がんと闘ったプロレスラーは少なくない。新日本プロレスなどで活躍した西村修は1998年9月から、後腹膜腫瘍のため長期欠場を余儀なくされた。1年8カ月後に復帰し、現在は文京区の区議会職員を務めている。


 初代タイガーマスク(佐山聡)の好敵手といえば小林邦昭だ。覆面レスラーの命とも言えるマスクをはがしにかかるなど、ヒールとして大暴れし、「虎ハンター」の異名を欲しいままにした。相次いでガンに見舞われ、計3度の手術を受けたという。

 関節技の名手として知られる藤原喜明も07年9月に胃ガンの宣告を受け、胃の2分の1を切除した。その後、リンパ節への転移も見つかったが、治療が功を奏し、66歳の今もリングに上がっている。

 タフなプロレスを売り物にした小橋建太は腎臓がんを克服して、手術から1年5カ月後にリング復帰を果たした。それから引退までの5年半、リングに上がり続けた。

 がんはがんでも、こちらは「悪性リンパ腫」。血液のがんである。

 UWFインターなどで活躍した垣原賢人からメールが入ったのは、街がにぎわう昨年のクリスマスのことだ。
<突然ですが、あまり良くないニュースがございます。自分の体に悪性リンパ腫が見つかり、来年から闘病生活を余儀なくされることになりました>

 悪性リンパ腫の中でも、彼が患ったのは「濾胞性リンパ腫」という性質の悪い種類で、本人いわく「プロレスでいえば、カウント2・9の状態」。この日からがんとの壮絶な闘いが始まった。

 現役時代、約100キロあった体重は68キロにまで落ちた。野菜のみの食生活に切り換えたことで、見た目にも筋肉は張りを失い、服の大きさばかりが目立つようになってきた。

 それでも本人は意気軒昂である。入門当初、厳しいトレーニングに耐え、多くの入門者が脱落していく中、いくつもの団体を渡り歩きながらも、自らの存在感をリングに刻んできた “生命力”が闘病生活の支えになっているのだろう。

 その垣原が、このほど『Uの青春 カッキーの闘いはまだ終わらない』(廣済堂出版)という半生記を出版した。

 印税が治療費の一部にでもなれば、との思いで私がプロデューサー役を買って出たのだが、あとがきを読んで驚いた。

 がんを克服した暁には、リング復帰を目指す、と明言しているのだ。
<引退しているとはいえ、僕はプロレスラーなのだ。レスラーは超人でなければならない。がんになったからといって弱気になっているようではレスラー失格である。不屈の闘志で頑張っている先輩レスラーを見習わなくてはいけない>

 難病に立ち向かうには、これくらいのファイトが必要なのだろう。

 一方で垣原は昆虫キャラクター・ミヤマ☆仮面を名乗り、森林の保護活動にも力を入れている。彼にしかできないことが、まだたくさん残されている。

<この原稿は『サンデー毎日』2015年8月30日号に掲載されたものです>


◎バックナンバーはこちらから