投げる精密機械と呼ばれた男が、今季限りで長い現役生活にピリオドを打った。小宮山悟、44歳。二浪して早稲田大で頭角を現し、プロ入り。千葉ロッテのエースとして活躍するも、戦力外通告を受け、横浜へ。2002年にメジャーリーグ挑戦を果たした後は、再び1年間の浪人生活を余儀なくされた。紆余曲折の野球人生でカスタマイズされた独自の投球術と現役時代の思い出を、このほど当HP編集長・二宮清純に語ってもらった。
二宮: プロに入った当時の小宮山さんは結構ボールも速かったですが、途中から精密機械のような繊細なピッチングに変わりましたね。きっかけは?
小宮山: スタイルを変えたのはボビー(・バレンタイン)が監督になった95年からです。球数を少なくして完投を増やそうと。ボビーは100から110球でピッチャーを代えるので、同じ110球でも、5回で代えられるより7、8回まで投げた方がプラスになる。でも、94年の秋季キャンプでは臨時コーチで来たトム・ハウスと毎日けんかしましたよ。

二宮: トム・ハウスはレンジャーズなどでノーラン・ライアンやランディ・ジョンソンらを指導したメジャーリーグの名コーチ。どういうことを言っていたんですか?
小宮山: まず彼の前提として“投手を故障させないこと”があるんです。僕はその年、故障をしていて、「故障したのは打たれないように球数を多く投げたからだ」と主張していました。でも彼は「故障せずに打たれないようになる」って言うんです。最初はそれを信じられなかった。

二宮: でも最終的には納得されたわけですね?
小宮山: はい。彼の指導のバックにあるのはノーラン・ライアンですから。ノーラン・ライアンのように長く野球をやるにはこれがベストだと。そういう気持ちになれたのは、やっぱりボビーの存在も大きかったですね。

二宮: バレンタインのピッチング理論はどういうものですか?
小宮山: トム・ハウス同様、決して無理をさせない。周りから見たら過保護に近い扱いをします。それまでは野球選手なんだから痛かろうが、悪かろうが投げる感じだったんですけど、そうじゃないと。

二宮: 今までの日本人監督とは考え方が大きく違ったわけですね。特に小宮山さんのプロ入り最初の監督は400勝投手の金田正一さん。金田さんの指導で何か印象に残っていることはありますか?
小宮山: 皆さんがどう思っているかは知りませんが、僕は何も教わっていないんですよ。金田さんからは「ほっとけ」と言われていたようです。若い前田(幸長)や伊良部(秀輝)には手取り足取り指導しているのに、僕は入ってすぐの練習で植村(義信)ピッチングコーチに呼ばれて「お前は他の若手ピッチャーと同じ扱いをしない。レギュラーチームの方に入れておくからそのつもりでいろ」って言われたんですよ。

二宮: ドラフト1位だし、経験もありますから、即戦力として期待されていた証でしょう。
小宮山: そうは言っても、入ってすぐの選手がベテランチームに組み入れられるっていう扱いだったのでとまどいましたよ。

二宮: 結果的には、バレンタインが指揮を執り、投球スタイルを変えた95年は11勝4敗で防御率も2.60でした。
小宮山: ここが僕のキャリアの中では一番良かった年ですね。防御率のタイトルを獲った97年よりも充実していた。

二宮: やはりバレンタイン流がよかったのでしょうか?
小宮山: はい。僕はバレンタインの言うとおりに1年間やったから良い結果になったと思っています。基本的にはアメリカスタイルですから投げ込みは少ない。1日おきに15分と時間を決められています。シーズン中も序盤はあまり無理をせず、終盤にピークを持っていくような起用法でした。日本の風潮は開幕ダッシュ重視ですから、僕もどちらかというと春先を大事にしていた。その意味では感覚のずれはありましたね。

二宮: そして球数を減らすためにコントロールにも磨きをかけたわけですね? うまく打たせて取ろうと。
小宮山: そうですね。まず相手バッターの打てるところ、打てないところを事前に細かく調べました。

二宮: 小宮山さんの話で印象に残っているのは「キャッチャーミットに届くまでが勝負。そこまでで打ってもらわないと困る。1試合を27球で仕留められたら一番良い」と。このあたりから“小宮山ワールド”が誕生したわけですね。
小宮山: 実際に27球で終わることは不可能だけど、一人一人のバッターが勝負どころで初球でアウトになってくれることは、ピッチャーサイドからすると本当にありがたい。なので、初球からスイングしてくるであろうところに、いつも投げるようにしました。その上で同じまっすぐでも球の速さを変えたりして、タイミングをずらす。

二宮: だいたい自分の思い通りの投球ができるようになったのはいつ頃ですか?
小宮山: どうでしょうね。でも、実際にはまだまだうまくなるんじゃないかという思いでいました。今年も本当に最後の最後までそういう気持ちを持ち続けていましたから。

二宮: メジャーリーグ移籍以降は先発ピッチャーからリリーフに転向しました。先発とリリーフでは肩の作り方など調整法も違うでしょう?
小宮山: そうですね。経験をさせてもらったことには感謝をしているんですけど、もう一度生まれ変わって「どっちをやるか?」と言われたら先発ですね。

二宮: やはりリリーフは大変?
小宮山: しんどいです。先発は投げる日が決まっているから、これほど楽なことはない。全てがその日に合わせて逆算しながら調整できますから。でもリリーフはそういうわけにはいかない。前の日に投げようが、今日も明日も投げる可能性がある。相当きつかったですね。

二宮: 40歳を過ぎた2007年には、自己最多の41試合に登板しています。
小宮山: 9月の終わりには体が動かなくなるんじゃないか、というくらい投げました。一方、「この歳でもこうやって投げられるんだな」という変な自信みたいなものもつきましたよ。本当に投げることは好きですから楽しくやりました。

二宮: 逆にリリーフの大事さも身にしみてわかったでしょう。
小宮山: まあ、こんなことを言うと失礼かもしれないけど、クローザーも勝った試合の最後に投げることが決まっているから、楽だと思います。クローザーの前に投げるセットアッパーも投げるのは勝っている試合、もしくは同点のケースに限られますから、これも楽だと思うんです。

二宮: 本当にしんどいのは、勝ちゲームでも負けゲームでも投げないといけない中継ぎだと?
小宮山: その価値を球団側がどう捉えるか。僕は1度、このことで球団と大喧嘩したことがあります。球団側は「勝ち試合で投げているピッチャーが大事なんだ」と主張するけど、僕は「勝敗は試合が終わった瞬間に決まること。投げている時点では“勝ち”も“負け”もないでしょう」って反論したんです。中継ぎの仕事を認めてもらえるか、もらえないかとで相当もめましたね。

二宮: オリックス・イチロー(現マリナーズ)との対戦も見ごたえがありました。結構、イチローに強かったでしょう?
小宮山: 数字上は抑えています(通算119打数33安打、打率.277)けど、バットの芯には当てられていますね。

二宮: イチロー封じのポイントは?
小宮山: 彼が打てると思っているところにボールを投げるんです。それがボール球でも振ってくれますから、スイングするように仕向ける。彼は腹立つくらい気持ちよく振るじゃないですか(笑)。とにかく気持ちよくスイングさせないことです。

二宮: 打つように仕向けていくためには、初球の入り方とかも一生懸命考えたでしょう?
小宮山: そうですね。だから試合に関係ない時も彼の打席はずっと見ていました。“あ、こういう感じで打つんだ”というイメージを常に持っていましたね。

二宮: イチローの弱点は見つかりましたか?
小宮山: 僕はアウトコースの高めだと思っています。彼がストライクと思ったボールがちょっと外れたときに力のないスイングになる。そこは唯一、彼のジャッジが鈍るところですね。体に近いところは全てバットの芯で拾おうと思えば対応できる。でも高めの速い球に関しては、慌ててスイングするような空振りはよくしていました。

二宮: 弱点は今も変わらない?
小宮山: 基本的には変わらないと思います。ただ、その当時よりも彼は相当すごくなっちゃっていますよ。昔は足を振り上げて、ピッチャーに近いポイントで打つ、打たないの判断をして気持ちよくスイングしている感じだったんですけど、ここ何年かはぎりぎりまで我慢して、より自分に近いポイントで判断するようになりましたね。きっと彼ならピート・ローズの通算安打記録(4256本)も抜くでしょう。

二宮: もう一回、イチローと対戦したかった?
小宮山: やりたかったです。今まで対戦した中で一番のバッターですから。

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