17日、日本人メジャー進出のパイオニア的存在である野茂英雄が現役引退の決意を固めたことがわかった。
 野茂は新日鉄堺時代の1988年にはソウル五輪に出場し、日本の銀メダル獲得に大きく貢献した。翌年のドラフトでは史上最多の8球団から指名を受け、抽選で交渉権を獲得した近鉄に入団。1年目から最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、さらには新人王、沢村賞、ベストナインなど主要タイトルを総なめにし、MVPにも選ばれた。
その後、4年連続で最多勝、奪三振王に輝き、日本球界きっての投手として活躍した。

 1995年、近鉄を任意引退し、ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ。5月2日にはメジャー初登板を果たし、1年目から13勝6敗、236奪三振をマークし、新人王ならびに奪三振王を獲得した。
 独特なフォームは“トルネード投法”と呼ばれ、伸びのあるストレートと伝家の宝刀、フォークを武器に強打者を三振に打ち取る“サムライ”の姿に日本人も米国人も熱狂した。

 メジャー2年目の96年、さらにはボストン・レッドソックス移籍後の2001年にノーヒットノーランを達成している。タンパベイ・デビルレイズ(現レイズ)時代の05年には日米通算200勝をマークした。

 その後、6球団を渡り歩いた野茂は、日米通算201勝を挙げるが、06年6月にシカゴ・ホワイトソックスを解雇される。メジャー復帰を目指し、右ヒジを手術した野茂は、懸命なリハビリを経て昨年はベネズエラのウインターリーグに参加した。

 今季は招待選手としてメジャーのキャンプに参加し、カンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結ぶ。右足付け根のケガで開幕ロスターは果たせなかったが、4月5日に昇格すると、10日には1000日ぶりにメジャーのマウンドに立った。しかし、3試合で防御率18.69と結果を残すことができず、20日には戦力外通告を受けていた。

 その後、野茂を獲得する意思を示す球団はあらわれず、現役引退の道を選ぶこととなった。