2009年4月3日、プロ野球が開幕。札幌ドームでは北海道日本ハムと東北楽天戦が行われた。試合前には華やかなセレモニーが催され、開幕メンバーに入った26名の選手を4万人超の大観衆が拍手と歓声で迎えた。ズラリと一列に並ぶ選手たちの表情は皆、喜びと意気込みに満ちていた。蒼々たる投手陣の中に、ルーキー谷元圭介の姿もあった。身長166センチの現役最小ピッチャーである。
「今はちょっと苦しんでいる状況なんです。もがいているというか……そんな感じです。でも、最近はやっとプラスに考えられるようになってきています」
 7月末、千葉・鎌ヶ谷球場に谷元を訪ねた。当時、ファームで調整中だった谷元はスランプの状態から抜け出そうと必死の毎日を過ごしていた。それでも真っ暗闇のトンネルの向こうに、確かな光が差し始めていた。

 谷元はバイタルネットから今年、ドラフト7巡目で日本ハムに入団した。春のキャンプ途中から1軍に合流し、オープン戦では時速150キロを出し、自己最速記録を更新。結果も出し、首脳陣を喜ばせた。
「オープン戦では手ごたえを感じていました。ストレートでファウルや空振りを取れていたので、プロでも通用するなと」

 首脳陣の信頼を得た谷元は見事開幕1軍入りの切符をつかみ取った。翌日には早くもプロデビューを果たし、登板3試合目の福岡ソフトバンク戦ではエース・ダルビッシュ有の今季初勝利試合の最終回を任せられた。点差がついていたとはいえ、ルーキーにとってはプレッシャーのかかる大役だ。ところが、谷元は特に緊張するそぶりも見せずマウンドに上がると、ソフトバンクが誇るクリーンアップ、川崎宗則、松中信彦、小久保裕紀にヒットを許すことなく、三者凡退に切って取った。最後の小久保からは空振り三振を奪うルーキーの力投ぶりに、ベンチもファンも、期待感を膨らませたことは想像に難くない。そして5試合目の4月18日、埼玉西武戦でプロ初勝利を挙げた。今季のルーキーピッチャーの中で最も早い白星だった。

「大観衆の中で声援を受けながら投げるのは本当に気持ちがよかった。あの頃は『打たれるはずがない 』というくらいの気持ちで自信満々に投げていましたね」と谷元。ピンチにも表情一つ変えないマウンド度胸のよさは、ルーキーにはとても見えず、貫禄さえ覚えた。
 だが、一方で不安も感じていた。
「ちょっとうまくいきすぎているなぁという思いもありました。このままずっと抑えられるわけがないと……」

 予感は的中した。6試合目の登板となった4月21日のソフトバンク戦、日本ハムは先発の多田野数人が4回7失点と大乱調。しかし打線の援護で5回を終えた時点で点差はわずか2。リリーフ陣も5回以降、追加点を許さず、2点差のまま最終回を迎えていた。大事なマウンドを任せられた谷元だったが、1死後、ヒット、四球で2人のランナーを背負ったところで手痛い一発を浴びてしまった。

 この試合を境にして歯車が狂い始めた。4月26日のオリックス戦での満塁弾をはじめ、徐々に失点するケースが増えていった。そして、5月13日の東北楽天戦、最長の3回を投げ、ホームラン1本を含む4安打4失点(自責点3)を喫した谷元は、翌日付で1軍登録を抹消された。

 救ってくれた島崎コーチのひと言

 それでもファームでの調整は順調だった。試合でも結果を出し、7月に入ると1軍復帰の話が浮上した。ところがその矢先、2試合連続で大乱調。その後は1軍への復帰どころではなかった。
「頭の中がパニックになってしまって、何をしていてもわけがわからない状態でした。フォームもバラバラになって、手が付けられなかった。今まで自然にできたことが、一つ一つ考え始めちゃって……軽くイップスになりました」

 考えれば考えるほど混乱し、トンネルの奥深くへと迷い込んでいった。そんな谷元を救ってくれたのが島崎毅ファーム投手コーチだ。
「フォームがいいからといって、いい球を投げられるとは限らないんだぞ。アマチュア選手でもきれいなフォームのピッチャーはたくさんいるけど、それでも120キロのボールしか投げられないピッチャーもいる。でも、オマエはこれまでの投げ方で150キロが投げられるんだから、それで投げればいいじゃないか」

 この言葉を聞いて、これまで抱いていたモヤモヤ感がスーッと消えていった。
「これまでは開幕一軍入りしていたことが、逆に焦りになっていました。でも、それでは落ちていく一方やと思うんです。開幕一軍入りしたほどのポテンシャルはあるんだと自分に自信をもってやろうと、今はプラスに考えています。担当スカウトからも『自分が納得しているボールがいっているんだったら、それでいいんだよ。結果はその積み重ねなんだから。結果だけを考え出したらダメだぞ』って言われているんです。僕が考えすぎる性格だということをわかってくれているんですよね。今は『ダメなものはダメでいいや。あとは練習すればいいんだから』と開き直って投げています。そしたら、ボールも自然とよくなってきたんですよ」

 それから2週間後の8月11日、谷元は再び一軍昇格を果たした。27日現在、復帰後6試合を投げ、自責点2とまずまずの結果を残している。
<最初からうまくいかないほうが自分にとってはプラスかなとも思っています。最初にボコンと打たれたほうが、「なんで打たれるんだろう」って早い時期から考えられる。自分にとっての課題に気付くことができるので、先にちょっと打たれたいなと。そこでここで生き残るためには何が足りないのかを考えたいです。それでもずっと上がれないのなら、実力がないと認めるしかないと思っています。>
 プロ入り前、谷元を初めてインタビューをした際の言葉である。予想通り、プロの世界は甘くはなかった。イップスになるほど、スランプに陥った谷元はこれまでにはない苦しみを味わった。しかし、それでも再び這い上がってみせたのである。本当の勝負はこれからだ。

  谷元のグラブには「チビタニ」という文字が刺繍されている。大学時代の愛称だ。社会人時代は入れていなかった愛称をプロでまた使い始めたのはなぜなのか。
「大学の時のグラブにも入れていたんですけど、社会人時代はみっともないかなと思ってやめていたんです。でも、プロで一番小さいっていうのもなんかいいかなって。逆にそれを長所、個性にしていこうかなと思ったんです」
 現役最小ピッチャー、谷元圭介。彼の活躍は日本ハムファンのみならず、多くの子どもたちに勇気を与えるはずだ。一皮向けた勇姿を見せてくれることを期待したい。

谷元圭介(たにもと・けいすけ)プロフィール>
1985年1月28日、三重県出身。中部大学4年時には愛知大学リーグで春秋2季連続でのベストナインに選ばれるなど活躍。2007年にバイタルネットに入社し、6年ぶりとなる日本選手権出場の立役者となった。08年ドラフト7巡目指名を受け、日本ハムに入団。開幕スタメンを果たし、5試合目にはプロ初勝利を挙げた。身長166センチと小柄ながらストレートはMAX150キロを誇る。

(斎藤寿子)

>>入団前のインタビュー「目指すは中継ぎスペシャリスト」はこちら(2008年12月更新)