ニックネームは「ベンちゃん」。今は亡きNHKの名物ディレクター和田勉に由来する。
 ナゴヤドームの外野スタンドに「輝く男」の横断幕が掲げられるベンちゃんこと和田一浩(中日)が“輝ける記録”を樹立した。


 42歳11カ月――。史上最年長での2000安打達成である。上司にあたる谷繁元信監督兼任選手が保持していた最年長記録を7カ月あまり更新した。

 ちなみに2000安打達成後も現役を張り続けているNPB生え抜きの選手は現在、和田、谷繁、小笠原道大と3人いるが、いずれも中日。さらに言えば、今もマスクを被る谷繁はもちろん、和田も小笠原もキャッチャーの出身である。
 なぜキャッチャーは長命なのか?

 西武時代、打撃コーチとして和田を2年間に渡って指導した金森栄治は「キャッチャーは他のポジションの選手とは鍛え方が違う」と語っていた。
 金森も社会人時代まではキャッチャーが本職で、外野手に転向したのはプロ入り後。自身の経験を踏まえてのものだろう。

 和田が県岐阜商高から東北福祉大、神戸製鋼を経て西武に入団した時には、年齢は24歳に達していた。
 しかも、当時の西武には伊東勤という名捕手がおり、和田の出番は限られていた。入団から5年間のヒット数は149。この時点で、将来の名球会入りを予想した者は皆無だったはずだ。

 野球人生好転のきっかけは、2002年に守備走塁・作戦コーチから監督に昇格した伊原春樹の一言である。
「もうキャッチャーミットはいらないからな」

 子供の頃からキャッチャー一筋だった和田がショックを受けたことは言うまでもない。キャッチャーミットを捨てろということは料理人が包丁を、歌手がマイクを失うことに等しい。

 しかし、キャッチャー失格が飛躍のきっかけとなるのだから、人生とはわからない。左遷と思えるような人事異動でもクサってはいけないのである。

<この原稿は『週刊大衆』2015年7月13日号に掲載されたものです>


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