「わかりました。入ります!」。中学に入学したばかりの頃、伊藤愛里は部活動見学を経て、陸上部への入部を決めた。当初は「テニスウェアが可愛いから」という理由でテニス部に入る予定だった。しかし、伊藤はラケットを手にしなかった。
 彼女は照れくさそうに真相を話す。
「実はアメちゃん、もらったから入りました。友達と『陸上部も回ろうか』と行った時に、部の先輩から飴をいただいたんです。それが理由なんです」
 12歳の少女は可愛いテニスウェアよりもアメちゃんに惹かれ、陸上への道を選んだ。“花より団子”でスタートした彼女の競技人生は、今もなお続いている。
 伊藤は愛媛県松山市で4きょうだいの次女として生まれた。2歳上の姉とよく行動を共にし、外を元気いっぱい走り回る子だった。母・朝香によれば、物怖じせず、明るい性格。好奇心も旺盛で、習い事も水泳、ソロバン、習字、日本舞踊といろいろと経験した。小学4年からはミニバスケットボールのチームでコートを縦横無尽に駆け回った。

 母・朝香は嬉しそうに当時を振り返る。
「バスケのチームでも娘がドリブルをすると、チームメイトは追いつけませんでした。運動会のリレーでも最下位でバトンを受けると、他の走者をごぼう抜きしたこともありましたね」
 運動神経が良く、足も速かった。母親にとって、自慢の娘だった。

 足が速かったとはいえ、中学から始めた陸上については、伊藤は右も左もわからない状態だった。最初は100メートルや1500メートル、走り幅跳びなど、様々な種目に挑戦したが、なかなか“これだ!”と思えるものには出合えなかった。試行錯誤の末、1年の秋に辿り着いたのが100メートルハードルだった。いわば“一目ぼれ”である。
「ある日、ハードルの試合を見に行った時に、他校の先輩でメッチャ綺麗に跳ぶ方がいたんです。それを目にして、“やってみたい”と思ったんです」

 しかし、直線上にそびえ立つ高さ76.2センチ(中学の高さ。一般は84センチ)のハードルは、彼女にとって、まさに障害と呼べるものだった。
「ぶつけたら、めちゃくちゃ痛いんですよ。痣もできましたし、ヒザも曲げられなくなりました」
 競技を嫌になったこともあったが、伊藤は「それ以外の道はない」と突き進んだ。痛みに耐え、身体でハードリングを覚えていった。

 芽吹き始めた才能

 本人によれば、中学時代の実力は「やっと県大会に出られるか」というレベルだったという。それでも伊藤を高く評価する高校があった。地元・松山市にある済美高校だった。

 伊藤に声を掛けたのは、同高の陸上部顧問を務めていた峯本光弼だ。
「初めて見たのは、彼女が中学3年の時です。夏の県大会でのレースを見て、スピードはあまりなかったんですが、リズムが良く、“器用にこなすなぁ”と感じていましたね」
 やはり際立っていたのは、ハードリングだった。峯本は他との“違い”をこう説明する。
「普通の子はハードルを跳んでしまうんです。それを彼女は巧く跨いでいました」

 中3の冬、伊藤は済美高のグラウンドが家の近所ということもあり、同高の練習に参加した。彼女は四国大会出場が決まっていたため、更なるレベルアップが必要だった。中学の先生の橋渡しにより、それは実現した。
「四国大会では“このままじゃ予選落ちだろう”という程度の実力でした。それで中学の先生が済美高に話しをつけてくださったんです」

 本人は「基礎体力がなかったので、ほとんど何もできなかった」と振り返ったが、数週間でも“飛び級”を経験したことにより、伊藤は着々と力をつけていった。予選落ちを危惧された四国大会では、なんと表彰台に上がったという。

 中学卒業後は、縁のあった済美高に進んだ。伊藤は「近かったからです」と冗談めかして語ったが、短期間でのトレーニングが実を結んだこととも進学の理由にあったのだろう。高校に入ってからは、体力づくりを中心に力を磨いていった。

「高校ではハードルの基礎を学びました。中学はそんなに陸上に力を入れているところじゃなかったんです。メニューはウォーミングアップにジョギングを2、3周し、ストレッチをする。それから“走れ”みたいなシンプルなものでした。競技の専門的知識が少なかった私に、陸上のイロハを教えてくれたのが、高校でした」
 基礎を徹底して学ぶことで、伊藤の才能は徐々に芽吹き始める。中学で「県大会がやっと」だったレベルが、高校では全国大会常連へと花開いていったのだった。

(第3回につづく)
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伊藤愛里(いとう・あいり)プロフィール>
 1989年7月5日、愛媛県松山市生まれ。中学で陸上競技をはじめ、1年時の秋に100メートルハードルを専門種目とする。済美高2年時の全国高校総合体育大会では同種目で4位に入賞した。関西大学進学後は、2年時から関西学生対校選手権で3連覇を達成。4年時の全日本学生対校選手権では初優勝し、アジア選手権やユニバーシアードと国際大会にも出場した。12年、住友電工に入社。1年目から全日本実業団対抗選手権を3連覇すると、昨年秋の長崎国民体育大会では成年女子の部で初優勝した。身長165センチ。自己ベストは13秒27。

(文・写真/杉浦泰介)




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