2004年11月3日(現地時間)、日本人初のNBAプレーヤーが誕生した。身長173センチながら、彼は2メートルオーバーの大男たちを相手にわずか10分間で7得点。それが田臥勇太のデビュー戦だった。あれから5年の月日が流れ、田臥は今、日本でプレーしている。夢を諦めたのではなく、夢を追いかけるための苦渋の決断――。田臥がそこまでNBAにのめりこむ理由とは、いったい何なのか。バスケットボールとの出合いから現在に至るまで当サイト編集長・二宮清純が直撃した。
二宮: バスケットをやるきっかけは何だったのでしょうか?
田臥: 僕が小学校低学年の頃、姉がやっていたんです。その練習にくっついていって、自分も自然とやるようになっていました。

二宮: その頃から抜群のセンスがあったんでしょうね。
田臥: いやぁ、運動神経はあるほうだったと思いますが、結構太っていてコロコロしていたんです。

二宮: 中学時代には全国3位に輝き、名門の能代工業(秋田)に進学するわけですが、出身地の横浜から能代に行った理由は何だったのでしょうか?
田臥: 両親ともに横浜出身だったので、いわゆる“田舎”というものがなかったんです。だから、ちょっと田舎生活に憧れていたところがあった。ほんと、何もないところでしたけど、田舎の生活も悪くなかったですよ。

二宮: でも、寒くなかったですか?
田臥: 寒かったですね。あんなに毎日普通に雪が降る生活は初めてでした(笑)。

二宮: ホームシックにはなりませんでしたか?
田臥: 同じ下宿に十何人のチームメイトが住んでいたので、毎日修学旅行みたいな感じでした。そういう面では、オンとオフが切り替えられるいい環境だなと思いますね。

二宮: その頃からNBAは頭にあったんですか?
田臥: いや、ないですね。高校の頃はとにかく日本一になることだけを考えてプレーしていたんです。

二宮: いつ頃からNBAを意識するようになったんですか?
田臥: 高校を卒業する時にフープサミットという世界選抜としてアメリカ選抜と試合ができるチャンスをもらったんです。米国を意識し始めたのはそれぐらいからでした。とはいっても、NBAに入りたいまでは……あまりにも遠い存在でしたから。僕にとっては米国に行くこと自体が夢みたいなもんでしたから。

二宮: 能代でもNBAの試合は観ていたんですか?
田臥: はい、観ていました。97−98シーズン、ファイナルでシカゴ・ブルズの優勝がかかっていた試合なんかは、先生が練習を休みにしてくれて、「全員で観ろ」って言ってくれたんです。まぁ、多分、先生自身が観たかったからだと思いますけどね(笑)。

二宮: NBAの試合を観ながら、自分だったらこうしたいなぁとか……。
田臥: いや、さすがにそこまでは……。シカゴは当時、結構大型のチームで、PGも大きい選手でした。「こういうバスケットもあるんだな」という感じで観ていましたね。

二宮: 憧れのPGは誰だったんですか?
田臥: 最初はマジック・ジョンソンにずっと憧れていました。あんなに大きな選手があれだけ走って、素早いパスをすることに、子どもながら感動していたんです。あとはアイザイア・トーマス。この2選手はすごく好きで、ビデオとかも買って観ていましたね。

二宮: PGはいわゆる司令塔ですよね。人を動かす喜びみたいなものを感じるんでしょうね。
田臥: 自分のパスが得点につながったりすると、さらに楽しさを感じますよね。

二宮: 周りの選手を動かすためにはコンビネーションが大切です。今のチームではどうですか?
田臥: 練習を重ねるごとに、周りの選手も自分たちがどう動いたらどうパスがくるのかというのがわかってきていると思います。逆に僕自身もこの選手はこう動くんだな、こういう動きが好きなんだなということを、やりながらわかってきた。段々とよくなってきていると思いますよ。

二宮: 田臥選手のおかげで、相当お客さんも増えているようですね。バスケットを初めて観る人も多いのではないでしょうか。
田臥: はい。僕のプレーを初めて観る人も多いと思うんです。バスケットや僕のプレーに興味を持っていただけているというのは本当に嬉しいことだなと。だから観に来てくれた人たちには「あぁ、バスケットって面白いんだな」と思ってもらえるようなプレーをしようと心がけています。

二宮: こうした応援が心の支えになっているのではないでしょうか。
田臥: はい。特に栃木は応援してくださる方が本当に多い。これはこっちに来て、まず驚いたことです。これまで日本でこういうホーム&アウェーを感じながらやったことはなかった。だからホームの応援はすごく励みになります。

二宮: 栃木のお客さんも田臥選手のプレーが観られて幸せですよね。
田臥: そう言っていただけると、嬉しいですよね。栃木はバスケットがとても盛んな県なんです。だから子どもたちに少しでも刺激を与えてあげられたらなと思っています。

 全てがスペシャルなNBA

二宮: さて、NBAでプレーしたのが4年前ですよね。それからマイナーリーグに行ったり、いろいろ苦労されたわけですが、やっぱりNBAの空間には独特のものがありますか?
田臥: NBAの観客はゲームの見方とか盛り上げ方とかが上手いんです。プレイヤーのモチベーションをさらに上げてくれる。だからNBAはやっぱり特別ですね。

二宮: あのコートには特別なものがあると。
田臥: はい。音にしてもそうですし、空気自体がスペシャルなんです。体の当たっている音なんか、もう迫力がありますよね。

二宮: それは同じ米国でもマイナーリーグでは味わえないものでしょうか?
田臥: マイナーはマイナーで独特なものがある。NBAとは全く違います。

二宮: 例えば野球のメジャーリーグでは野茂英雄やイチロー、サッカーでも中田英寿や中村俊輔など、日本人選手が世界のトップレベルで活躍しています。しかし、バスケットでは、まずサイズの壁にぶつかってしまう。日本人選手が進出するには、野球やサッカーより、さらに難しいですよね。
田臥: そうですね。サイズの面ではアメリカンフットボールと同じくらい、日本人にとっては厚い壁になります。僕自身、雑誌や新聞などの写真を見ると、「こんなに違うんだ」って思い知らされます。でも、いざコートでプレーしちゃうと、そこまで身長の差を感じないもんなんですよ。普段の生活からして周りはみんな大きいわけじゃないですか。だから、慣れてくるとあまり感じなくなりますね。

二宮: 実際に接したNBAの選手で印象に残っている選手はいますか?
田臥: フェニックス・サンズにいた時はスティーブ・ナッシュという選手がいたんです。彼と何を話をしたというより、ただ一緒にいるだけで、学ぶことが多かったですね。

二宮: スタープレーヤーは日頃から厳しいトレーニングをしたり、きちんと摂生していたりしているものなんでしょうね。
田臥: はい。練習には誰よりも早く来て、体のメンテナンスをやっていますね。食生活も多分、しっかりしていると思いますよ。なんでNBAの選手がすごいかというと、そういうことを当たり前のようにやれるからなんでしょうね。そういう努力をしているということを間近で感じることができたのは、いい経験になったと思います。

二宮: 実際、NBA選手が影で努力している姿を見たりしたことはありますか?
田臥: 昨シーズンに優勝したボストン・セルティックスにポール・ピアスという主力選手がいるんです。彼はロサンゼルス出身なので、僕がロサンゼルス・クリッパーズに入れるか入れないかの時に、練習をしに来ていました。チーム練習は午前中で、午後はみんなフリーだったんですけど、僕がジムにウエイトトレーニングをしに行ったらピアスもいて、トレーニングを一生懸命にやっていたんです。午前中、あれだけハードに練習したにもかかわらず、フリーの時間もトレーニングにあてていたんです。しかも、一般の人がやっているような普通のジムでですよ。「あぁ、やっぱりこれだけ影でやっているんだな」と思いましたね。オフシーズンにこれだけ体をつくっているからシーズンに活躍できるんだと。

二宮: 田臥選手も今年で29歳。経験もいろいろと積まれていますが、自分自身のプレーや考え方に変化はありますか?
田臥: 例えば以前だったら全体練習後、「まだ物足りないなぁ」って思った時には、つい追い込んでしまっていたんです。でも、同じ追い込むにしても試合で最高のパフォーマンスを出すためには、どうコンディションをもっていくべきなのかを考えるようになりましたね。きちんと考えた上で、体を調整していかなければいけないと。だからいくら物足りなさを感じても、我慢することを覚えました。

二宮: 田臥さんが観客に一番伝えたい部分は?
田臥: もちろん、自分が得意なスピードをいかしたプレーだとか、トリッキーなプレーだとかっていうのも見せたいんですけど、一番はハードにプレーしているところですね。例えばルーズボールが出そうなところを追いかけていくような、諦めないプレー。そういうところを見てもらいたいと思っています。

二宮: 今はここ(栃木)でプレーしながらオファーを待っているわけですが、焦りや不安はありませんか?
田臥: ないと言ったらウソになります(笑)。でも、自分がここでやると決めた以上、とにかく一つでもしっかりとした試合をしてスタッツを残すしか方法はないんです。まだ自分はできるんだということを見せられるようなプレーをすることを心がけています。それがチームへの貢献にもつながってくると思いますので。

二宮: じゃあ、お呼びがかかったらすぐに行けるような準備はしていると。
田臥: はい。メンタル面もそうですけども、いつもそのつもりでプレーしています。


田臥勇太(たぶせ・ゆうた)プロフィール>
1980年10月5日、神奈川県出身。大道中で全国3位。能代工業(秋田)では総体、国体、
高校選抜で史上初の9冠を達成した。99年、ブリガムヤング大学ハワイ校へ留学するも、
ケガで3年時に中退。2002年にトヨタ自動車に入社し、新人王に輝いた。04年にフェニ
ックス・サンズと契約し、4試合に出場。日本人初のNBAプレーヤーとなる。今シーズンからリンク栃木ブレックスに所属。173センチ、75キロ。


<小学館『ビッグコミックオリジナル』3月5日号(今月20日発売)の二宮清純コラム「バイプレーヤー」にて田臥選手のインタビュー記事が掲載されています。そちらもぜひご覧ください!>