二宮: 現役引退後、ジムを立ち上げました。ジム開設から何年になりますか。
川島: 15年です。会員は150人くらいで、そのうち、プロのライセンスを持っているのは15名ほどです。
 エリートには頼らない

二宮: まだ、日本チャンピオンや世界チャンピオンは出ていませんから、いずれは、との思いは強いでしょう。
川島: もちろんです。これまで日本王座に2回挑戦したんですけど、いずれも勝てませんでした。今の出世頭は、日本ウェルター級3位の有川稔男という選手。彼を今年、もしくは来年のうちにチャンピオンにしたいと考えています。

二宮: 有川選手の戦績は14戦10勝(8KO)4敗。今年で30歳ですから、早くチャンスが来るといいですね。
川島: 彼は少し変わった経歴で、東大中退なんです。当初は自衛隊に入る予定で、ウチに来たら、ボクシングにハマったとか。チャンピオンになれば、話題になるとみています。

二宮: ヨネクラジムの先輩である大橋秀行さんもジムを立ち上げ、既に3人の世界王者(男子)を育てています。これは励みになるのでは?
川島: 大橋さんのところは理想的な育て方をしていると思います。まず叩き上げで川嶋勝重をチャンピオン(WBC世界スーパーフライ級)にして実績をつくり、その後、アマチュアの有望選手も獲得して井上尚弥(WBO世界スーパーフライ級王者)が出てきた。ウチも、最初は叩き上げで選手をチャンピオンにしたいと考えています。その後でアマチュアから選手を獲ってジムを充実させていく。そんなシナリオを描いているんです。

二宮: では、現状はエリートには頼らないと?
川島: 敢えてアマチュアの有名どころは採用していませんね。最近は日本チャンピオンもほとんどがアマチュア経験のある選手ばかりになっている。そこに叩き上げで挑戦してベルトを巻かせたいんです。一から育てるのは指導者としても勉強になりますから、ひとつひとつ積み上げていきたいと思っています。

 ラウンドマストシステムへの疑義

二宮: なるほど。今のボクシング界に一石を投じると。それはロマンがありますね。他に現状のボクシング界に提言したいことはありますか。
川島: ラウンドごとに必ず優劣をつけるラウンドマストシステムは果たしてベストな採点方法なのかという気がしています。たとえば、フロイド・メイウェザーとマニー・パッキャオの試合にしても、今の採点方法なら打ち合いにはならないですよ。ちょっと当てて、あとは足を使えばメイウェザーには誰も勝てない。

二宮: 昔は10対10と優劣をつけないラウンドも少なくありませんでした。差をつけるがために、かえって優劣がわかりにくくなっているのかもしれません。
川島: 僕自身、解説をやっていて、どちらとも言えないラウンドは少なくない。それで10対9とポイントをつけるのはキツイですよ。たとえば同じように1発当てたとしても、3発打って1発当たったのと、1発だけ打ったのが当たったのと、どちらがいいのか。この答えを出すのは難しいと感じます。

二宮: アグレッシブさ、パンチの的確さ、ディフェンスの巧さ、リング上での主導権……いずれを高く評価するのか。これはジャッジの主観になってしまいますね。
川島: たとえば韓国の選手が強かった頃は、空振りが多くても一発、クリーンヒットすればいいという戦い方をしていましたね。でも、今はこの戦い方では見栄えが悪い。この前のパッキャオにしても、そうです。いくら前に出て積極的に闘っているように映っても、パンチが当たらなければ9点になってしまう。ヘタに打ち合わず、効率のいいメイウェザーに軍配が上がるんです。

二宮: 今のシステムが続く以上、メイウェザーに勝てる選手はいないでしょうね。
川島: ジャブを突いて、ボコボコと適度にヒットさせて、後は足を使う。その意味ではメイウェザーは今の方式で最も負けないボクサーと言えるでしょう。ただし、それが観る側にとっておもしろいかどうかは別問題です。僕は正直言って、メイウェザーとパッキャオの一戦はガッカリしました。

二宮: チケットが1000万円を超える席があったとも言われていますが、その金額に見合った内容だったかどうかは議論が分かれるところでしょうね。
川島: ファイトマネーにしても、メイウェザーは1ラウンドに換算したら20億円くらい。あれが果たして20億円のボクシングと言えたかどうか……。ファンの物足りなさがボクシング離れにつながらないかどうか心配です。ボクシング関係者は、そろそろ考えるべき時に来ているのではないでしょうか。

(おわり)
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川島郭志(かわしま・ひろし)プロフィール>
 1970年3月27日、徳島県海部郡海部町(現・海陽町)出身。幼少時から父よりボクシングの英才教育を受け、海南高(現・海部高)時代にはインターハイのフライ級で優勝。高校卒業後、ヨネクラジムに入門し、88年8月にプロデビュー。鬼塚勝也、ピューマ渡久地とともに平成三羽ガラスとして注目を集める。だが、プロ4戦目の東日本新人王決勝戦で渡久地に敗れるなど、挫折も経験。デビューから4年経った92年7月に日本スーパーフライ級王座を獲得する。同王座を3度防衛したのち、94年5月に世界初挑戦。ホセ・ルイス・ブエノ(メキシコ)を判定で下し、WBC世界スーパーフライ級王座に就く。同王座を6度防衛し、約2年9カ月にわたってベルトを保持し続けた。97年2月に敗れて失冠し、現役引退。00年に川島ボクシングジムを開設し、後進の指導にあたるとともに、テレビ中継の解説者としても活躍している。



(構成・写真:石田洋之)


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