グラクソ・スミスクライン株式会社が運営する喘息情報ウェブサイト「Zensoku.jp」にて、当HP編集長・二宮清純がナビゲーターを務める対談シリーズ「二宮清純のゼンソク人間学」が好評配信中です。幼い頃から喘息に悩まされてきた二宮が、病気を克服して活躍しているスポーツ選手、元選手と対談。喘息をいかに乗り越えるかというテーマで話を進める中で、この病気への理解を深め、患者さんを勇気づけることを目指しています。同シリーズでは現在、元横綱・隆の里の鳴戸親方、東濃厚生病院アレルギー呼吸器科部長の大林浩幸先生との対談を公開中です!

(写真:鳴戸親方(中央)、大林先生(左)と記念撮影)
 当サイトでは対談の一部を特別にご紹介します。
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 りんごの薬で治療!?

二宮: 鳴戸親方といえば、現役時代は“おしん横綱”と呼ばれ、糖尿病を克服して相撲界の頂点に立ったことで有名です。でも実は喘息患者だったことはあまり知られていません。発症はいつごろですか?
鳴戸: 親の話を聞くと3歳くらいだそうです。今はこんな体をしていますけど、母親によると小さい時は本当にかわいい子だったと(笑)。地元の赤ちゃんコンクールに出そうと考えたほどだったようです。ところが主治医の先生から「こんなに体の弱い子をコンクールに出すなんて無謀だ」と言われて、母親はすごく悔しかったと思い出話をされました。

二宮: ということは、症状は相当ひどかったと?
鳴戸: ある晩、声も出ないほどの呼吸困難で、体が紫色になってしまったことがあるそうです。お医者さんにも「今晩が峠だろう」と診断され、母親が「その晩のことは、一生忘れられない」と言っていましたね。本当に明日もどうなるか分からないような子供時代だったみたいです。

二宮: 大林先生、体が紫色になったというのは、相当ひどい呼吸困難だったと診てよいのでしょうか?
大林: そうですね。血中の酸素濃度が低下してチアノーゼの症状を起こしています。呼吸困難が慢性化すると起き、本当に重症の喘息でしたね。しかし、現在は、喘息がその状態まで悪化しないように早めに治療ができます。今の時代であれば、親方はチアノーゼになるほどの呼吸困難を起こされなかったのではないかと思います。

二宮: 当時はどんな治療を?
鳴戸:  鼻から粉薬を入れていました。実はそれはりんごの病気(腐乱病)にも効果があると言われていました。私の出身である青森県はりんごづくりで盛んでしたから、それをつければ良くなると。細かい成分は分かりませんが、茶色で変なにおいがしたという記憶があります。祖母は烏骨鶏の卵が効くと、スープを飲ませてくれたりもしました、家族中でワイワイガヤガヤ、対策を考えていた感じでしたね。

二宮: 効果はありましたか?
鳴戸: いや、どうですかね。とにかく苦労しましたよ。学校に通い始めると、体育の時間に駆けっこがある。もうそれがたまらなくイヤでしたね。胸が焼けるように痛くなって苦しくなる。まだ、当時は今のように体は大きくはありませんでしたが、「お前は太っているからダメなんだ」「なまくらだ」と随分言われました。

二宮: 今の親方がおっしゃった気持ちは私もよく分かります。私たちが子供の頃は喘息に対する理解は進んでいなかった。私は小学生時代、剣道をやっていたんですけど、喘息だったので長続きしない。だから「この子は根性がない」「辛抱できない」って言われたんですよ。根性がないなら鍛えなきゃいけないと、冷水マッサージなんかもやらされました。「根性があれば喘息なんて治る」と。ところが、余計に症状が悪化するんですよね。このシリーズでいろんな専門医のお話を伺ってきましたが、本当に喘息に対する考え方、治療法が進歩していることが実感できます。もし子供の頃からこのような知識があれば、ここまで苦しまなくて済んだと思うんです。
鳴戸: 本当に「なまくら」だったら、横綱になれないんだけどね(笑)。
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 後編は12月15日に更新します。2010年も喘息を乗り越えて活躍する各スポーツのアスリートがゲストとして登場予定です。どうぞお楽しみに!
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