ようやく復帰したと思ったら、再びの離脱。横浜F・マリノスの大黒柱・中村俊輔が苦境に立たされている。

 2月の宮崎キャンプ中に左足首を痛め、関節内遊離体の手術によって戦列復帰まで2カ月を必要とした。4月22日のヤマザキナビスコカップ、名古屋グランパス戦で後半途中から今季初出場を果たしたものの、今度は5月1日の練習で右大腿二頭筋の肉離れを起こしてしまったのだ。

 危機感を募らせて臨んだシーズンである。
 一昨年は最後の最後でリーグ優勝を逃がしたものの、2000年以来となるリーグMVPに輝いた。Jリーグ20年の歴史で、2度の受賞は史上初。それも13年ぶりという長い間隔は世界を見渡しても異例と言える。35歳(当時)にしていまだ発展途上であることを示し、アンチエイジングぶりを見せつけた。

 しかし、昨シーズンは体調不良、相次ぐケガに見舞われたことで一転して不本意なシーズンを送った。「1年、1年が勝負」という彼にとって、2年連続の“不本意”などあり得ない。

 彼は言っていた。「バネをギュッと溜めて、ビュンと飛びたい」と。勢いよく飛ぶために新たな刺激を求め、彼は昨オフにスコットランドに向かい、05-06年シーズンから4年間に渡ってプレーした古巣のセルティックを訪れた。

 スーツに身を包んだ中村の姿がホームのセルティックパークにあった。
 今なおサポーターの語り草となっている欧州CL、マンチェスター・ユナイテッド戦のフリーキックがビジョンに映し出されると中村はスタンドから大きな拍手と歓声を一身に浴びた。チームを離れて5年以上経つというのに、ナカ人気は今なお健在だった。

「自分がセルティックで駆け抜けていたときの感覚をもう一度感じておきたかったというのがあった。懐かしむというよりも“ああ、俺、こういう雰囲気のなかでサッカーをやってたんだな”って。サッカー自体の刺激だけ欲しければバルサやレアルの試合を観に行けばいい。でも、そうじゃない。セルティックでやってた当時の自分の感覚という刺激を必要としていたから」

 駆け抜けていた――。
 ミスを恐れることなく、ガムシャラに突き進もうとしていたという実感を持っていたゆえに得た感覚ではなかったか。年齢を重ねて円熟を深めていく一方で、高みを目指して果敢にチャレンジしていくというセルティック時代にあった「若気」。それこそが最も手にしたい刺激なのかもしれなかった。

 マリノスは今季、トゥールーズなどで指揮を執ったフランス人指揮官エリク・モンバエルツを新監督に迎えた。相手のスタイルに合わせて戦い方を変えるなど臨機応変を求めているのが特徴的だ。2月に彼はこう語っていた。

「監督が代わったことが一番の刺激になっているのかもしれない。やっぱりプレーヤーとして気に入られたい。監督がほかの選手に向かって“今のナイスプレーだ”って言っているのを聞くと、こういうのが求められているのかと分かったりする」

 しかし今、きっと彼が予想した以上の刺激が起こっている。
 新監督の招聘のみならず、チームはポジション的にかぶるMFアデミウソンを名門サンパウロから獲得し、中村は復帰を果たしたところで先発のピッチには一度も立っていない。

 4月下旬、マリノスタウンでは全体練習後、最後まで居残り練習に励む中村がいた。ギラつく目は、求めていた「若気」そのもの。その後再びケガに見舞われたとはいえ、決して下を向いてなどいないだろう。逆に刺激材料が増えたぐらいの捉え方をしているはずだ。

 苦境に立たされたら、いつも這い上がってきた。
 あのときもそうだった。チームの中心として働きながら大会直前でレギュラーの座を失った南アフリカW杯。計り知れない精神的なダメージを乗り越えて、Jリーグで輝きを見せてきた。

「人生なんだから山もあれば谷もある」
 南アフリカW杯後に聞いた彼の言葉が、ふと思い出される。

 谷から、山へ。
 刺激の連続が、今年6月で37歳を迎える中村俊輔の背中を押す何よりの原動力となる。

(このコーナーは第1木曜日に更新します)
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