この国には、朝の野球と夜の野球がある。草野球の話じゃありませんよ。テレビ中継の話。朝とは、主として午前中に放映されるメジャーリーグ。夜とはもちろん、日本のプロ野球ナイトゲームである(3〜4月と8月には、これに昼の野球、すなわち高校野球が加わって、たいそう忙しくなるのだが……)。
 過日……正確には日本時間5月29日午前中のことだが、朝の野球でレンジャーズ対レッドソックスをやっていた。ご承知のように、レッドソックスには上原浩治と田澤純一がいるので、よく放送される。
 
 半分は習慣で、要するに、いわば惰性で見るともなく見始めたのだが、自分の視線が、一気に画面に集中していくのがわかった。
 見たことのないレッドソックスの左腕投手が投げている。お、これはいい。

 長身で手足が長く、スムーズなオーバースロー。メジャーらしく少々、上体が勝ったフォームながら、しなやかで、しかもリズム感がある。ボールに角度があるし、球速もある。

 また一人、すごいのが出現したな。
 彼の名はエデュアルド・ロドリゲス。22歳。188センチ、95キロ。ベネズエラ出身。この日がメジャー初登板初先発だった。

 投げるのはストレート、スライダー、チェンジアップという、まさにオーソドックスな3種類。ストレートは高めに伸びるボールと、打者のインロー、アウトローに決まるボール。だいたい93〜95マイルだから、150キロから153キロくらい。左で角度があって、コントロールもあり、変化球もそこそこ鋭く曲がり、沈む。何よりも、投げる姿に、投手としての気品がある。

 こういう新しい才能に出会うのは、実に心地よい(ちなみに、この日は7回3分の2無失点)。
 プロ野球を見る快楽のひとつは、まちがいなく、出現する才能を目撃することである。

 では、日本のプロ野球はどうかと言えば、もちろん、こちらにもさまざまな出現がある。
 たとえば、千葉ロッテの清田育宏。去年まで、好選手だなという程度の印象で、目立った活躍はしていなかったが、6年目の今季、一気にブレイクしている。

 なにしろ、5月は月間で40安打を達成。打率はゆうに3割5分を超え(6月5日現在)、首位打者を争う大躍進なのだ。でも去年、打っていた印象がないな、と思ったら、なんと出場わずか24試合で、打率1割7分という最悪のシーズンをすごしている。だからこそ、彼の今季のめざましい活躍は、出現した才能と言うにふさわしい。

 当然、昨秋から今季にかけて何かあったのだろうけど、よくはわからない。
 たとえば、2種類の打法。追い込まれるまでは左足を上げて打つが、2ストライク後はスタンスを広げてノーステップで打つ。見ていると、たしかにその通りだ。

 あるいは、昨年よりも、ベースから10センチ離れて立っている。<10センチほどの距離が、清田の打撃開眼につながった>(「日刊スポーツ」6月1日付)のだそうだ。「インコースが見やすくなりました」と本人も語っている。

 もちろん、そういう細部の技術的な修正があって、今年の大爆発につながっているのだろう。でも、それだけではないはずだ。ここまで劇的に変貌した以上、もはや、彼の存在自体に「出現」のエネルギーが内蔵されたのだ、と言いたくなる。

 一例として、5月26日の広島対ロッテをあげたい。この日、広島の先発は前田健太。清田は1番打者である。

 第1打席(1回表)、スライダー、スライダーときて、3球目、アウトローに沈むツーシーム(?)をショートゴロ。

 第2打席(4回表)、4球目のスライダーをセンター前へライナー……かと思ったら、二塁手・菊池涼介がダイビングキャッチの超ファインプレー。ほぼヒットの当たり。

 第3打席(6回表)、ストレート、ストレート、ツーシーム、ストレート、ストレートときてカウント3−2。ここから高めのスライダーを見逃し三振。

 第4打席(投手・永川勝浩、8回表)、3−2から外角低めのスライダーを、鮮やかにライト線二塁打。

 第5打席(投手・中崎翔太、9回表)、外角低めのストレートを三遊間タイムリーヒット。

 この日は5打数2安打。
 この結果は、きわめて示唆的だと思う。つまり、今の清田には、永川のスライダーや中崎のストレートは、まず、かなり高い確率でヒットにできる力があるのだ。

 ではマエケンはどうか。第2打席をヒットとカウントすれば、事実上3打数1安打。きっちり打ったとも言える。待っていたスライダーを計算通りにセンター前へのライナーにした。

 でも、第3打席、ストレートを見せられた後のスライダーは、ついていけなかったとも言える。おそらく、永川や中崎とマエケンでは、見せられるストレートの質が違うのだ。

 つまり、清田はたしかに今季、出現したすばらしい魅力のある1番打者だが、すべての打者を越えている――たとえば全盛期のイチロー(マーリンズ)がヒットを打つことに関しては、すべての打者を越えていたように――そういう意味で超越的な打者、とまで言えるほどではない。どうしても、そういう感覚が残る。

 たとえば、大谷翔平(北海道日本ハム)のホームランを見ると、これはすべての打者を越えた美しさだなと感じる。近年では、前田智徳のバッティングには、他のどの選手にもない、美としか言いようのない何かがあった。清田に起きていることは、そういうのとは、少し違う出現ではあるまいか。

 話を朝の野球に戻す。
 青木宣親がジャイアンツに移籍したおかげで、今季はよくジャイアンツ戦を見ることができる。
 
 エース、マディソン・バムガーナーは、現在、先発投手としては、メジャーNo.1左腕と言っていいかもしれない。ややサイド気味のスリークォーターからストレート、スライダーをコーナーに厳しく投げ分ける。無失点で回を重ねていくことも少なくない。

 たしかにバムガーナーはすばらしい左腕である。だけど、彼をみていると、ときおり、同じような腕の振りから、もっとすごい剛球をくり出して打者を牛耳った投手を思い出すのである。

 ランディ・ジョンソン。“ビッグユニット”と呼ばれ、2メートルを超える長身で、サイドから投げこむストレートは、しばしば打者の手元で浮きあがるように見えた。1990年代から2000年代にかけて、彼は、すべての投手より圧倒的に抜きん出た、まさに超越的な存在であった(同時期に、ロジャー・クレメンスやカート・シリングやペドロ・マルチネスがいたことをわかった上で、あえてこう言っております)。ひるがえって、バムガーナーは、たしかに現在のNo.1かもしれないが、けっしてジョンソンほどの超越的な存在ではない。

 そのように考えたとき、いまの球界に、超越的な存在がいないことに気づく。だけど、実は、その候補はいたのである。

 これは、えこひいきと言われてもかまわないが、それこそが、ダルビッシュ有(レンジャーズ)だった、と断言したい。
 ダルビッシュこそが、鮮やかなフォームで変化球を緩急自在にあやつり、かつ、コーナーに決まる96マイルのうなりをあげるストレートで打者を牛耳るあの投球こそが、絶対的な投手になる可能性を秘めていた(もちろん、来季以降、そうなることを祈っている)。

 そんなオーバーな、といわれないように、わかりやすい記録をあげておく。2013年4月2日は9回2死まで、2014年5月9日は7回2死まで、立て続けに2度も完全試合を達成しかけている(7回までではねえ、と言われるなら、あのデイビッド・オルティスの飛球をセカンドが取り損ねなかったら、あの試合はまちがいなく達成していた、と言いたい)。奪三振王をとった2013年には「シーズンで無四球で14奪三振以上の試合が3度」という記録もある。これは、クレメンス、ジョンソン以来だとか。このふたりの名前が出るところが、象徴的でしょう。

 ただ、残念ながら、彼は不在である。メジャーにも、いま、超越者はいない。

 夜の野球に戻って、たとえば中田翔(日本ハム)。今季こそは本塁打王に輝くかもしれない。いよいよ本物になってきたと言っていいのだろう。その豪快なスイングには、思わず目を奪われる迫力がある。インパクトからフォロースルーにかけての、大きく扇形に残像がのこるようなバットの軌道がいい。そこに彼の生き方を見る思いがするのも、魅力の理由だろう。

 ただ、だからといって、たとえば60本打ったときのウラディミール・バレンティン(東京ヤクルト)のような、もうどうしようもない、人の業を超えたようなすごさ、というところまではまだ達していないと思いませんか。あの大阪桐蔭高1年の時の鮮烈な甲子園デビューを思い出せば、彼には、そこまでの絶対的なホームラン打者になるだけの才能があると信じているのだが。

 新しい才能が次々に出現する――それが、まさにプロ野球の魅力である。
 清田も西野真弘(オリックス)も打ちまくってほしいし、“小さな大魔神”山崎康晃(横浜DeNA)や松井裕樹(東北楽天)には驚くほどにセーブを重ねてほしい。つまり、そういう存在になってほしい。

 日本球界では、クローザーも、佐々木主浩、岩瀬仁紀(中日)以来、絶対的な存在は出現していない。抑え投手には、あのヤンキースに君臨したマリアーノ・リベラほどの気品が備わって、はじめて本物の超越者と言える。

 今は、「彼の不在」の時代なのだ。だからこそ、逆に多様な才能が次々と現れやすい環境と言えるのかもしれない。しかし、野球を見るとは、そこから超越の域に達する選手が出現するのを待ち続ける営為でもあるのだ。

上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
◎バックナンバーはこちらから