プロ野球パ・リーグは26日、優勝へのマジックを1としていた埼玉西武ライオンズが、マジック対象チームのオリックスが東北楽天に敗れたため、4年ぶり21度目(前身の西鉄時代も含む)のリーグ制覇を果たした。チームは昨季、26年ぶりのBクラスに転落したが、わずか1年で常勝軍団としての輝きを取り戻した。

★二宮清純特別コラム「ライオンの逆襲」掲載!
 昨年26年ぶりのBクラスを経験した埼玉西武は、渡辺久信新監督を迎えチーム再建を行った。パ・リーグ制覇の要因は圧倒的な破壊力を持った打線だろう。

 シーズン序盤にはブラゼル、G.G.佐藤がホームランを量産しチームを牽引した。シーズン中盤からは中島裕之が打率部門で、中村剛也が本塁打部門でリーグトップに立つ活躍をみせた。今年就任したデーブこと大久保博元打撃コーチの下、若獅子たちはフルスイングを心がけ、12球団随一の強力打線に生まれ変わった。

 もともと投手力には定評のあるチーム。今年はエースの涌井秀章が不調だが、若い岸孝之、帆足和幸や東京ヤクルトから移籍した石井一久らがローテーションをしっかり守り、今シーズンを乗り切った。抑え投手グラマンの安定した力も、チームの躍進に大きく貢献した。

 4年ぶりのリーグ制覇はなったが、優勝決定に至るまでの足踏みは気になるところ。クライマックスシリーズ(CS)に万全の体制で臨むためにも、もう一度勢いのあったシーズン序盤の戦いぶりを思い出してもらいたい。

 埼玉西武はCS第2ステージから登場する。4試合先取だが、優勝チームには1勝のアドバンテージが与えられる。第2ステージは10月19日(金)に県営大宮球場で開幕、第2戦以降は西武ドームで行われる。

二宮清純特別コラム「ライオンの逆襲 〜渡辺久信〜」

 埼玉西武ライオンズの新監督に就任した渡辺久信の現役時代の印象をひと言でいえば「暴れ馬」。お世辞にも絶妙な投球術とはいえなかったが、それを補って余りある球威を武器に、打者と真っ向勝負を演じ続けた。
 西武黄金期のエースとして1986年(16勝)、88年(15勝)、90年(18勝)と3度、最多勝に輝き、6度の日本一と10度のリーグ優勝を経験している。

 その渡辺が26年ぶりにBクラスに転落したチームを率いることになった。火中の栗を拾うことに不安はないのか?
「昨年の秋に“来季は1軍の監督をやってくれないか?”と打診されたときは、やはりすぐに返事はできなかった。“ちょっと考えさせてください”と伝えました。3年間、ファームの監督をやっていたのでチーム状況については把握できていました。とはいえ1軍の監督ともなると責任の重みが違ってくる。
 自問自答を繰り返しているうちに眠れなくなった。僕の野球人生で、こんなことは初めてでした。僕はこれまでレギュラーシーズンの開幕投手を3度、日本シリーズの初戦先発を4度も経験しているのですが、前日に眠れないということは、これまで一度もなかった。柄にもなく“来年どうなるのかなァ”と考え込んでしまいました」

 現役引退後、渡辺はコーチ修行のため台湾に渡った。西武時代のチームメイト、郭泰源に誘われたのがきっかけだ。
「西武、ヤクルトで15年間の投手生活が終わり、今後どうやって野球界にかかわっていこうか……。その時に湧いてきたのが指導者への思いでした。コーチとしての勉強をしてみたいと」

 ところが渡った台湾で予期せぬ事態が待っていた。投手力の弱さを補うため、監督から直々に現役復帰を命じられたのだ。
 渡辺が所属していた台湾職業棒球大聯盟というリーグは、本人によれば「日本の2軍よりも少し下」のレベル。日本で培った技術を持ってすれば抑えるのは簡単だった。

「1年目の99年はすごく勝っちゃって18勝(7敗)もしたんです。防御率は2.34。MVPに始まり、最多勝、最多奪三振、最優秀防御率とリーグのタイトルは総ナメです。
 監督は僕が投げると勝つからどんどん投げさせる。おかげで1年目は207イニングも投げさせられましたよ。
 このとき、僕は34歳です。チームの勝利に貢献できるのは嬉しいけど、これじゃ何しに来たのかわからない。“オレが投げてどうするんだよ。もっと若い選手を使おうよ”という気持ちでしたね。
 ただ、自分がマウンドに立つことで、選手たちに手本を示すことはできた。たとえば伸び悩んでいるサイドスローのピッチャーに対しては“オレは今日、オマエと同じフォームで投げるからよく見とけ!”といって実際にサイドスローで投げたこともあります。それでいきなり完封しちゃったんですが(笑)」

 台湾での悪戦苦闘の3年間が渡辺をひと回り成長させたことは想像に難くない。途中からは通訳なしでインタビューに答えられるようになったともいう。
「国民性の違いといえばそれまででしょうが納得いかないこともあった。1点を争うゲームの終盤、ウチのサードが2死3塁の場面でファンブルして決勝点を与えてしまった。これは後ろに下がって取ろうとしたもので、完全なミスです。
 で、その次に強烈なゴロが飛んできた。これはダイビングキャッチでとめ、見事にファーストで刺した。その直後、僕は信じられない光景を目にしてしまった。サードの選手と守備コーチがハイタッチして喜んでいるんです。
 これにはすごく違和感を覚えた。いわゆる傷を舐め合う体質。これを改めない限り、このチームは強くならないと思いましたね」

 渡辺に「野球に対する厳しさ」を教えたのは入団時の監督・広岡達朗である。
 入団1年目にこんなことがあった。ロッテ戦で5点のリードを守れず逆転されてしまった。若い渡辺はアップアップの状態だった。

「貴様、野球を舐めとんのか!?」
 ベンチに怒声が響き渡り、足に痛みが走った。思いっきり蹴っ飛ばされてしまったのだ。
「野球に関してあんなに厳しい人はいなかった。今考えると、それだけ僕に期待をかけてくれていたということでしょう。若いときに広岡さんと出会えたことは僕にとっては幸運だった」

 痛恨の記憶もある。89年のシーズン、パ・リーグは西武、近鉄、オリックスが三つ巴の優勝争いを演じていた。
 10月12日、西武球場での西武対近鉄のダブルヘッダー。首位西武と2位近鉄とのゲーム差はわずかに1。
 5対5で迎えた8回、渡辺はこの年、初めてリリーフのマウンドに立った。迎えるバッターは近鉄の主砲ラルフ・ブライアント。4回、6回と郭泰源から2打席連続ホームランを奪っていた。
 渡辺はブライアントをカモにしていた。自信を持ってストレートを投げたところ、打球は快音を発してライトスタンド上段へ――。

「ベンチへ帰るなり森祇晶監督から“何でフォークを投げないんだ!?とイヤミをいわれました。でもその年のブライアントはフォークもそうだけど真っ直ぐにも弱かった。抑えるとすれば、このどちらかなんですよ。決して勝負球が間違っていたわけじゃない。だから、こちらもついカッとなってロッカーにバーンとグラブを投げつけてしまった。ピッチャーというのは抑えたことよりも打たれたことの方がよく覚えているものなんですよ」

 渡辺の視線の先には南国の強い日差しを浴びながら懸命に白球を追いかけている“若獅子”たちの姿があった。
「ウチはこれ以上、失うものがない。だから怖いものなしですよ。もう下はひとつだけ(昨季5位)。だから、どんどんアグレッシブにいく。そうすることでしびれるようなゲームを選手たちに経験させてやりたい。昨季は逆転負けが37試合もあった。これが克服できれば……」
 手負いのライオンが再びキバをむく日はやってくるのか。

<この原稿は2008年4月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>