二宮: 17戦目でホセ・ルイス・ブエノ(メキシコ)に挑戦して、WBC世界スーパーフライ級王座を獲得します。ようやく夢が叶ったという喜びは大きかったのでは?
川島: なんか現実味がなかったですね。チャンピオンになったという感覚は後から湧き出てくるものです。地元に帰ったりして、注目度が高まったり、周りがチャンピオンとして認めてくれるうちに実感が出てきました。
 世界戦でも緊張しなかった

二宮: 達成感というところまでは行かなかったと?
川島: 苦労して、なんだかんだと遠回りした割には、嘘みたいな気分でしたね。本当なのかなという思いの方が強かったです。

二宮: 世界戦に臨む上で、それまでとは異なるプレッシャーや緊張感はありましたか。
川島: 先輩の大橋(秀行)さんの付き人をやらせてもらって世界戦に向けた行事はだいたい分かっていました。緊張感もなく、やりやすかったです。自分の中では、いい予行演習になったと感じています。

二宮: 大橋さんは7度世界戦を戦って、WBC、WBA世界ミニマム級のタイトルを獲得しています。世界戦の雰囲気を肌で感じられたのは大きかったと?
川島: 世界チャンピオンだったチェ・ジュンファン(韓国)や、リカルド・ロペス(メキシコ)を間近で見ていたので、いざ自分が世界戦に臨むとなっても、あまり意識はしませんでしたね。

二宮: 特にリカルド・ロペスは無敗で最強の挑戦者でした。大橋さんも3度、ダウンを奪われて敗れました。
川島: 前評判通り、強かったですね。練習の時から慎重で神経質。準備体操ひとつとっても、自分自身で噛みしめながら体に動きを覚えこませるようにやっている。ものすごく考えながらボクシングをやっているイメージでした。

二宮: 決して体が大きいわけでもなかったのに、絶妙な距離感で相手を倒していました。
川島: 結局、無敗で引退しましたから、すごい選手でしたね。メキシコ人といえば、個人的にはロペスの印象が強い。それから、メキシコ人=無敵という先入観があったので、日本人が簡単に勝ってしまう現状には拍子抜けしてしまいますよ(苦笑)。

二宮: ロペス以外にも、マエストロの異名を持ったミゲル・カント(元WBCフライ級王者)、忍者のようなフットワークを駆使したヒルベルト・ローマン(元WBCスーパーフライ級王者)……。かつてのメキシカンは日本人ボクサーにとって高い壁でした。大橋さんは、その転換点となったのが、川島さんがブエノに勝ったことではないかと話しています。
川島: 確かにブエノには2回勝って、5度目の防衛戦では(セシリオ・)エスピノにも勝ちました。指名試合も多くて、初防衛戦で対戦した(カルロス・ガブリエル・)サラサールは、その後、IBFでチャンピオンになりましたね。

二宮: サラサールは2階級制覇も果たしています。
川島: それぞれ戦った相手はやりずらかったですよ。外国人は距離感が全然違う。体の割にリーチが異様に長くて、思わぬところからパンチが飛んでくるんです。体が小さいから安心ということはありませんでしたね。

 先の先を読むことを意識

二宮: 世界戦はタイトルを奪った試合から4試合連続の判定勝ちでした。周囲から「そろそろKO勝ちを」との重圧は感じませんでしたか。
川島: そこまではなかったですね。そういった声に対して、あまり自覚がなかったのかもしれません。とにかく、個人的には王座を長く防衛して続けたいという気持ちが一番でした。(ジムの)米倉(健司)会長からも「お前のいいところを出して行けよ」と言われただけでした。

二宮: 判定とはいえ、ジャッジはいずれも3−0とほぼ完勝でした。
川島: 仮にKO勝ちをするにしても、僕の中では流れの中で倒したいという思いが強かったですね。偶然の一発ではなく、ちゃんと相手を仕留めて勝つ。それが試合に臨む上でのひとつの目標でした。

二宮: 理詰めのボクシングというわけですね。あの時代、そこまで意図を持って世界で戦えたのは、川島さんくらいだったのでは?
川島: 将棋ではないですけど、先の先を読むことは意識していましたね。それは小さい頃からやってきた勘、兄から教わったメキシコ仕込みのテクニックなどが役立ったと思います。

二宮: 7度目の防衛戦となったジェリー・ペニャロサ(フィリピン)戦は1−2の判定で惜しくも王座陥落となりました。もう1度カムバックしようという気持ちは起きませんでしたか。
川島:  そういう気にはならなかったんですよね。30代になっても内山(高志)や山中(慎介)が活躍している今なら続けていたかもしれません。ただ、当時の感覚では27歳はかなりのベテラン。大橋さんも20代で引退していましたから、これが潮時なのかなと感じました。

二宮: 引き際は人それぞれとはいえ、潔い決断だったと感じます。その後、今に至るも四国出身の世界王者は川島さんただひとりです。
川島: 土地柄か、ボクシング自体が盛んではないですからね。アマチュアも四国勢は弱い。地元への恩返しも兼ねて、徳島や高知で高校のボクシング部を毎年、指導する機会がありますが、全国レベルと比較すると、まだまだだと感じます。

二宮: やはり、自身がそうだったように、小さい頃からの英才教育が必要だと?
川島: 今になると、その重要性は痛感しますね。鉄は熱いうちに打てと言われるように、小さいうちから、きちんと指導することは大事だと思います。

(最終回につづく)
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川島郭志(かわしま・ひろし)プロフィール>
 1970年3月27日、徳島県海部郡海部町(現・海陽町)出身。幼少時から父よりボクシングの英才教育を受け、海南高(現・海部高)時代にはインターハイのフライ級で優勝。高校卒業後、ヨネクラジムに入門し、88年8月にプロデビュー。鬼塚勝也、ピューマ渡久地とともに平成三羽ガラスとして注目を集める。だが、プロ4戦目の東日本新人王決勝戦で渡久地に敗れるなど、挫折も経験。デビューから4年経った92年7月に日本スーパーフライ級王座を獲得する。同王座を3度防衛したのち、94年5月に世界初挑戦。ホセ・ルイス・ブエノ(メキシコ)を判定で下し、WBC世界スーパーフライ級王座に就く。同王座を6度防衛し、約2年9カ月にわたってベルトを保持し続けた。97年2月に敗れて失冠し、現役引退。00年に川島ボクシングジムを開設し、後進の指導にあたるとともに、テレビ中継の解説者としても活躍している。



(構成・写真:石田洋之)


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