1日、今季限りで引退を表明していた清原和博(オリックス)が福岡ソフトバンク最終戦に出場した。チームはリーグ2位が確定し、クライマックスシリーズ進出が決定しているが、清原は自ら欠場を発表。そのため、この試合が現役最後の試合となった。
 生まれ故郷の大阪に「4番・清原」が戻ってきた。DHとして約2年ぶりに先発出場した清原は、第1、2打席はソフトバンクの先発・杉内俊哉に右飛、空振り三振に打ち取られた。しかし、6回1死一塁の場面でまわってきた第3打席、2−1からの外角高めのストレートをフルスイング。打球は右中間を破り、タイムリーニ塁打となった。最後となった4打席目は空振り三振に終わったものの、清原らしく豪快なスイングを見せた。

 試合後のセレモニーではアニキと慕う歌手の長渕剛をはじめ、イチロー(マリナーズ)、金本知憲(阪神)がかけつけ、清原を労った。感極まり、終始大粒の涙を流しながらこれまでの23年間を噛み締めた清原は次のように述べた。

「プロ入りして23年間、いろいろあったが、今日、子どもの頃いつもテレビで観ていた世界の王さんから花束をいただき、心から感謝しています。そして11年間、僕を育ててくれた西武ライオンズ、昨日、渡辺監督をはじめ、西武ナインに胴上げをしていただき、ここで改めてお礼を言わしてもらいたい。

 自分の夢であったジャイアンツでも9年間お世話になりました。辛いこともたくさんありました。それでも一番の心の支えは球場でのファンの皆さんのあたたかい声援と拍手でした。ジャイアンツの皆さん、9年間、ありがとうございました。
 オリックスバファローズに入団しましたが、思うように活躍できず、大阪、オリックスのファンの皆さん、本当に申し訳ありませんでした。今年、チームはクライマックスに進みます。僕は出場できませんが、オリックスの若い選手が必ずやってくれると信じています。

 このユニホームを着させてくれた天国の仰木監督、今日はイチローも来てくれました。ありがとうございます。阪神タイガースの金本選手は僕が足をケガしたら、治療器をもってかけつけてくれるような男でした。かねもっちゃん、ほんまにありがとう。
 大阪、そしてオリックスのユニホームを着たことを心に残し、今日、引退させていただきます。全国のプロ野球ファンの皆さん、23年間、応援ありがとうございました!」

 1986年、PL学園からドラフト1位で西武に入団した清原は、プロ野球史上屈指の強打者として活躍。97年には幼少時代から憧れていたといわれる巨人にFA移籍を果たした。しかし、ケガなどもあり、徐々に出場の機会が減っていき、05年オフ、戦力外通告という屈辱を味わうことになる。

“捨てる神あれば拾う神あり”――故・仰木彬氏から熱烈なラブコールを受けて翌年にはオリックスに入団した。しかし、昨季はキャンプ中に左ヒザを痛めて早くも戦線離脱。シーズン途中での手術に踏み切り、同年はプロ初の一軍試合出場なしに終わった。1軍復帰を目指した今季もキャンプから別メニューでの調整が続いたが、8月3日にようやく1軍登録を果たす。だが、自らの力の限界を悟り、23年間の現役生活に別れを告げることを決意した。

 高校時代はエースの桑田真澄と「KKコンビ」と呼ばれ、一世を風靡。5季連続で出場した甲子園では優勝2度、準優勝2度、ベスト4を1度という驚異的な成績を残した。プロ入り後も10度のリーグ優勝、8度の日本シリーズ制覇に貢献した。打撃3部門(打率、打点、本塁打)のタイトルとは無縁だったが、数々の名勝負を残し、多くのファンから愛された清原。奇しくも同級生の桑田も今春に引退をしており、入団同様、“KKコンビ”は同じ年に現役生活に別れを告げることとなった。


 なお、携帯サイト「二宮清純.com」では好評発売中の『プロ野球の一流たち』(2008年5月20日発行・講談社現代新書)の中から「清原は強打者だったのか」を更新中。ぜひ、お楽しみください。

 当HP編集長・二宮清純の携帯公式サイト「二宮清純.com」http://ninomiyaseijun.comへ携帯で(au、ドコモ、ソフトバンク)今すぐアクセス!
<利用料>
315円(月額税込、登録月より有料)
<アクセス方法>
EZweb(au)
トップメニュー → カテゴリーで探す → スポーツ・レジャー → 総合 → 二宮清純.com
i-mode(docomo)
メニュー/検索 → スポーツ → スポーツニュース → 二宮清純.com
Yahoo!ケータイ(SoftBank、旧vodafone)
メニューリスト → スポーツ → スポーツニュース →二宮清純.com