夏の風物詩・高校野球ではさまざまな名勝負が誕生する。「松山商(愛媛)vs.三沢(青森)」(1969年)に始まり、「箕島(和歌山)vs.星稜(石川)」(1979年)、「横浜(神奈川)vs.PL学園(大阪)」(1998年)……。そして3年前の夏、新たな名勝負が誕生した。延長15回引き分け再試合を演じた「早稲田実(西東京)vs.駒大苫小牧(南北海道)」だ。果たして、そこにはどんなドラマがあったのか――。当時、駒大苫小牧を率いていた香田誉士史氏(現・鶴見大学コーチ)を当サイト編集長・二宮清純が直撃した。
二宮: 04、05年と連覇して迎えた06年。やはり、3連覇という意識は強かったのでしょうか?
香田: いえ、3連覇というのは特に意識していませんでした。前年の連覇後には不祥事が相次ぎ、06年の選抜大会は出場辞退をしていましたから、複雑な思いの中での出場でした。

二宮: 当時は監督自身が辞任したりして、チームをまとめるのにも苦労されたと思います。それでも甲子園では決勝まで勝ちあがっていきました。あの年はエースの田中将大投手も結構打たれて、劣勢の試合を引っくり返す試合が多かったと記憶しています。
香田: 大会中、田中はずっと体の調子がよくなかったですからね。それでも地区予選からずっと田中、田中できていたので、僕としてはおもしろくなかった。周りで守っている選手も「どうせ、田中が抑えてくれるだろう」と頼りすぎて、チームの雰囲気がなんとなくまったりとしていたんです。それで2試合目の青森山田戦には控えの岡田雅寛を先発にしたんです。前日のホテルで「明日、岡田でいこうと思っているんだけど」って言ったら、選手たちが盛り上がること、盛り上がること。彼がそれまで登板機会を与えてもらえていなかったことをみんな知っていましたからね。僕としてもそういう盛り上がりが欲しかったんです。それと、田中を少しでも休ませたかったこともありました。

二宮: その青森山田戦では、序盤に大量点を取られてしまいました。
香田: はい。正直、あの時は「やっちまった」と思いました。青森山田のピッチャーは当時、プロにも注目されていた好投手で、確かにいいボールを放るんです。だから「これはやられた」と思っていたんです。ところが、なぜか後半にどんどん追い上げちゃって……。

二宮: 続いて準々決勝の東洋大姫路にも逆転で1点差で勝つわけですよね。04年の初優勝以降、駒大苫小牧は夏は1度も甲子園で負けていないわけですから、どんなにリードされても負ける気がしないものなのでしょうか。
香田: 確かに選手たちにはそういう雰囲気はありましたね。東洋大姫路戦、初回に2点取らたんですね。僕なんかはそれで多少なりとも「あぁ……」と思っていたんですけど、選手たちは「いつかワンチャンスで引っくり返せるから」なんて余裕の発言をしていたんです。それで僕も「また、本当に引っくり返すんじゃないだろうか」と密かに期待していました。そしたら、本当にその通りになってしまったんです。

二宮: 近年の高校野球を見ていると、1点1点細かく取るよりも、どこかでビッグイニングをつくれるチームが強いのかなと。
香田: そうだと思います。しかも甲子園となると、ビッグイニングには歓声がすごいんですよ。それでチームも勢いに乗っちゃうんです。逆に相手は焦ってしまう。

二宮: 準決勝の智弁和歌山も関西の強豪ですが、見事に打ち勝ちましたね。
香田: 智弁は打線が強力で、しかも田中は調子が良くなかった。それでも5回以降はゼロに封じてくれましたからね。

 異彩を放っていた斎藤佑樹

二宮: そして早稲田実との決勝戦となるわけです。
香田: 実は僕、田中の体の調子がよくなかったこともあって、大会前半の予想では決勝は智弁和歌山と早実だなと思っていたんです。ところが、青森山田に大逆転したくらいから連覇した時と同じ空気を感じ始めていました。ただ、(トーナメントの)逆山からきている早実の空気は、自分たちの上をいっていましたね。

二宮: 決勝では田中投手を先発に起用しませんでした。
香田: あの時、田中はもう疲れ切っていました。体調も思わしくありませんでしたしね。実は、開会式の前に熱を出してリハーサルも出なかったくらいだったんです。決勝の前日、部屋で田中と二人で話をしました。当然、早実は斎藤佑樹でくるだろうし、周りは斎藤と田中の投げあいを期待していることはわかっていました。でも、田中は「できれば後からいきたい」と。それで菊池翔太を先発にしたんです。実際、菊池は甲子園に入ってからずっと調子がよかったんです。でも、あの決勝の重圧には耐え切れませんでしたね。

二宮: 翌日の再試合でも先発は菊池投手でした。
香田: これも田中と話をしたんです。僕としては「明日はオマエでいきたい」と言いました。でも彼は「疲れもあるので、できればスイッチが入る状態から投げたい」と。彼は今もそうですが、ランナーを背負ってからの方が強さを発揮する。そういう面がありました。だから「たとえ初回でもピンチの場面になったら、僕はスイッチがビュッと入るから、その方がいい」と言うわけです。それで翌日も菊池を先発にしたんです。

二宮: 再試合も接戦となりましたね。最終回に2点を取ったときは、駒大苫小牧がまた奇跡の逆転勝ちをするんじゃないかと思いましたが……。
香田: 僕も思いました。ただ、やっぱり斎藤は違いましたね。ホームランで2点を返して、その直後が4番の本間篤史だったんです。普通、並みのピッチャーだったら1点差に迫られて4番打者を迎えたら動揺して、四球とかヒットを打たれたりするもんですよ。ところが、斎藤は本間に直球勝負で来たんです。しかも140キロ後半が出ていましたからね。

二宮: 当時の斎藤投手ははいったん止めるようにしてビュッて球が来るから、バッターもタイミングが取りにくかったでしょうね。
香田: フォームもそうでしたけど、ちょっと(指に)かけて、沈ませたり、ギュッと伸びるようなボールを投げたり……。ボールを自在に操っていましたね。フォークなのかツーシームなのか、カットなのか……もう完璧に大人のピッチングをしていましたよ。


<2009年8月20日発売『ビッグコミックオリジナル』(小学館2009年9月5日号)に香田コーチのインタビュー記事が掲載されています。こちらもぜひご覧ください。>