自身7回目の手術を受けたのが昨年4月。6月28日、神宮球場での巨人戦で814日ぶりに1軍復帰を果たした東京ヤクルト・館山昌平には試合中、右手で顔を撫でるクセがある。指先の感覚を確認しているのだ。
「(血行障害を患った)自分の指が冷たいのか温かいのかわからない時がある。冷たくなると(ボールが)抜けやすくなる。だから狙うのもアウトローぴったりではなく、うまく抜けたらアウトローという感覚。事故が起きてからでは遅いので、絶えず指の体温だけはチェックしています」

 そんな話を聞いたのは一昨年の2月だ。別れ際に握手をすると、ひんやりとした感触が私の右手に残った。この2カ月後に館山は5回目の手術、より具体的に言えば2度目のトミー・ジョン手術を受けた。文字どおり“傷だらけの人生”である。「もう、この体はしょうがないんです。車でいえば使い古しの中古車。単に血行障害になりました、リハビリをしました、手術をして治りましたという人と僕の場合は違うんです。ひとつ治れば、ひとつがまた壊れる。その繰り返しなんです」。ある種の諦観が垣間見えた。

 血行障害が進行すると、ボールが抜けるだけではなく、回転のかかりも悪くなる。しかも、指先の痛みは尋常ではないらしい。それでも投げなくてはならない。ピッチャーとは因果な商売だ。

 さて、血も通わず、爪も伸びない指先でボールを握るとどうなるか。指がへこんでしまう。そこで館山は、どうしたか。「投げる前にギュッと(指先を)ボールに押し付けると、指先に縫い目の跡がそのまま残る。そのへこみに引っかけて(ボールを)投げると、コントロールがつくんです。この発見はおもしろかったですね」。そして、続けた。「(最初の手術から)10年間で4回も手術をしている。あと10年野球をやろうと思ったら、もう4回の手術が必要でしょうね(笑)」。私は笑うに笑えなかった。

 ヤクルトを4度のリーグ優勝に導いた野村克也は「再生工場」の異名をとった。それにならっていえば、手術から復帰のたびにリニューアルした姿を披露する館山は「自己再生工場」か。「もし次に靭帯が切れたらバネを入れてくれないかなと。そしたら、どんなピッチングができるんだろう」。冗談めかして口にした言葉が忘れられない。

<この原稿は15年7月1日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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