていたサッカー人気は底を打ち、ジョホールバルを頂点とする一大ムーブメントへとつながっていく。

 わたしにとっては、あのチームを取材したことが人生のターニングポイントにもなっているのだが、一連の取材の中で、忘れられない言葉がある。

 「あのチームで大学に通っていたのって、ぼくだけだったんですよ」

 それは、後にジュビロ磐田などでプレーする、当時東海大学の学生だった服部年宏の言葉だった。聞いた瞬間、自分がこう思ったことを覚えている。

(で、君が最後の大学出身の選手になるかもね)

 世界を見渡せば、古くはスティーブ・コッペルやソクラテス、最近ではシャビ・アロンソなど、プロでありながら大学に通っていた名手がいないわけではない。けれども、彼らは圧倒的な少数派であり、一つのチームに複数の大学出身者がいれば、それはちょっとしたトピックであり、代表チームともなれば、もはや事件である。日本もプロ化した以上、欧米と同じ道をたどるはず――わたしはそう思っていた。

 ところが、一時期は減少の一途をたどった大学出身のJリーガーはある時期からV字回復を果たし、代表に名を連ねる選手も珍しくなくなった。むしろ、高校時代は無名ながら、大学に入って一気に飛躍した選手も少なくない。

 日本サッカー界は、大いに誇りにしていい。

 プロリーグを成功させるのは簡単なことではないが、成功させている国はいくつもある。けれども、これほど多くの大学生を代表チームに送り込んでいる国は、そうあるわけではない。

 いま、東南アジアでは日本の指導者が引っ張りだこの状態だが、近い将来、大学で指導をしている人間へのニーズが高まりそうな気がする。そうした人材を欧米から探すのは、簡単なことではないからである。

<この原稿は15年6月4日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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